3・野盗
それから一時間ほど。
明は、ゴシカとの情報交換の中で、やっと現状を認識した。
どうやら、ここは地球ではないこと。
ゴシカはワーズ世界と言っていたが、文化レベル的には産業革命前後の欧州を思わせる。フォトンの存在が、こちらの世界とは異なる技術進歩を生んでいるようだった。
そのワーズ世界の中でも、ここは大国のひとつ、カリギュラ国の首都ローマンにほど近い街道脇だと言う。明が見渡してみると、周囲は森が広がっており、それを貫くように街道が続いていた。
したがって街道脇は森ばかりなのだが、例外的にここは開けている。それには理由があって、一種の休憩所として使われているのである。周りが全て森では、火を使う事もできないため、こういった広場が街道脇にはいくつかあるらしい。
ゴシカもここで一休みし、昼食にしようとしていたところだったそうだ。
「……それで、これからどうするつもりなんだ?」
「もともと、私は仕えるべき主を探すために、ローマンで行われる御前試合を観に行くつもりでした」
「でした、というと?」
「あなたほどの大導師であれば、わざわざ他を当たる必要はないですから。……ただ、助平なところだけは気になりますが……」
「だからそれは違うと……」
相変わらず、ゴシカは明の実力は認めつつ、助平疑惑だけは残したままらしい。
「だいたい、俺は導師なんかじゃないよ。他の世界から迷い込んだって言っただろ」
その言葉に、ゴシカは眉をひそめる。
「……にわかには信じられませんね。確かに、その格好は見た事がないものですが……」
登校途中だったので、明は学生服のままだ。少なくとも森には全く似合つかわしくない。
「むしろ、あんなフォトンを使っておきながら、これほどまで知識が欠けているあたり、記憶喪失なのではないですか? なにか強く頭を打ったとか」
「うーん……じゃあ、もうそれでいい」
説明が大変そうなので、明は諦めた。
とりあえず、地面に書いた【翻訳】の効果が切れる事も考えて、そこらに落ちていた木片に刻み直し、胸ポケットに入れておく。試しに地面の文字を消しても効果は続いていたので、これで合っているらしい。あと一応、【火】も消しておいた。
他にもいくつか文字を試してみたが、平仮名や片仮名は効果がなく、漢字だけが効果を発揮するようである。
それから、満を持して【帰還】や【世界移動】などを書いてみたのだが、効果はなかった。
これは明としてもショックが大きかった。文字が魔法の力を持つなら、すぐ帰れるんじゃないかと楽観視していたから余計である。
ゴシカに尋ねてみると、「時間や空間に作用するフォトンは未だに見つかっていないと聞いたことがあります」との事で、もしそれが不可能という意味だとするなら明としては手詰まりである。
携帯電話もポケットに入ったままだったが、もちろん通じないし、傍に落ちていた学生かばんの中には書道用具と教科書数冊と筆箱くらいしかない。
これでどうにかしろという方が酷だろう。
ただ――
「この世界に来るときに見た石に刻まれてたのは、こっちの文字だと思うんだよな……」
流石に字形をはっきり覚えていたりはしないものの、おそらくフォトンの力でこちらに飛ばされたのは間違いなさそうだ。
であれば、戻ることもできるかもしれない。
「……情報が足りないな」
「よくわかりませんが、何か悩んでいるなら、ローマンに行ってみてはどうです? あそこは大都市ですし、人も情報も集まるところですよ」
「なるほど……」
とにかく、今はわからないことが多すぎる。
ゴシカの言うとおり、大きな街に行って情報を集めた方がよさそうだ。
しかし、明には土地勘などあるわけがなかった。
となれば――
「ええと、護衛をしてくれるって言うなら、助かるからお願いしようかな……でも、お金ないぞ」
「あなたほどの腕であるなら、お金の心配などいらないでしょう。二文字使いなど、どこに行っても重用されますから」
明自身、ちゃんと事態を理解しているとは言い難かったが、切迫した危機がないだけマシなようだった。
「それじゃあ、よろし……」
「ちぇいさー!」
握手しようと手を伸ばした明だが、ゴシカによって突き飛ばされた。
非難の声を上げる間もなく、彼が一瞬前まで立っていた場所に、オノが突き立っていた。砂利が跳ね飛び、雨のようにパラパラと舞う。
「チッ」
舌打ちをしたのは、オノの持ち主。
毛皮を纏い、口髭が伸び放題の熊のような男だった。たわしから手足が生えているような印象である。
「気づくとは運のいいヤツだ」
「フン、そんなすえた臭いをさせていれば気づかないわけがないだろう」
ゴシカは鞘から刀を抜いている。
そして、さりげなく自分の影に明を隠した。
「へへ……いっぱしの口をきくじゃないか嬢ちゃん。だが、相手が悪かったな」
「何を、追いはぎ風情が」
「へへへ。嬢ちゃんが護衛か。男を逃がすためにわざとデカい口を叩いて注意を引こうとしてるのか? 教科書通りだねえ」
鬚の男の言うとおり、ゴシカが気を引いている隙に、彼女の意図に気づいていたかどうかは別として、後ろ向きに這いずるように明は逃げ出していた。
そうしてやや離れたことで開けた視界に、いくつもの影が映った。
「あっ! ゴシカ! 相手は一人じゃないぞ! たくさんいる!」
「むっ……!」
ゴシカは赤い瞳を左右に這わせる。
その頬を一条の汗が伝わった。
彼女も、気づいたのだ。
「へへへ……女の身で護衛たぁ、腕に覚えもあるんだろうが、多勢に無勢ってやつだ」
広場の周りを囲む木々の間から、男たちが姿を現した。
いずれも、弓に手斧にと武装した、大小様々な男たちである。数は5。
毛皮やボロをまとい、数日は野外で潜んでいたと思われる風体だった。
「野盗め……! ちぇいさーしてくれようか!」
「そう邪険にすんなよ。今晩のお相手によ」
鬚面がヒヒヒと下卑た笑みを浮かべる。同じように他の男たちもニヤニヤ笑っている。
ちぇいさーに反応していないあたり、この世界では普通の言葉なのだろうか。
「女はひんむいていただく、男はひんむいて殺す、野盗の流儀ってやつだ」
じりじりと包囲の輪を狭めてくる野盗たち。ゴシカの間合いに直接は踏み込もうとせず、しかし刺客から寄ってきていた。
真後ろにはいないようだが、扇状に囲まれている。
絶体絶命の状況と言えるだろう。
「あー、ええと……」
普通なら、だが。