第9話
一部ルビの設定に誤りがありましたので修正しました。
このコップを使ったのは、ちょっとした冗談やイタズラみたいなもので、これといって理由はなかった。
でも、随分と懐かしい思い出の品を見ると、うろ覚えながらも当時の記憶が蘇ってくる。日曜の朝になると、互いががどちらかの家にお邪魔して、8時半から放送されていたアニメ「無理キュア」が放送されているテレビ画面を齧りついて見ていた。
毎回敵と戦うが、「無理、今回は本当に無理」と泣き言と愚痴をこぼしながらも必死で戦って、結局無理でしたってオチもある少しアレな内容だったけど、僕らは必死で無理キュアを応援していた。
無理キュアを視聴したその後は、夕暮れになるまで一緒に外で遊んだり、家でゲームをしたりして過ごしていた。その当時に椿が我が家に遊びに来た際に使っていたコップだ。もちろん高校生になった椿が使うような見た目じゃないし、実際に無理キュアが「もう無理」と愚痴をこぼしそうなほどプリントが剥がれて錆びたように色褪せている。
椿は「これ・・」と、まるで大切な遺品を扱う時のような慎重な手付きで、両手で優しくそっと包み込みコップを持ち上げる。込められた優しさが椿から滲み出て、コップの中を満たすのではないか思った。
「まだあったんだ」
「まぁ、うん」
小さく呟く椿の顔は、陽の暖かさによって開きかけた蕾みたいにぎこちなく綻んでいた。その控えめな笑顔は、何年越しかに僕に向けられた小さくて大きな笑顔に感じる。
教室での椿は知らないけど、少なくとも廊下など見かけた際の友達と喋っている時の椿の笑顔とはなんか違う。イタズラで出してみただけなのに、予想斜めの反応だったので気恥ずかしさでこの場からいなくなりたい。
昔から壁にかけてあるアナログ時計の秒針が、僕を囃し立てるようにカチカチと音を鳴らす。幼い頃の僕をずっと見守っているからか、今の不器用に呆れているのかもしれない。
あーーどうしたものか、と内心思いながらも「懐かしいでしょ?」と間を埋める。「・・うん」と、椿が頷くとまたしても静寂が生まれる。まーた無言になってしまった。
困っていると、ドッドッドと勢いよく階段を下りていく足音が響く。その人物はリビングのドアを勢い良く開け、救世主のように颯爽と現れた。
「あーーーーーーー!椿ちゃんだーー!」
わーーーーーー!比奈ちゃんだーー!
ありがとう比奈ちゃん大好きだよ!!椿とお互いの距離を測り合うような妙な雰囲気を妹パワーで吹き飛ばしてくれ!!必殺比奈サイクロン!!かんばえ〜比奈キュア〜
「え?比奈ちゃん!?」
「うんうん!わぁ久しぶりだね椿ちゃんいつ以来?」
「私が小学生の時・・・ぶりかな?大きくなったね」
「もう中学二年だもん。椿ちゃんも更に大人っぽくなって・・・・・特にここら辺とかが」
ぐへへとおぱーいを揉みしだくジェスチャーをする比奈。その中年セクハラ親父のような行動については今は黙認してあげよう。お父さんにも言わないでおいてあげる。あ、カーストは妹の下だから意味ないか。父、威厳なし。
比奈のおかげて化学反応が起こり、先程の空気が払拭された。とは言っても、曇から晴天になったわけではなく、様々な色が混じったカオスな空色になったけど。今よしとしよう、ケース・バイ・ケース。
すっかり和んだ空間ができあがり、今では母さん、椿、比奈の3人で台所でテキパキと夕飯の準備をしていた。僕は良く言えば良い御身分、悪く言えば蚊帳の外で食事が提供されるのを待っていた。椿の世話を一任されるよりはマシなんだけど、なんだかなー。
楽しそうな会話を聞きながら、スマホをポチポチ。あ、父さんは前々から会社の人と飲む予定があるとか言ってたな。月曜日からご苦労さまです。・・・・はっ!ってことは貴重な男の勢力が1人かけるという事ではないか!父さんめ、月曜から飲みにいくとはけしからん!
気がついたら僕はいつのどおりの自堕落を椿の前で披露していた。ソファで猫とゴロゴロ遊んでると、受刑者に飯の時間を言い渡す看守が如く「お兄飯だ」と号令がかかった。ありがとうございますと、謝恩を述べテーブルにつくために立ち上がる。
良い匂いの根源に誘われるように移動すると、少し見栄を張ったのがバレバレな料理が並ばれていた。「ロールキャベツは柊さん家からの頂きものね」と、母さんが補足する。あ、柊は椿の名字ね。早く食べてと言わんばかりに湯気が立ち込めた料理を前に、しっかり身長を伸ばすための栄養にすることを約束する。
さて、ここで問題なんだけど、テーブルは長方形で、4人家族である我が家は必然ヨコに二人ずつ座る。そして、いつも男女に分かれるので、僕の隣には仕事で疲れた顔をした父さんが居るはずなのだが。
今、母さんと比奈は向かいに座っている。そして、父さんの席には椿が座っていて・・・・・おわかりいただけるだろうか?数年間まともに顔すら合わせなかった男女が、隣同士で食卓を囲むことの気まずさを。
そもそも隣に座って良いものか躊躇していると、「早く座りなよ」と椿が言ってきたので、「すんません」と席につく。え?なんで僕謝ってるの?
落ち着かないまま、食事が始まった。話題は当然昔話、そして今の生活となった。
「息子は学校ではどう?」とか、「お兄、全然椿ちゃんの事喋らないんだよ」とか、冷やっとする内容もあったけど、椿がうまく空気を呼んで話を合わせていた。僕はボロがでないように口数を減らす。皆の前で、実は皇さんにプロポーズしたとか絶対言えないし、OKも貰えたとは余計に言えない。
食事が終わり、僕が3人分のコーヒーを淹れてる間も女性陣は楽しそうに会話に興じていた。よくもまぁそんなに喋る事があるもんだ、と呆れながらスッと身を引いて猫とじゃれる。早く父さん帰って来ないかな。
暫くして、そろそろお開きという空気を敏感に察知した僕は、一応帰る椿を見送るため母さんと比奈と共に玄関へ向かう。パフォーマンスって大事だと思います。
「ご飯まで頂いてありがとうございました」
「良いの良いの、おばさん昔に戻ったみたいで嬉しかったのよ。またいつでも来てちょうだいね?」
「はい、そうさせてもらいます」
(え、そうさせてもらうの?)
「また遊びにきてね椿ちゃん!」
「うん。後でRainするね」
(ん?いつの間に連絡先交換したの?)
僕がここにいる存在理由を見いだせないまま、「それじゃ」とだけボソリ呟く。が、「何いってんのあんた、暗いし椿ちゃんを家まで送んなさいよ」と母さんからバッシングを受けてしまった。
「送るって、歩いて一分くらいだし・・・」
「うっわぁーーお兄、そういうのないわーー」
比奈からは、ゴミを見る目で軽蔑の言葉を突き刺してきた。この濁流には抗えないと悟り、靴を履こうとする。そして唯一の望みである椿へ目で合図を送る。お前だって、俺と二人っきりとか嫌だろ?
わかってるわよ、という目線を確信した僕だったが、反して「それじゃお願い」と椿の口から出てきた。
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