第75話
時間はあっという間に流れた。
12月のクリスマスはいつものメンバーで集まって皇邸でパーティーをしたし、正月は初詣にも行った。
不思議な縁も続き、皇親子と椿の4人で定期的に食事会も開かれた。
まるで時間が停滞しているような変化のない日々。
逆を言うと、何事もなく平和な日々を僕は過ごしていた。
強いて何かを挙げるとすると、福岡に引っ越しをした関口から、「引越し先のマンションで一人暮らしをしている若い女の人とお隣さんになった」という連絡があり、クラス内で物議を醸したくらいかな。
一応進学校在籍の僕は、冬期講習に参加したり棗と一緒に椿に料理を教えてもらったり、受験生の比奈に気を遣いながら冬休みを過ごした。
冬休みが明けたある日の放課後。
文芸部の活動で椿が不在なので、木枯らしが吹く2月の空の下を棗と2人で歩いていた。
「本当に早いわね、楽しい時間が過ぎるのって」
「うん。もう少しで僕らも3年になるし」
「・・・そうね、そうだったわね」
「来年度の文化祭は何事も起こらずに平和に過ごしたいよ」
冗談を言ってみたけど、隣を歩く棗から反応が返ってこないので「どうかした?」と訊ねると、「え、あぁ、ごめんね、うん、何もなければいいわね」と妙に歯切れの悪い言葉を洩れた。
「・・・何か変な事でも企んでる?」
「ふふ、どうでしょう?」
不敵に笑う棗を見て、この先が少し心配になった。
◇◆◇◆◇◆◇◆
「飲み込みが早いね、トラは」
もう何度目かになる椿による料理教室だけど、楓さん直伝のロールキャベツを教えてもらい調理をしてみると、物足りなさはあるものそれなりの完成度のロールキャベツが出来上がった。
滅多に褒めない椿からの褒め言葉に、心の中で「よし!」とガッツポーズを作る。
何故か楓さんが「トラちゃんは私の弟子ですから」と鼻先が伸びそうな得意顔を作ったけど、別にアナタからは何も教わってないんですが。
「うん、本当に美味しいよ、トラ君」
「小父さんマジで?」
「うん、マジマジ」
しれっと登場した椿のお父さんにもお墨付きをもらったし、僕の料理の上達は順調と言えた。
食事を終え、普段であれば少しまったりした辺りでおいとまする流れだけど、椿が「あのさ、トラ」と言ってきたので、「どうしたの?」と聞き返すと、「少し外に出ない?」と訊いてきた。
「外?」
「いいから」
「う、うす」
物言わせぬ態度に、僕は抗う事もできずにただ付いていく。
それにしても、急に「ちょっと面貸せ」なんて物騒で怖いなぁ・・・・
やってきたのはあの公園。
僕と椿が仲直りをした思い入れの深い場所。
「そういえば、あれから1年が経つのか」
感慨深く、過去のを思い出しながら口にすると、「トラも覚えてるんだ」と椿が平坦な口調のまま少し笑った。
「忘れられないって」
苦笑して僕は答えた。「あれから1年」というのは勿論椿との仲直りの件。
2月の冬で、あの日も同じように公園は静まり返っていたっけな。
その雰囲気がそのまま保存されているかのように、気温や雰囲気はあの時のままを保っている。
ただひとつだけ決定的に違うのは、僕と椿の距離感の一点だけ。
「それで、何か話があるんだよね?」
「ん」
椿が口癖の言った後に、「んーん」と首を横に振った。そして「特にない」と呟く。
「え、ないの?」
「ん」
「・・・風邪引くよ?」
実際に風邪を引いてお見舞いに行ったしね。
でも、椿は「ちゃんと着込んでるし、ほら」とポケットからホッカイロを取り出してみせた。
「あ、椿だけズルいぞ」
「はい、トラの分」
抗議すると、椿はすんなりと一個のホッカイロを渡した。
どうやら用事もないくせに長居をする気でいるらしい。
用事はないけど会話はするみたいで、「ねぇ」と言う椿の声は澄んだ闇夜に溶けていく。
「トラは進路はどうするの」
「とりあえずレベルに見合った大学を絞ってから、学科なり決めようと思ってるけど、椿は?」
「まだハッキリ決めてない」
「へっ!余裕ある人は違いますねぇ椿さん」
こんな調子で学校などの共通した話題で話しをしていたけど、急に強い風が吹いて、その冷たさに互いが口を噤むと唐突に沈黙が生まれた。
別に椿は口数が多くないのでこれくらい平気なんだけど、修学旅行で由樹が僕に言った台詞を鮮明に思い出してしまった。
"柊が好きなのは・・・トラ、お前だよ"
途端に沈黙が質量をもって肩に重く伸し掛かってくる。
この重さから逃れるため、「そういえばさ」と無意識に洩らしていた。
「ん?」
「あぁ・・・えっと、棗とあと1年でお別れになっちゃうね」
「海外進学じゃなくても、高校を卒業したらだいたいは皆と疎遠になるよ」
「随分と現実的ですね」
「寂しいけど、棗が決めた選択を応援したいから」
「・・・それもそうだね」
色々と紆余曲折しながらも、結局は棗の意思で皇会長の事業の道へと進む事を選択した。
なら、友達として応援するのがあるべき姿なんだろう。
「それに、棗はトラとこうして話せるようになったきっかけでもあるし」
「え、どうして棗が関係してるのさ」
「・・・うっさいアホ」
「うわ、唐突な罵倒だ」
理不尽さに打ちひしがれていると、遠くで犬の吠える声が聞こえ、風に流された枯れ葉がカラカラと引きずられるように公園の砂を撫でている。
その様子を肌で感じながら、椿がこんな事を言い出した。
「この場所は、棗は知らない私とトラだけの場所だね」
「いや、公園は皆の場所だけど」
「アホ」
「えぇ・・・」
またもや理不尽に罵倒されてげんなりしていると、「もういい」と椿は何かを諦めたかのような落胆を、その声に滲ませた。
もうすぐで最後の学期が終わり、短い春休みの後はいよいよ3年へと進級する。
来年の今頃は受験でてんやわんやしているハズなので、こうして椿とこの公園で思い出話に花を咲かせられるかはわからない。
椿はこの公園を「僕と椿だけの場所」と言ったけど、できれば棗も一緒に高校生活を振り返る事ができれば良いな、とそんな事を考えた。
期末考査を終え、2周間程度の春休みもダラダラとしているうちにあっという間に終わった。
妹の比奈の受験も無事に合格し、今年度から晴れて僕の通う高校の1年生となる。
3年生の新しいクラスだけど、僕は皆んなと違うクラスに配属になった。
ただ不可解だったのが、棗の名前がどのクラス割の紙にも表記されていなかった事。
春休み中は連絡もなかったし、事前に「家のことで忙しい」と聞いていたので特に不自然さはなかった。
新しいクラスでの一日を終え放課後になると、別のクラスとなった由樹と常滑さんが僕のクラスに血相を変えた表情でやってきた。
そして、由樹が僕の顔を覗き込むようにして言った。
「トラ、皇さんの事で何か聞いてたか!?」
「家の用事で忙しい件?」
次の由樹の言葉は、一度聞いただけでは理解が出来なかった。
「・・・皇さんが学校を辞めたそうだ」