第71話
改まって「報告」と告げた皇さんの真意を測りかねていた。
「ねぇ、女の人が髪を切るときってどんなタイミングだと思う?」
「タ、タイミング?」
突然投げつけられた質問を取りこぼしそうになりながら、思考を巡らせる。一般的には、失恋や気分転換とか・・・だよね。
とりあえずその2つを挙げてみると、皇さんが首をゆっくり左右に振る。
「それもあるけど、私の場合は『決意』かしら」
「どんな決意?」
「これからその話をしようと思ったの」
暖を取るため、皇さんがキャンプファイアーの残り火に手をかざした。何となく、僕も横に並んで手を当てる。皇さんは続ける。
「その前に言わなくちゃいけない事があるの。どうして、あなたの突然のプロポーズに私がOKをしたかの理由を」
そう言って、皇さんは一枚の紙をポケットから取り出した。
「それは・・・」
「そう、私が思い悩んでいた時に獅子山君が近くに現れて、声をかけて舞い上がって思わずサインまでお願いした『婚約契約書』よ」
それから、皇さんにより真相が述べられた。
まず、どうして複数いる生徒から僕を選んだかというと、入学式で自信なさげな僕がたまたま目に入ったからだそうだ。この時から既に皇会長に対抗するため恋人と日本に留まるという理由を作る計画を実行していたらしい。
その槍玉に上がったのが光栄にも僕という事。理由は打算的で、事情を説明すれば素直に協力をしてくれる従順・・・温和な人物にみえたから。それとは別に、もともと小動物が好きで、小さい僕もその小動物と重なってみえたところがもうひとつの理由。
財閥家の事情に一般の同級生を巻き込んでいいのもかと葛藤はあったそうだ。だからうだうだと声をかけることも出来ずにいたところ、僕が近くに現れた。だから、声をかけて、最近気の迷いでたまたま持ち歩いていた「婚約証明書」に血印までさせた。つまり、念入りに計画されていた訳ではなく、偶発的な部分も大きいようだ。
最初は擬似的な恋のつもりが、だんだん僕というミジンコ以下の人物と向き合ううちに、打算よりも感情で動くことが多くなったとのこと。
そこに椿という存在が立ちはだかった。
椿と関係を深めていくうちに、自分のしていることに次第に罪悪感や劣等感を覚え始めた。
僕を利用して、僕と椿の関係に水を差すのは最低だと。
そんな思いに苛まれながら、記憶に新しい皇会長との一件があった。
そして、皇さんのお母さん・・・苗さんが会長に託した想いを知った皇さんはある「決意」に至った。
「私の決意はね」
そう呟くと、予備動作もなく皇さんが「婚約証明書」を真っ二つに引き裂いた。呆気にとられる僕を置き去りにして、また更に二つに紙を引き裂く。
その行為は、今までの僕と皇さんとの時間を全て否定されたかのようで、紙を通して僕の胸にも引き裂かれたような痛みが走った。その紙を薪の中に放り投げると、ゆらゆらと闇夜に揺れながら落下し、焦らすように白い紙が灰に変わっていった。
太い薪だった燃えカスに仄かな赤色が差している。
今にも消えそうな弱々しい残り火は、僕と皇さんとの間に残された僅かな時間と重なって見えた。
「ごめんなさい獅子山君。プロポーズの話は白紙に戻してほしいの」
「白紙も何も・・・灰になったよね」
「・・・確かにそうね」
自嘲気味に皇さんは笑う。その笑みに、またチクリと胸が痛んだ。
「違うの。私、間違ってた。こんな紙でアナタを縛ろうとしていたなんて、これだどお父さんとやっていることは変わらないんだって、気づいた」
「べ、別に縛られているつもりはなかったけど」
「そう言うと思ったわ」皇さんが隣で肩を揺らしながら続ける。「でも、私のケジメの問題でもあるの。だから、その意味も含めて勝手だけど、ごめんなさいって伝えたい」
「そう、なんだ」
そう返すだけで精一杯だ。皇さんか心の準備をしてここにいるけど、僕は急に告げられる真相や「ケジメ」とやらに心の整理が間に合っていない。
「私ね、あの、学校を卒業をしたら海外の大学に行こうと思うの」
「えっ!?」驚いて大きな声を出してしまう。「それが嫌で今まで色々と奔走していたんだよね!?」
「そうね。でも、それはお父さんじゃなくお母さんの望みなんだって。それに、お父さんのお仕事・・・正確に言えば、お母さんの『日本緑化計画』ってのに一枚噛みたいの」
「日本緑化計画?」
そう聞き返すと、「それはこっちの話し」とだけ言われた。
「だから、残された時間は獅子山君と・・・椿とも対等でありたい。だから、婚約の話は白紙にしたかったの」
僕は、皇さんの決意を前にただ頷くしかなかった。
火山や地震など、人の手では抗えない災害にぶつかるのと似ている。僕に入り込む予知はない。
「私がもっと普通の環境で育って、獅子山君ともっと早く出会っていたらどうなっていたんでしょうね」
皇さんのありもしない世界線の話を口にするので、僕もそのたらればを想像しようとしたけどこれっぽっちも浮かんでこない。
隣の皇さんが夜空に向けて顔を上げ、散らばった星空を眺めた。
まるで薄い群青の空に有りもしない世界線やこれからの未来が映っているかのようだったので、僕も釣られて見上る。しかし案の定何も映っていなかった。視線を皇さんに戻すと、高い鼻とシュッとした顎の輪郭が頼りない暗明かりに照らされて、儚くげで綺麗だと思った。
「それじゃ、あと1年ちょっとでお別れになるんだね」
「・・・そうね、本当に勝手で申し訳ないわ」
「謝るならちゃんと謝ってよ」
僕がそう言うと、皇さん声を出して驚いたのがわかった。今まで使ったことのない強い言葉をぶつけられたからだろうか、それとも意図を理解していないからか、どっちかな。
「あの、謝っているつもりだけど・・・」
「それじゃ、そんな礼儀みたいな言い方じゃなくて、同級生らしく謝ってよ」
「同級生らしく?」
「言葉が丁寧で窮屈なんだよ棗は」
もうすぐお別れだからか、もう皇さんに対しての遠慮というのが僕の中でごっそりこそげ落ちていた。
いや、さっきの棗の「対等」という言葉に触発されたんだ。対等な友達であれば、遠慮もクソもない不躾な言葉でも言ってしまえ、と。
キョトンした様子の棗だけど、すぐに表情が綻ばせて軽く空気を口から洩らした。
「ごめんね、虎二郎君」
「いいよ別に」
なんだか、あまり聞き慣れない棗のフランクの言葉は妙にこそばゆかった。
修学旅行が終わった後の登校日に、棗は海外への進学を皆に伝えた。
当然皆は驚いたけど、同時に表情が曇ったのは由樹だった。
棗を好きと告げた由樹の心境はどんな感じなんだろうか。考えると、胸が圧迫されれ苦しくなった。
やはり遅筆になってしましいます(^_^;)
ですが、残りわずかなので頑張ります。