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第61話 過去編

 歓迎会の一件後、何かしらの縁という理由からか楓さんと苗の3人で食事をする機会が増えていった。学科が違うため講義が被る事は殆どなかった。でも、週に2度のサークルでは顔を合わせるため、その後はよく3人か他の連中も含めて飲みに行ったりした。



楓さんも楓さんで、学内ではかなりの人気を誇っていた。自然な色に染められた茶色い髪に、肩まで伸びたセミショートはいかにも今どきの女子大生といった風貌で、街を歩いていると芸能関係に声を掛けられることもあるのだそう。



俯瞰すると、私は学内の高嶺の花と称されている2人を独占しているいけ好かない男で、私が金持ちのボンボンだから、得をしていると周囲は思っているようだった




 苗と一緒にいる時間が増えれば、当然内面の細部も見えてくる。彼女は見た目の想像からは考えられない程、剽軽(ひょうきん)で明るい性格をしていた。何か辛いことや悲しいことがあり心が歪に曲がったとしても、形状記憶合金のようにすぐに元気な心に戻ってしまうのではないだろうかと思ってしまう程に。



 私は飛び抜けて活発ではない。当時はどちらかと言うと、表立つのを嫌うタイプだったため、彼女の持ち前の明るさに憧れていた。いつしか憧れは好意へとその形を変えていく。時間はかからなかった。



 初めて苗をデートに誘おうと決意したその日に、相談したいことがあると楓さんに打ち上げた。今と違い、昔は携帯も普及していないので、その辺りのやり取りに手間がかかる。



「苗のことでしょ?」



楓さんはさらりと言った。その光景は、20年以上経った今でも鮮明に記憶に残っている。



 この人はこういう一面がある。いつも私の思考に先回りをしているのではないか。頭が切れるのか、それとも私がわかりやすいだけなのか、常に心の風上に立たされているような劣勢に追い込まれている気持ちにさせられる。



「話しを聞いてあげるから、代わりに付き合いなさいよ」



 言われて楓さんに連れられたのは、普段は訪れることのない赤坂見附にあるダイニングバーだった。何でも、楓さんの高校の同級生の親が経営をしていて、お酒も料理も絶品と褒めちぎっていた。



 確かに、割とリーズナブルな値段なのに口にする料理はどれも美味しかった。美味しい料理はお酒の良い肴となり、店内に流れる古いクラシックが心地よい。必然に口は軽やかでなおかつ滑らかになった。



「つまりは、苗を好きってことなのね」


 話しをしている途中で、楓さんが絶妙な相槌を打ちながらも何気ないように聞いてきた。自然すぎて違和感が全くなかったのと、良い感じにアルコールが脳を麻痺させていたので、素直に「はい」と答えた。強がって「好きだ嫌いだのでいちいち照れるのは10代までですよ」、みたいな事を言ったと思う。その時の私はまだ19歳だったが。



 楓さんに間を取り持ってくれて、休日に初めて苗とのデートまでこじつけた。彼女たっての希望で、行き先は植物園に決まった。彼女はとにかく植物が大好きだった。所属する私達のサークルは、自然保護を目的とした活動が主なため、いかに彼女の植物への愛が深いのかが伺える。



「東京は緑が少なくて発狂しちゃう。ジャングルが侵食してこないかな」


 植物園の館内を周っている時に、彼女は言った。それは、サークル内で何度も耳にしているセリフだった。



「それはそれで怖いけどね」


「でもさ、渋谷に大きな河ができて、東京タワーが蔓で覆われたら楽しそうだよね」


「都市が壊滅して数千年後の姿だよそれは」



 「確かに」と笑い飛ばす横顔は、屈託がなく本当に綺麗だった。なぜ、こんなに美しのにも関わらず飾り気なく笑うのか。この笑顔を側で見ているのは私一人だけなのだという優越感が押し寄せる。植物に対する愛が、少しでも私に向けばいいとガラにもなく嫉妬した。



 程なくして私達は交際を始めた。楓さんは喜んでくれたし、茶化したりもした。告白に至るまでに何度も楓さんに相談に乗ってもらったエピソードを、祝いの酒の場で、しかも本人の前で赤裸々に明かされた時は、恥ずかしすぎて殺意を抱くほどだった。



 交際は順調だったわけではない。塵も積もれば山となるという言葉は本当によくできていて、小さな喧嘩によって互いの不満は山のように大きくもなった。今となってはどうして喧嘩になったのか思い出せないが、一度別れるまでに話しが進んだ記憶がある。



 その時も、楓さんが割って入ってくれたおかげで仲直りができた。互いに、心の幼さを恥じて、楓さんの謎の偉大さにひれ伏した瞬間でもあった。ああ、この人にはずっと頭が上がらないんだろうなと、実感した。



 それからは順調と言って差し支えなかった。私は相変わらず彼女と一緒に居るのが心地よく、彼女も同じように思ってくれたに違いない。気持ちは写し鏡のように一致していた。



 ある日、私は皇財閥の長男であると告げた。別に内緒にしていたわけではなく、どうせ噂で知っているだろうと思っていたから、わざわざ私の口から言う必要性を感じなかったのが一番の理由だ。しかし、彼女は「そうなの?」の一言で片付けた。あまりの反応薄さに拍子抜けをした。



「それだけ?」


「驚いたよ!バビった!だったら雄一が社長になったら日本緑化計画を設立してよ」


「なんだそれは」


 彼女はいつものように笑いながら「日本中を緑で覆う計画」と訳のわからない事を言った。




 時は流れて楓さんが卒業した。就職先は私の会社だったので驚いた。卒業するまで教えてくれなかったのは、コネで入社するのが嫌だったからだそうだ。



「会社でもよろしくね、後輩」



 卒業式の前に行われたサークルの送別会で、意地悪そうにして楓さんが言った。その言葉にひどくげんなりした。楓さんは優しいに頼りになるが、隙がない。付き合っていた先輩の中で尊敬する人であり、先輩の中でいちばん苦手な相手でもあった。





 それから1年が過ぎ、僕たちも無事大学を卒業する事ができた。残念ながら彼女は希望していた食品メーカーの開発担当として受かってしまった。私から言わせててみれば、日本の食を脅かすテロリストをわざわざ招いてしまったも同然だが、今後の輝かしい未来を想う彼女の前では決して口にはしなかった。



 お互い社会人になりながらも交際は続いた。



 私は当時の会長で父親でもある皇九州男の長男として、会社では正直あまり良い目ではみられなかった。当然だ。皆が積み上げてきた努力が叶ってこの会社に努めているところを、ただの血筋だけが理由の私がその努力に土足で踏み込んできたようなものだから。



 評価は努力で覆す。その事だけを考えた。私は周囲からすればとても扱いにくかったに違いない。でも、私が会長の息子だからといって特別な扱いをしたり気を使ったりをしない上司もいた。同じ新人として扱ってくれて、お酒をおごってくれたり、悩みを聞いてくれたりした。




 休日に彼女にその上司の事について話すと、「良い上司がいて羨ましい!」とお腹に猫パンチをお見舞いしてきた。痛くないパンチに「痛い」と嘘を付きながら、私は苗との将来を見据えるようになった。



 入社から3年が経過したころから、私の会社における環境や評価はだいぶ違うものになった。親のコネで入社した目の上のたんこぶから、今や会社の戦力になりつつあった。そしてある転機が訪れる。大きなプロジェクトチームのメンバーに抜擢された。その中には、部署が違う楓さんもいた。



 その日、久しぶりに楓さんと苗の3人でプロジェクトのお祝いも兼ねて飲みに行った。



「まさか雄君と同じチームで働く事になるなんてね」


「全くです。関わりのない部署同士なので油断してましたよ」


「何それどういう意味?」


「何でもないです」



 私と楓さんの変わらないやりとを見て、彼女は笑った。会話は必然的に懐かしい大学時代の話題になる。過去話は、まだ20代半ばであるのに随分と歳をとった気分になる。



「あなたたち結婚はしないの」


 互いが社会人として生きていくのに必死だったので、あまりその事については触れないでいた。単に私が目を背けていただけなんだが。



「いや、まぁ、その、なぁ?」


 困って彼女に同意を求めたが、苗は良い機会だと言わんばかりに私の目をじっと射抜いてきた。急に酔いが回る気がした。



「グダグダしてると、一気に年取ってタイミングを逃しちゃうわよ」


 楓さんの言うことはご尤もだが、私も言いたいことはあった。お酒の力は偉大だ。普段は腹の底に鳴りを潜めている本音を、こうも簡単に引き出してしまうのだから。



「楓さんだって浮いた話を社内で聞かないですか。私達の心配よりまずは自分の心配が先をした方が良いじゃないかと」言ってやった。恐れより成し遂げた偉業に高揚した。



「心配は不要よ」



 楓さんがビールを煽りながら言った。






 それから私達は同棲する事にした。楓さんに言われたのがきっかけと認めてしまえば敗北した気持ちになるので、そこは否定しておこう。プロジェクトで仕事が忙しくなるしタイミングも良かった。




 程なくして、楓さんが突然会社を辞めた。寿退社と聞かされた時は本当に驚いた。私と苗には、そんな話を一切していなかったではないか。



「ごめんね、急に会社辞めちゃって」


「どうして何も言ってくれなかったんですか」


 起こっていた。私達をさんざん気にかけておいて、自分の私生活は器用にこなす楓さんが憎かった。そう想うようにしていた。本当は、何も相談されない私自身の頼りなさに気づいていた。



 楓さんは会社でも一目置かれていた。このままいけば、彼女が同期の中で一番の出世頭になり、皆を牽引していくのだろうと誰もが思っていたから、勝手に裏切られた気持ちになっていた。



 それから1年が経過して、苗の妊娠が発覚した。




こちらもよろしくお願いします^^


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