第60話 過去編
誰も居なくなった病室。厳密には棗と雄一が取り残された病室は静かな沈黙だけが場を支配していた。その空間に、お互いの潜めた呼吸音が微かに漂っている。
どのような言葉をかけるべきなのか。親子という関係を数年間放棄していた2人には、その距離を推し量ることができずに、互いに牽制し合う気配を互いに飛ばす。
先に折れたのは雄一だった。父親としての意地か、それとも大人としてのプライドか、あるいはその両方が彼を動かした。
「椅子に座ってもいいかな」
言いながら雄一は備え付けられた丸椅子に視線を合わた。実の親子であれば、わざわざ了解を得るような内容ではないはずなのだが、随分と他人行儀めいた言葉はそのまま2人の間にできた溝を示している。
「・・・どうぞ」
たっぷりと時間を使い棗が言うと、「ありがとう」と丸椅子を引いて棗が休むベッドの脇へと腰を下ろした。
それからも、多少の間が生まれる。その間、雄一は自身が置かれている状況を整理していた。出張先の海外で娘の棗が倒れたと聞かされた彼は、その後の予定をキャンセルし急遽帰国した。日本に到着して早々、急いで棗が搬送された病院へと駆けつけた。
詳しい容態は聞かされていなかった。ただ、棗の身の回りのお世話をしている使用人から娘が倒れたとだけ聞かされ、ここまでやってきた。
焦燥と緊張が混じった気持ちで病室を開けると、電気を点けていない薄暗い質倍で既に意識を取り戻している娘の姿が一番に目に映った。それから、虎二郎と、椿を捉える。
娘の一大事ではないとわかった途端、床がスポンジ並の柔らかさに変化したと思うくらい、上手に立てなくなっていた。体の内側に留まっていた重みが、全身から流れ出たような違和感が彼を襲う。
最愛の娘が無事であるならばそれでいいと、それだけを思っていた雄一であったが、彼の悲劇はその後に楓と出会ったことだろう。
唐突に彼女が目の前に現れ、雄一は狼狽を隠せなかった。それから、昔のように彼女にペースに乗せられ、妻である苗が亡くってから今まで無意識に避けていた娘と向き合うハメになってしまった。
いや、いずれはこのようにしなければと片隅ではわかっていた。ただ、その片隅の気持ちを掬い上げるだけの勇気が彼にはなかった。
昔から背中を押してくれたのは楓だった。それが、時を経て今も変わらないとは、なんとも成長していないものだなと、雄一は心の中で自嘲気味に笑った。
そっと、大きくゆったりと息を吸い込んだ。肺に溜まった空気を吐き出すついでに言葉を混ぜる。
「どこから話すべききかがわからないが」
それから、雄一は長い昔語を綴った。
◇◆◇◆◇◆◇◆
「食品メーカー!?」
「うん、そうだよ!」
まだ私と彼女が結婚する前の学生時代の頃まで話しは遡る。皇家の長男として産まれた私は就職活動とは無縁だった。反して、苗は学生の本分に漏れず就職活動に明け暮れていた。
そんな彼女が、ある会社名を口にした。基本的に1日中テレビを点けていれば、CMで必ずその会社の商品を目にする機会があるであろう、日常に浸透している有名企業であった。
「だ、大丈夫なのかい?」
「厳しい倍率だと思うけど、頑張ってみる!」
「あ、あぁ・・・」
私の心配を他所に、彼女は就活に向けて前向きで希望に満ちていた。面接だって一度や二度ではないはずだ。きっと、何度も面談を受け、その中でも採用に至る人材などその中の何割になるのやら。
これを誰かが聞いたら、ろくに就職活動を経験しない親の七光りが何を偉そうに、そう思うかもしれない。ただ、私の彼女への心配はそのような上から目線によるところではなく、実のところその業務内容にあった。
「一応聞くけど、営業かマーケティングだよね?」
恐る恐る彼女へ尋ねる。返ってきた返答に私は頭を抱えた。
「開発!」
「君さ・・・自分の自炊した料理を食べたことなかったっけ」
「死ぬかと思ったねアレ・・あっはっはっはまいったまいった」
アレ、と豪快に笑いながら二文字で済ましてしまったソレは、それは悲惨なものだった。一体アレは何だったのだろう。料理の見た目を形容する際に、後にも先にも禍々しいと表現することは今後ないと断言できる。
「そんなものを造り出して、よく食品メーカーのあまつさえ開発に携わろうなんて思い至ったね。新手のテロ?一度頭の中を病院で診てもらってから就活を始めても遅くはないんじゃないかな」
たっぷりと込めた皮肉を意に介せず、「大丈夫!」と根も葉もない自信を滲ませた。この根拠はどこからくるのか。火のないところから煙が上がる光景を見せられているような気分になった。
そもそも彼女は特別な家系の育ちではない。ただ、海外転勤の両親の元で産まれ、長い間海外で生活をしていた経歴をもつ帰国子女というだけで、それ以外は少しネジが外れた明るさをもつ普通の子だった。
いや、彼女を普通という言葉の枠で収めてしまうのは無理があるか。なんといっても、桁外れに並外れた容姿が彼女の異質さをたらしめていた。大学で美しい銀髪の彼女を初めて瞳に映した時には、私は灯りに寄せられる虫のように彼女に引き寄せられていたのかもしれない。
始めはアルビノなのだろうと思った、実際にアルビノ患者を見たことはなかったが、その特徴からしてそうではないかと安直に考えた。しかし、その髪色はメラニンの不足による白色ではなく、陽の光を弾くほどの輝きを放つ銀髪なのだ。興味を抱くには十分だった。
私は高校3年の受験シーズンに、当時付き合っていた彼女と別れた過去があった。勉強が忙しいという尤もらしい理由で疎遠になっていた当時の彼女が、実は他の男と浮気をしていたという味気のないありふれた内容だった。
身の潔白を主張する言い訳を陳列棚の商品如く並べ、ワカレタクナイだのサビシイなどと述べたと思えば、アナタノセイだのキライと言い始め、挙句の果てには「傷ついたから慰謝料を払え」と訴えてきたから笑うしかなかった。
当然慰謝料なんて払うことなく、なぜか私が謝って穏便に済ませた。
そんな記憶に新しい過去を経験していたので、当分は恋愛になんて興味を持つことはないだろうと高をくくっていた矢先の苗との出会いだった。
幸い、参加したサークルに彼女はいた。ほんの興味本位で参加することにしたボランティアのサークルだった。歓迎会と称した大学生の登竜門であるサークル呑みが開催され、私を含め新入生は未成年である筈なのに、当然のように居酒屋の予約をとり、当たり前に酒をオーダーし、何食わぬ顔で店員は私達にお酒を差し出す。
高校生活ではありえなかった生活環境の一変に、私は浮かれていた。一番の要因は、私の隣に偶然座ったのが銀髪の少女であったからに他ならないんだが。
正直、今までもお酒はある程度嗜んでいた。時代が時代なので、友達を自宅に呼び、徹マンをしながら飲む事もしばしばあった。父親から高級な赤ワインを拝借しては、芳醇な香りと舌に絡みつく渋みにうっとり・・・しているふりをしていただけなのだが。だから、ある程度はいける口だと自負していた。
始めは慣れない飲みの場で余所余所しい雰囲気の新入生も、お酒というガソリンにより気持ちが燃焼され会場は賑わった。実はこの時の記憶はあまりない。かなり酔っていた。
意識が薄っすら戻ったときには、情けないことに私は面識のない女性に肩を支えられながら公園のベンチにかけていた。それが楓さんとの出会いでもあった。なぜか、着ていたはずの長袖はなく上半身裸になっていた。
「あ、起きた」
楓さんが、僕の様子に気づいた。まだ視界がグルグルと回っている。私はどれぐらい飲んだのだろうかと、考察しても記憶がない以上無駄だった。少し頭痛もする。
「おーい。大丈夫ですかー?」
「はえ?」
楓さんではないもう1人の間延びした声が耳元をくすぐった。その方向へ振り向いてみると、意識のハッキリした銀髪の少女が、私を興味深く観察するように屈んで顔色を伺っていた。
それが苗と初めてまともに会話した、上半身裸だった事実を除けば記念すべき日となった。
相変わらずダラダラと投稿していますか、宜しければご覧ください。少しの間過去編が続きます。
こちらも執筆を始めたのでよろしくお願いします!
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