第56話
気候もすっかり秋めいた頃合いに、二学期の中間考査が始まろうとしていた。この中間考査を乗り切れば、学生にとってのメインイベントである修学旅行が控えている。文化祭、中間考査、修学旅行と隙のない布陣はまさにバース、掛布、岡田並みのクリーンナップを彷彿させる。それか高橋、松井、清原か。
文化祭の熱もすっかりと冷め、目前まで迫ったテストに意識が向いている教室ないでは席替えが行われていた。2年に進級して最初の席替えとあって、ちょっとしたイベント感覚なのかクラスはそれなりに盛り上がっていた。
最前列で教卓の目の前に位置するハズレ席を引いた生徒による阿鼻叫喚や、後方の窓際や隣が仲の良い同士の当たりをくじを引き当てた呵々大笑が教室内に飛び交う。
前の席だったメンバーは見事にバラけた。僕は端の窓側席になり、常滑が隣の席になった。今までは柿沼の彼女というなんとも距離感に困る人物だったけど、文化祭以降は自然体に話せるまでに仲は深まっていた。そして、恐らく僕以外で皇さんの秘密を知っているかもしれない人物でもあった。
「とらポンの隣だ!」
「そうだね、よろしく」
こちらこそだよ、と満面の笑みで僕の手をガッチリ掴みブンブンと振り回す。なにこの能天気な感じ。文化祭の時に見せた勇ましい姿と、目の前にいる人物が同一なのか疑わしいくらい雰囲気が違うんですけど。
由樹の傍のくじを引いた女子生徒の嬉しそうな声が届いた。そういえば文化祭のあの一件から、皇さんと由樹も、僕と常滑さんみたいにより打ち解けた気がした。困難を乗り越えると、絆が深まる的なアレかな。由樹が皇さんにお礼を言い、「大したことじゃないわよ」と謙遜するやり取りを何度か見た。今回の席替えも含め、周囲の環境というのは少しずつ変わっていくものなんだなと実感した。
◇◆◇◆◇◆◇◆
季節の変わり目は風邪が流行るのはお決まりだけど、その波は近くまで及んでいた。クラス内でも風邪で休み生徒がいる。それも1人2人ではなく5人も。悪いウィルスに感染しているんじゃないかと心配になったけど、幸い流行り風邪が重なっただけらしい。
テストまで2日前と迫ってからの風邪により休みは成績に大きな影響を与えるのは確実で、この時点で大きなハンデを背負わされている。
ふいに、皇さんの体調が気になった。単純なもので、皇会長の約束の話しを皇さんに聞かされてからは、毎回一位を取る皇さんに対してただ「すげー」とだけ思っていたのが一変し、こっちまでプレッシャーを感じるようになった。
翌日に異変は訪れた。喉にある異物を気にするように、皇さんが喉に手を当ててコホンと、小さな咳をするようになった。それは、時間が経つにつれて比例して回数が多くなる。
「風邪じゃない?」
椿が心配そうに言った。誰がどう見ても風邪の前兆だったため、周りの皆も異論なく椿の問いに対する皇さんの返答を待っていた。
「・・ちょっと喉に違和感があるだけよ」その声も、調子が悪い笛のように薄っすらと掠れている。
「無理しないで早退したら?」
「・・・そうね。もう少し様子をみてダメそうならそうさせてもらうわ」
皇さんはそう言うけど、コンビニ弁当もあまり口にしないで、ほとんどが手つかずで残っていた。その翌日はマスクをして登校してきた。顔の半分が覆われ、加えて普段から色白なので気づきにくいけど、顔が青白く変わっている。
昼食もコンビニ弁当からゼリー飲料や栄養ドリンクに変わっていた。コホンコホンと咳をしながら焦点の合わない視線を撒き散らしながら、それらを飲んでいる姿は誰がどう見ても風邪を引いているようにか映らない。
「風邪引いてるよね?保健室行くよ」
椿が、教室からの強制退場を告げるも皇さんは首を横に振った。声を出すのも億劫なのか、「意識は、はっきり、してるの」とゆっくりと喋る姿が痛々しかった。
「とらポン、どう思う?」
五時限目の英語の授業で二人ペアを作って英会話をする時間に、常滑さんとペアになった時に聞かれた。英語じゃなくて、日本語で。
「どうって・・・皇さんの話し?」
コクンと、常滑さんが頷いた。「テストの順位が落ちちゃうから、スメちゃんは学校を休むのが怖いのかも」
それは僕も思った。学校を休むというよりは、勉強の手を止めることによって点数の差が縮まるのを恐れている。だから。フラフラになりながらもこうして登校してきているんじゃないかと。
何があったかは知らないけど、前に在籍していた私立の中高一貫校へ戻ることを強く拒んでいる。いや、拒むなんて生ぬるい言葉じゃなく、拒絶に近い。じゃないと、ここまで鬼のように勉強に励んで一位の成績を保つ理由に説明がつかない。
「うちも、せっかくスメちゃんと仲良くなれたのに転校は嫌だなぁ」
常滑さんのセリフが答え合わせとなり、疑問が確信に変わった。一部か全部かはわからないけど、少なからずテストの順位が一位以外だった場合の転校については把握しているみたいだ。
「常滑さんも転校の話聞いてたんだね」探る、というよりは手の内を明かす感覚で言った。
「うん。実はたまたま聞いちゃったんだよねぇ」
話を聞けば、皇さんがポロッとこぼしてしまったらしく、なんだかんで抜けている皇さんらしいと言えばらしかった。
離れた所で、今もなお咳をしている皇さんに目を向ける。明日からテストにも関わらず、容態はどんどん悪化していて、「大丈夫かな」と常滑さんが囁く声量で言った。皇さん自身の体調に関しては、僕たちがどうにかできる問題じゃない。無事に回復してテストに間に合えばいいと、祈ることしかできないのが歯がゆかった。そして、この不安は後日最悪の形で皇さんを襲った。




