第55話
文化祭での一件が落ち着き、椿に料理を教えてもらったりと平和な日常が少し戻ってきたと、どこか安心した気持ちに付け入るようなタイミングで皇さんに告げられた。
「少し厄介な事になりそうだわ」
「厄介なこと?」
皇さんの話によると、文化祭の一件で関東興行の社長が皇会長へ直々に謝罪をしてきたと連絡が入ったらしい。関東興行の社長とはつまり、宮野という男の父親だ。
「でも皇さんは被害者だから、問題を起こしたことにはならないよね?」
「そうね。でも、詳しく話しを聞かせなさいって言われたの。『約束云々は別にして、保護者として』って。全く、そういうときだけ父親の顔をして、都合が良いと思わない?」
答えに困る質問なので、「そう言われちゃうと、仕方ないよね」と無難なセリフを口にする。
「他人事じゃないわよ」皇さんが意味深に口角の端を上げながら続けた。「あの人が『彼にも会社の社員が迷惑をかけたから、謝罪も兼ねて食事をご馳走したい』って言ってるのよ」
「・・・ほ?」
「彼、イコール、獅子山くん、OK?」
「NO THANK YOU」
「とにかく今週末に予定を空けておいてもらえないかしら」
「こ、今週でっか!?」それはまた急な話だ・・・。
週末は椿に次の料理を教えてもらう約束してるんだよなぁ。そもそも、僕が行く必要ってあるのかな?と思ったけど、きっと謝罪というのは建前で、先延ばしになっていた皇さんの進路の件についてが本題なんだろうと察しはついた。
心を読まれたのか、僕がただ単に気持ちが態度に表れやすいだけなのか、皇さんの声が「いつも唐突で申し訳ないんだけど」とだんだん萎んでいった。消え入りそうな小さな火種を守るような気持ちで、「わかった、わかったよ」と慌てて承諾する。
言っておくけど、僕はクールで実力を隠したヤレヤレ系主人公ではないし、転生して意味もなく無敵チート能力を授けられた主人公でもない。強いて言えばオドオド吃り系モブキャラF的なポジションだと自負している。
そんな僕が、これから先皇さんの力になれる保証はどこにもない。けど、それなりの努力はしてみる。要は当たって砕けろの精神だ。砕けたくないけど。
◇◆◇◆◇◆◇◆
週末の金曜日の放課後、僕は自宅には帰らずまっすぐ駅へと向かう。徒歩通学なので、大勢の生徒に交じり下校するのがちょっぴり新鮮だった。電車に乗り数十分揺られ、普段は寄ることのない駅へと到着した。
まだ退社には少し早い時間なので、駅周辺は多くの背広を羽織った社会人で賑わっている。時計を見ながらキビキビと歩く人達が、精密に造られた世の中を動かす一つ一つの歯車のようにも見え、奇妙な感覚になる。仕事終わりの一杯も求めてサラリーマン達が駆け込むであろう居酒屋も、そろそろ開店が近づいているのか表に水を撒いたり看板を出す店員がちらほらと見られた。
同じ東京なのに、僕の住んでいる地域とは随分風景が違うもんだなぁと関心していると、「獅子山くん」と横から声をかけられた。さっきまで学校で一緒だった皇さんだ。
この時期は夕方に近づくに連れて一気に気温が低くなるので、皇さん少し寒そうに身を縮ませながら「待たせちゃったかしら」と言った。
「待ってないよ」
「そう?それより、うまく巻けたかしら」
「大丈夫だと思うよ。この駅で降りる生徒もいないと思うし」
僕は、これから皇さんのお父さんである皇会長と二度目の面会を行う。
「あの人はもう着いてるみたい。お店の名前と場所は聞いてるから行きましょう」
「あ、うん」
もう既にこの段階で胃が痛い。それはもうキリキリと。
立地的に高級なレストランだったらどうしようと思っていたけど、到着したのは以外にも普通のお店だった。入り口に飾られた酒瓶や看板を照らす間接照明は、飲食店というよりはバーの店構えにみえる。
ドアを開くと、コカランと取り付けられていた小気味いいベルの音がなった。店内は7.8人程が座れるカウンター席と、四人がけのテーブルが2席あるだけのこじんまりとした広さで、カウンターの裏の棚には様々な種類のお酒が窮屈に見えるくらい所狭しと並ばれている。やっぱり、ここはバーのようだ。初めて入った・・・。
カウンターには、妙に年齢がわからない男の人の店員が1人。こういう時は店員じゃなくて、バーテンと呼ぶべきなのかな。とにかく、年齢は30代と言われれば納得できるし、40代でも「言われればそうかも」と思えてしまうくらい判別しにくい容姿だった。
まだ開店をしていないのか他の客は誰もいない。いや、奥の席で1人座っている人影が見えた、薄暗い店内でもその人物からオーラが漂っているのがわかる。皇会長だ。
「よく来てくれたね、座って」
皇会長がわざわざ立ち上がって、椅子へと案内をしてくださった。身に余る思いに、オドオド系吃りモブキャラFの存在感を遺憾なく発揮した僕は、「あ、えっ、その」と早速吃りながら滅茶苦茶動揺しつつ椅子に座った。大丈夫かな、なんか失礼な事しちゃたかな。幸先がいきなり不安です。
◇◆◇◆◇◆◇◆
「うちの者が迷惑をかけて本当に申し訳なかったね」
皇会長が頭を下げた。こんな僕なんかに下げさせてしまった。身に余るどころこか、いよいよ裂けるんじゃないかな。むしろ怖い。マルBがカタギに「いつも迷惑かけてごめんね」と謝るより怖い。
「そ、そんな、大したことは・・・」
「お詫びに美味しいご飯でもご馳走させてくれるかな。それがお詫びになるかはわからないけど」
「ゼンゼンダイジョウブデス」
「ここの料理はそこらのお店より美味しいからね。互いにお酒が飲めないのが残念だよ」
どうやら皇会長は仕事の合間に時間を作ったらしく、食事が終わった後も仕事に戻らなくてはいけないらしい。「好きなものを頼んでいいからね」と、メニューを差し出された。
お礼を言って受け取ると、隣で不機嫌を隠そうと堪えている皇さんにもメニューを見せる。触れたら爆発しそうな危険物を慎重に扱う気分だ。
「ど、どれにしようか」
「・・・そうね」
関心がないように呟いた後、「ビーフシチューとエビグラタンと牛肩ロースのパン粉焼きとカルボナーラにするわ。とりあえず」と矢次に注文していく。めっちゃ頼むじゃん。
「獅子山君も好きなものを頼んで。育ちだからね、遠慮しなくていいよ。ちょっとしたお金持ちなんだ」皇会長なりのジョークだった。
「じゃあ、ボロネーゼを・・」
遠慮したわけじゃないんだけど、「それじゃ足りないから、私が適当に頼んでおこう」と、皇会長は肉ぼ盛り合わせなども一緒に注文した。
出てきた料理は本当に美味しい。カウンターの更に奥に厨房があるらしく、カウンターに立っていた男性が調理するのかと思いきや、もうひとりが厨房にいて腕を奮っているらしかった。
会話の話題は、前回と違い差し障りのないものだった。僕の家族話や学校の事、世間話もあった。皇さんの進路の話題は一切上がってこない。流石と言うべきか、話し上手で仕事の話しなんかも僕に聞きやすいように合わせて話してくれるので、気がつくと緊張感は体から抜け落ちていた。皇さんも大人しく運ばれてきた料理を食べていたけど、実はただ舌鼓を打っていただけかもしれない。
「またで申し訳ないけど、そろそろ私は行かなくて行けない時間だ」
あれから2時間程経っただろうか。気がつけば割と長い時間が経過していた事に驚いた。会計を済ました後、バーテンと一言二言会話を交わした皇会長と一緒に店を出た。
「あの、ありがとうございました、ご馳走様になってしまって」
「気にしないで良いんだ。今日は君への謝罪だからね。むしろこちらこそありがとう、楽しかったよ」
皇会長に「楽しかったよ」と言われるだけで、お世辞だとわかっているにも関わらず高揚感が溢れてくる。存在の価値を認められたと勘違いして舞い上がっているのかもしれない。危ない危ない。
「それとこれ。電車移動の交通費」
言いながら、皇会長が僕に小さな白い封筒を渡してきた。それを反射で受け取る。
「いやいや、大した金額じゃないので、ダイジョウブデス」
ポチ袋みたいな封筒を返そうとしたけど、「君は『高校生を呼びつけておいて交通費は負担させる大人』と私を笑いものにする気なにかい?」、とやんわりと断られた。
「非常識な金額が入っているわけじゃないから安心してくれ。千円程度だよ」
「は、はぁ」
僕が承知すると、皇会長は控えめに微笑んだ。その笑みには人間としての感情があり、皇さんが話す皇会長の冷たいイメージは感じられなかった。
「それじゃ棗、気をつけて帰るんだよ」
終始進路について触れなかった父親に対して、皇さんは「・・はい」とまだ警戒心を残した風に返事をした。丁度迎えの車が到着し、颯爽と乗り込んだ皇会長が遠ざかっていく。
完全に見送った後、互いに抱いていた疑問を皇さんから口にした。
「今日は一体何だったのかしら」
「さぁ・・」
一言で言えば拍子抜けだった。あれほど構えていたのに、向けられた銃口から出てきたのは乾いた音と国旗でした、くらい拍子抜けだ。
「逆に気味が悪いわね。何を考えているんだか」
未だに警戒心を解いていない様子の皇さんに、「意外と食事に誘ってくれただけなのかもね」と言ってみると、「そんな訳ないじゃない」と、言葉を押し返すように言われた。
心の中で苦笑する。なんだかんだ言って、お父さんのことをちゃんと理解しているんだね。心の中で思ったことなので、そのまま心に言葉を閉まっておく事にする。
「それより、本当に千円しか入ってないのか確かめてみたら?大金だったら大変じゃない」
そう言われ、確かにそれもそうだね、という事で早速封筒の中身を確認する。
「どう?」
「・・・・うん、千円しか入ってないよ」
僕は念の為に中身のお金を皇さんに見せると、「買収でもされたと思ったわ」と安心したようだった。渡された封筒を鞄の中にしまったところで、「何か甘いものでも食べに行く?」と誘われた。
「もうお腹いっぱいで・・」
「あら、そうなの?」
「皇さんは少し食べすぎだと思うよ?」
たくさん注文したあと、追加でパスタも注文した皇さんが「そうかしら?」と言った。