第54話
二日間の文化祭が終わり、代休を挟んで登校日となった。この日は文化祭の後片付けに時間を割り当てられているため授業はない。各クラスの出し物や、体育館に設置した大量の椅子や飾りなどを生徒総出で撤去していく。名残り惜しいけど、これもまたひとつのイベントでもある。
僕たちのクラスはゴミを拾い集めるため校内外を巡回していた。その中にはいつも通り登校した由樹もいる。例の一件後、特に処罰を受けることなく事なきを得た由樹は、火ばさみをカチカチと鳴らしながらゴミを探している。その姿も様になっていて世の中の不条理を実感してしまう。
皇さんが宮野という男の前で、自身が皇財閥会長の娘であると告白してからは、一言でいうと爽快だった。はじめに聞いていた時は「何を言ってるんだといつは」と、むしろ小馬鹿にすらしている態度だった。それはそうだよねと、その時ばかりは男に同情する。
けど、証拠に生徒手帳見せたり、後から応接室に入ってきた校長先生に確認を取ったりして、次第に皇さんが話した事が真実味を帯びてからは、態度を一変して謝罪を口にしてきた。
ネタバラシをすると、「関東興行」は皇財閥グループ直属会社の子会社だった。後になって、関東興行の社長は天下りで社長に就任したとこもわかった。
訴えるどころか、逆に訴えてあげましょうか?と皇さんが言うと、あっさりと男は白旗を上げた。まさか手を出した女子生徒が、父親が社長を務める会社の親会社の会長の実の娘だなんて誰が想像できるんだろう。事実は小説よりも奇なり、という言葉を目の前で体感した気分だ。
その日のうちに話しを聞きつけた男の父親、つまりは関東興行の社長が血相を変えながら直々に学校へ謝罪に訪れたようだったけど、すでに僕たちは下校したあとだった。
なので、今日改めて謝罪をしたいと学校へ訪れるとか訪れないとか。
「一件落着してよかったね!」
常滑さんが言うと、「本当にね。皆には迷惑をかけて申し訳ないわ」と何故か謝罪を口にする皇さん。どうして謝る必要があるんだろうかと疑問を抱くけど、そこを常滑さんが代弁する。
「スメちゃんって何も悪くなくない?」
「私が火に油を注がなければ、こんな後味の悪い文化祭にならなかったのに」
「違うよ。仮にそうだったとしても迷惑かけてもいいじゃん」
皇さんが首を小さくかしげ、輝きを取り戻した銀髪が控えめに揺れる。常滑さんの言葉の意図するところがわからないといった様子だった。ただ、その先の続きを黙って待っている姿は従順な犬そのもので、以前までの雪原に咲く孤独な花のような「皇様」のイメージは遠く離れていた。
「だってさ、うちらスメちゃんの友達だから」
快活な笑みを湛えて常滑さんが言う。飾り気もない心の通った言葉だからこそ、それはしっかりと相手に届くと僕は思った。現に、皇さんの瞳が大きく開かれている。その瞳は、幻想的な青色に輝く地底湖のような潤いを含んでいた。
「ありがとう、柚」
「謝るなら、面倒な相手を引き寄せるその美貌を謝ってよ」
「どうしてよ、遺伝は関係ないじゃない」
2人は笑い合いながら、校舎の中庭のゴミを拾い集める。なんかすごく良いなこの感じ。まぁ、今回の一件については僕は何もしてないんだけどね。ただそこに居ただけみたいな。あれ、ただの平常運転でした。
◇◆◇◆◇◆◇◆
その日の放課後。珍しく椿と並んで下校している。文化祭で起こった騒動を、部活の出し物の仕事の都合で現場に居合わせなかった椿に話しながら、僕たちはあるところへ向かっていた。その時、同じ制服をきた生徒からの視線が体のあちこちに刺さってくるけどもう気にしない事にしてる。
既に概要は聞いていたと思うけど、応接室での出来事などの詳細は知らなかったようで、椿なりに「へぇ」と驚いていた。
「いろいろ大変だったんだ」
「一時はどうなるかと思ったよ」
「なんだか、水戸黄門みたいな話しだね」
「この紋所的な?」
「うん。それでさ、その人の父親は結局謝りに学校にきたの?」
「それがさ。皇さんが『謝罪は結構です』の一点張りで相手にしなかったんだよ。『そっちのほうが相手は応えるでしょ?』って。その時の皇さん、ちょっと怖かったかも」
話しながら笑顔で言った皇さんを思い出した。あの時の顔は本当に怖かった。「本当の誠意は皇財閥とか関係なしに謝るものじゃない。私があの人の娘と知った途端に手のひらを返すなんて都合が良すぎると思わない?」とも言っていた。
「・・・確かに、許さないって言われるより放置される方が嫌かも」
「そういうものかな」
「誰かに無視され続けた時も辛かったし」
「・・・さぁ、早く買い物を済ませなきゃね!」
臭いものに蓋をし、注目を浴びながら向かった先は家の近くの商店街。夕方前のこの時間は夕飯前の買い出しの人々で溢れかえっていた。なぜ急に2人で買い出しに来たかと言うと、以前椿に料理を習いたいとお願いしていた件で、それをこれから行うのでその買い出しにきていた。
「そういえば今日は何作るんだっけ?」
肝心な内容を聞いていなかった。材料費は僕の雀の涙のお小遣いから捻出されるので、なるべく安価に抑えたいのが本音です。僕が聞くと「テリーヌ」と椿が答えた。
「テリーヌ?」ナニソレイミワカンナイ。わかった!スカイフックシュートで活躍したNBA選手だ!それはカリームか。カリームアブドゥルジャバー。
知らないことはすぐググる。便利な時代になったものだと、不便な時代を知らないのにしみじみ思いながらスマホを取り出す。今の時代は、調べたい言葉を口に出すだけで調べてくれる便利機能が備わっている。機能自体は10年以上前から誕生しているけど、その精度は年々と高まっているようだ。
「hey Ketsu!テリーヌの作り方」
僕がスマホへ語りかけると、「Ketsu」は検索を開始して「違うかもしれないけど、もしかしたらこれかもしれない」と、長い保身の前置きの音声を鳴らしながらヒットした結果をいくつか並べた。その中にテリーヌの画像があった。見た目オシャンティーだけど、明らかに難易度が高そうでビビる。
「ちょと椿さん、もうちょっと簡単な料理に・・・」
「それじゃ肉じゃが」
「あ、うん、それでおなしゃす」
食材は豚肉と人参と玉ねぎという最小限で抑えた。調味料は自宅にあるものを拝借しよう。椿先生曰く、まずは料理をするという感覚を掴むのが大事らしい。いきなりレベル高い要求な気がするんですけどねぇ。
家に着くと、まだ居間にいた比奈と鉢合わせした。比奈は並んだ僕と椿を不思議そうに見ていた。椿は普段はもう少し遅い時間に出来上がった料理を赤い鍋に持参してくるので、今日みたいに買い物袋をぶら下げたままま一緒に帰ってくる日はなかったっけ。
「あれ、今日椿ちゃん来るの早くない?」案の定比奈が指摘した。
「これから料理を教えてもらう事になったんだ」
「は?なんで?」
「まぁ、趣味にしようかなって。もちろん完成したら比奈にも食べてもらうからね」
可愛い愛しの妹に手料理を食べてもらうとか最高かよ!これは兄の特権だねっ!
「・・・・なんかキモいからいらない」
ですよねー所詮現実の妹なんてこんなもんでしょ。
さっそく調理にとりかかる。包丁を持つ僕の横で、椿が横であれこれと指示を出す。包丁は持ったことはない、というわけじゃないけど、さっそく持ち方を指摘されてしまう。野菜の皮を剥いて程よい大きさにカットして、肉と野菜の順番に炒めていく。
「肉じゃがって醤油に煮込むのに、どうして油で肉と野菜を炒めるの?火が通れば一緒じゃないの?」
「煮崩れや旨味の漏れを防ぐから」
「旨味って焼くと逃げないの?」
「ん」
「ってか旨味ってなに?」
「いいから黙って」
「はい」
こんな感じで、和気藹々と料理教室は続いていく。一通り食材に火が通ったら、水と各調味料を足して煮込むだけになり、キッチンには醤油に砂糖の甘みが溶け込んだ香りが充満していた。酒とみりんも入れたし、それだけで本格的な気がするぞ。
「ご飯のおかずが肉じゃがだけじゃ寂しいかな」
「でも、他に食材買ってない」
「椿先生、何か冷蔵庫に残ってる食材でもう一品作ってくださいよ」
そう提案すると、椿は「いいの?」と返事を返してきた。本当に料理が上手な人は、予め揃えた食材じゃなくて冷蔵庫にある残り物の材料でも美味しい一品が作れるってばっちゃんが言ってた。それがこの小娘は「できない」じゃなく生意気にも「いいの?」と返してきた。いいわよ、その化けの皮を玉葱の皮のようにいとも簡単に剥いでやるわ!
「『もやしとひき肉の春巻きカレー風味』完成。一歩手前だけど」
「まじで?」
なんかこう、ひき肉ともやしをパパっと炒めて粉を溶かしたやつで餡?を作って、余った春巻きの皮でくるくる巻いたらあっという間い完成した。後はカラッと油で揚げるだけ。その手際の良さは素人目から見てもわかった。
「さ、流石だね」
「どう?化けの皮は剥がれた?」椿が、得意げにニッと笑った。あれ、俺その事は口に出してないのになんでわかったの?
「滅相もございません、御見逸れしました」
「ん。あとさ、料理を教えるんだったら今後は私の家に来ない?」
唐突な提案だった。
「椿の家?」
「家の台所の方が教えやすいし、私の料理の先生のママもいるし」
「なるほど。確かに、そっちの方が良いかもしれれないけど・・・」
「それじゃ決定」
こうして、今後は椿邸で定期的に料理教室が開かれることになった。




