第53話
男を殴った由樹1人だけが先生に生徒指導室へと連れていかれた。現場に居合わせた僕たちは、進路相談室で待機するように言われていた。まさか、文化祭でこんあ事に巻き込まれるなんて考えもしていなかった。
あの後、遅れて駆けつけた先生に必死に事情を説明し、由樹の正当防衛を訴えた。由樹が来てくれなかったら暴力を振るわれていたのはこちらの方だったと。話しを聞いた先生は暴力を起こしたのが温和で優等生の由樹と知り、むしろ信じられないといった様子で戸惑っていた。
現場を目撃していた他の生徒の証言とも一致しているという事で、ひとまず僕たちの話しは信じてもらえた。なにより、くびれた皇さんの白細い手首には、男に掴まれた痛々しい痕が赤く残っていた。
先生曰く、殴られた男は応接室で学年主任や教頭先生が対応にあたっているそうで、「殴られてケガをした。殴った生徒を法的に訴える」と癇癪を起こしているらしい。
当然ながら僕たちは怒った。「訴えるのはむしろこちらの方だ」と。けど、皇さんだけは違った。人一倍責任を関している様子だった。
「逆なでするような態度をとってしまった私が悪いのよ」
「棗さんのせいじゃないよ」
何をどう対応しても、あの男はしつこく言い寄ってきたと思う。それこそ、爬虫類が昆虫を追うように。だから結果なんて変わりはないはずだ。
皇さんは「小南くんに迷惑をかけてしまったわ」と重苦しく肩を落とした。窓の外の空には雨雲が広がり始めている。雨は降らない予報だけど、薄暗い空からは今にも大きな雨粒がこぼれ落ちてきそうだった。その薄暗さの影響か、皇さんの銀髪はいつもよりも鈍く映る。常滑さんも、心配そうに皇さんを見守っていた。
やがて皇さんが勢いよく立ち上がった。
「やっぱり私行ってくるわ」
「行くってどこへ!?」
「あの男のところよ」
「ちょ、ちょっと待って。今は先生に待機しているように言われてるんだよ!?」
「このまま大人しくしていろって言うの?」
「行ってどうするの?」
「決まってるじゃない」
皇さんは「『自分が全て悪かったです』と認めさせるのよ」と、部屋のドアに手をかけた。その時、ふいにあることを思い出した。
" 大小問わず、学校で問題をおこなさないこと ”
それは皇さんがお父さんと交わした、この高校へ通うために3つの約束のうちのひとつ。もしも皇さんがあの男と衝突して話が拗れたりしたら、あの約束を破ることになる。それはつまり、他校への転校を意味していた。
「でも、そんな事をしたら皇さんがっ」
言いかけて止めた。事情をしらない常滑さんが目の前にいたからだ。一体どうしたら良いのかと、出ない答えをひねり出していると、「大丈夫だよとらポン」と、常滑さんが明るく言った。この状況を理解しているのかと、疑いたくなるような声色に少しだけ調子が狂う気がした。
「問題にならないように、ウチらがスメちゃんを守れば良いんだよ」
「え?」
「そうすれば何も問題はないでしょ?」
いつもの感じで、常滑さんはサムズアップをした。それだけで僕はわかった。きっと、僕だけじゃなく常滑さんも皇さんの事情を知っている。
「あなた達まで巻き込む必要はないわ」僕たちのやり取りを聞いていた皇さんが釘を差した。
「・・・これは僕たち皆の問題だから一緒に行くよ。それに」
2人は僕の言葉の続きを待っていた。僕は余裕のあるフリをして「それに、誰かさんの言葉を借りるなら『青春』って気がしない?」と笑ってみせた。
2人の反応は様々だった。常滑さんは「何のこと?」と文字が顔に書いているようにキョトンとして、皇さんはぷっと一度笑いながらそのままの余韻でこう言った。
「気がするんじゃなくて『今は青春の当事者』、なんでしょ?」
恥ずかしい台詞なのに、僕と皇さんは張りつめた空気から一変し声を出して笑った。事情を知らない常滑さんだけが相変わらず、キョトンとしたままでそれがまた可笑しかった。
進路指導室へ出た僕たちはそのまま応接室へと向かう。まだ文化祭の開催時間なので、事情を知らない生徒や来場者で賑わっている中を歩くと、担任の新山先生と出くわした。当然、先生は僕たちを止める。
「待ちなさい。相談室で待機するように言われているはずですよ」
「少し用があるんです」皇さんが毅然として言った。
「今は学年主任と教頭先生に任せましょう。もうすぐで校長先生も対応に加わるそうです」
僕たちの行動を先読みした先生が説得する。けど、ここまできたら僕たちも引き下がるきはなかった。進んだ背後には戻り道がない、そんな感覚だ。
「私が説明しなくては埒が明かないと思います」
「・・・とにかく、私は寄らなきゃいけないところがあるから、あなた達は相談室へ戻っておくこと」
新山先生は再び歩き出した足を止め、「そういえば、小南くんに殴られた宮野とかいう男は『俺は関東電興会社の社長の息子だ』って言っているらしいですよ」と、空の天気の話しをしているような調子で言った。
「そうですか」
静かに皇さんが答え、何事もないように新山先生がその場をあとにした。
◇◆◇◆◇◆◇◆
応接室の扉から大きな怒鳴り声が漏れていた。もしここが来場者も行き交う場所だったら、大騒ぎなっていたかもしれない。
皇さんからは迷いや躊躇といった類は一切見られなかった。その様が、困った人を助けずにはいられない無理キュアを連想させた。ノックもなしに扉を開けると、視線が一斉に集まる。取り巻きが数人に囲まれた宮野という言う男は、行儀悪くソファの背もたれに踏ん反り返ってこちらを睨んでいる。
「なな、なんだ君たちは」
教頭と学年主任がいきなり現れた僕たちに慌てる。対して皇さんは涼しい顔だ。
「そこの座っている人にお話があって伺いました」
「お前、さっきの」
「私は『お前』という名前じゃないわ」
「だからなんだよ。そうか、俺を殴った生徒はお前の彼氏かなんかだろ?俺何もしてねぇのにお前の彼氏のせいでこんなになっちまったんだけど、どうしてくれんの?」
宮野という男が治療を受けたのだろう頬に貼られた大きめのガーゼを、見せびらかすように指を指した。不当に暴力の被害にあった証拠だと言わんばかりの顔に腹が立つ。
「間違って立入禁止内に入ったのは謝るけど、だからといっていきなり侵入者と勘違いされて殴られるとは思わなかったよ」
「間違って?」皇さんが男の言い訳を鼻で笑った。
「立入禁止の看板が倒れててよ、それで気づかなかったんだよ。生徒の控室だってな」
「おかしいわね。あなた、教室に入ってき時に『やっぱりここにいた』って言ってたけど」
「言ってねぇよそんな事。ってか何なのさっきから。急に入ってきて言いがかりばっか並べやがって。センセイもこんな生徒の嘘を信じるの?殴られた被害者の俺はどうなんのさ」
「でも、軽食で仕事しているときにもこの人達にしつこく声をかけられましたよ!」常滑さんが応戦するように証言する。
「証拠はあんのかよ?」
で、でたーー!悪者の常套句。この一言をきっかけに状況が一変すると相場は決まっている。
「あんなに大勢の人に見られておいてよくそんな事が言えるわね。あなた、ここのOBというのも嘘よね?こんな頭の溶けた人が先輩だなんて信じられないもの」
「てめぇいい加減にしろよ。俺の親父はな、関東興行の社長なんだよ。その息子にこんな怪我させておいてただで済む筈がねぇよね?」
皇さんが「あら、有名な会社ね」と驚いた表情をみせた。ただ、それが猿芝居だという事はわかっていた。驚いた表情に気を良くした宮野という男が、さらにまくしたてる。
「そうだろ?何なら俺の権力でお前も彼氏と一緒に退学に追い込んでやってもいいんだぜ?」
そんな権力があるわけないじゃないかと、心の中でツッコむ。
「そういえば自己紹介がまだだったわね」
皇さんの声が引きつってる、きっと、笑いを堪えているに違いない。
「知らねぇよそんなもん」
「私、皇と言います」
「・・・それがどうかしたかよ」
「察しが悪いわね。もう一度言うわ。私は皇と言います」
多少の間のあと、男の血の気が引いていくのがわかった。