第52話
後々なって思い返してみると、この文化祭が今後の人生に大きく関わってくる出来事だったのかもしれない。俺にとっても、周囲にとっても。それはまだ先のお話なんだけどね。
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体の芯に響く、イベントの開始を合図する花火が打ち上がる。いよいよ二日間にわたる文化祭初日を迎えた。
教室内で今日の動きの最終打ち合わせが行われ、配られた日程表に目を通す。僕の担当は午前中に調理(うどんとそばを茹でて既製品のつゆをかけるだけ)をして、その後は仕事はない。だからといって、学内を見て回るような予定もないんだけどね。
そして、例の服に着替えた女子達が教室内へとやってきた。
「「「お~~」」」
クラス男子による感嘆のため息の合唱が響いた。もちろん、僕もコーラスとして参加している。学校側の許可が下り、レンタルしたメイド服が昨日到着していよいよお披露目となった。
学校側の条件は、派手な露出とフリルがなく丈の長いデザインであれば問題はないとのことで、クラスで二次元好きとして名高い「ロリコンの佐藤君」先導のもと、厳選に厳選を重ねて選びぬかれたのが、今女子たちが纏っているメイド服だ。
その衣装は白と黒の二種類だけの色使いに、余計な飾りはなく機能性を重視したデザインとなっている。一見すると地味に見えるかもしれないが、無駄を削ぎ落としたからこそ生まれるシンプルさと清楚が共存し、メイドとは本来仕えて給仕を担う職業であるにも関わらず、むじろその存在自体が高貴なものへと昇格しているようだった。長々と解説したけど、要するに僕の趣味にどストライクって事です。控えめに言って最高かよ。
超絶イケメン由樹のためとはいえ、はやり一抹の不安を抱えていた女子たちも、このデザインなら大丈夫だと安心しているご様子。むしろ、「思ったよりヤバい」みたいな感じでなにがヤバいのかよくわらないけど、嬉しそうにキャッキャして写真を取り合っている。こちらの目の保養にもなるし、あっちも嬉しそうだしwin-winってやつだね。文化祭のヒーローは早くも「ロリコンの佐藤君」で決定かな。
「じゃーん!」
ひと際元気な常滑さんが、両脇に椿と皇さんの腕を絡ませてやってきた。見ようによっては拉致をしているようにも見える。
「見てみて!スメちゃんとバッキー可愛すぎて辛い!」
「ちょっと柚!?」
恥ずかしそうに動揺しているのは、意外と皇さんの方だった。堂々と「似合うかしら?」って感想を来てくるタイプだと思ってたけど違った。そのギャップがまた尊いんだけどね!
一方の椿は、相変わらず表情が乏しいけどメイド服にご満悦(?)で、「割とこういうの好きかも」と衣装の質を確かめるように手で摘んでいたりしていた。
文化祭開始とともに来場者がなだれ込み、あっという間に学内は人で埋め尽くされた。僕のクラスの「軽食」に来場者が足を運び始め、パタパタと稼働が少しずつ慌ただしくなる。
調理をする教室と来場者に提供する教室は隣同士に別れているため、メイドに扮した女子達は両方の教室を行き来することになる。文化祭が始まってすぐはオーダーの数がまばらだったのに、時間が経つにつれてその数がどんどん多くなっていた。新たなオーダーを受けた皇さんが慌ただしく小走りでやってきた。日本一の財閥の令嬢が学校で給仕をしているなんて、新鮮ではあるけど違和感がすごい。
「ちょっと忙しすぎない?どんどんお客が増えているのだけれど」
愚痴というよりは、疑問を抱いているように皇さんが言う。教室から廊下を覗くと、うちのクラスの「軽食」には長蛇の列ができあがっていた。その列のほとんどが男性なので色々と察する。
「まぁ・・・みんなお腹すいてるんだよ」
「昼にはまだ早い時間だと思うんだけど」
話しながらも手は動かす。茹で上がったそばにつゆをかけて、安っぽいかき揚げとわかめを添えたらもう完成。できあがった料理を皇さんが手にしているトレイに載せて、「お願いします!」とそれっぽく言うと、「ありがとうございます」と応えながら皇さんはパタパタと隣の教室へと向かっていった。なんだか楽しいかもこれ。
あと、長蛇の列はメイド服目当ての人たちの集まりだよ。
想定外の客入りにより当初組んだシフトは意味をなさなくなる。長蛇の列に驚いた午後のシフトメンバーも午前から加わり、一日を通して僅かな休憩を回しながらクラス総出で対応に追われる異様な事態となった。初日の文化祭終了までには、余分に発注していたはずの2日分の在庫は底を尽きていた。
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目の回る忙しさに開放され一日目が終了したかに思えたけど、用意してた明日の分の食券も無くなったため、新たに刷りおろし余計な枠をハサミで切る作業をする必要があった。それに加え、食材も調達しておかなければいけなくなり、買い出し班と食券作成班に分かれて居残りが発生した。
予定がある人を除き、居残りを嫌がる人はいなかった。むしろこの状況を楽しんでいる。あとになって「文化祭は忙しくて大変だったけど楽しかったね」と語る、1つの思い出作りに興じている節がどこかにあった。
分担は即興のくじ引きで決め、僕と皇さんは学校に残って食券を作成する班になった。買い出しグループは多く人数が割り当てられ、残った教室は一気に物静かになる。
刷られた用紙にいくつも並んだ食券をハサミでバラす作業が捗る。ハサミで用紙を切る時の裁断音が、疲労した体へ妙に心地よく響く。ふいに、隣で同じ作業をしていた皇さんが口を開いた。
「こんな忙しくなるなんて聞いてないわよ」
文字におこせば愚痴にしか聞こえないけど、口元は綻んでいて口調もとても柔らかく優しい。とても不満を漏らしているようには聞こえないので、僕もふざけながら同意した。
黙々と作業していた皇さんの手がとまり、「疲れたぁ」と漏らしながらぐで~っと机に突っ伏してしまった。無防備な姿には、去年まで人を遠ざけていたあの冷徹な雰囲気は皆無で、あれ?同一人物?と疑いたくなるほどだ。
明日の準備に勤しむ教室の雰囲気を肌に浴びるように周囲を見渡した皇さんが「なんだか青春してるみたいね」と嬉しそうに微笑んだ。その頬笑みにまた鼓動が跳ねる。相変わらずその笑顔には慣れそうにない予感がした。
「『してるみたい』じゃなくて、してるんじゃないかな。今は青春の当事者だよ」
僕がそう言うと、鳩が豆鉄砲を食ったようなキョトンした顔が徐々に崩れ、柔らかい声色で「・・・そうだったわね」と止めていた手を動かし始めた。
「私この高校を選んで良かったわ。こんな楽しいこと、今まではなかったもの」
「明日も文化祭は残ってるよ」
「今日みたいな忙しさは嫌よ」
「そこは先生が調整するって話てたよ。材料も一日分しか買わないし、食券も午前と午後の2回に分けて販売するって」
「じゃあ、明日の午後は時間が空くわけね」
午前からのシフトの僕たちは、本来であれば13時から自由時間になっているはずだった。今日はイレギュラー対応で空き時間は作れなかったけど、明日は問題なさそうだ。
「ねぇ、午後から一緒に文化祭まわりましょうか」
「いやいや、変に目立っちゃうから・・・」
文化祭で男女が一緒にいる場合、それはもう「そういう事」と決めつる雰囲気がある。平和に過ごしたい一般人の僕としては、ありがたい申し出ではあるけど素直に「喜んで!」とは言いにくい。
「あら、フラれちゃったわね」言葉とは裏腹に、鼻歌を交えながらチョキチョキとハサミを動かす皇さんはご機嫌だった。
ふいに、僕は今とんでもない偉業を成し遂げたのでは?と気づく。チートレベルで容姿端麗な皇さんから誘われる事自体が1つ目の偉業で、恐れ多くもお断りしたのが2つ目の偉業なんじゃないか。誰かに漏らした途端、今度は袋叩きが未遂では済まなそう・・・。
賑やかな声と足音が近づいてきた。買い出し組が戻ってきたらしい。
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二日目はある程度食券の数を抑え、午前午後に分けて販売した効果がしっかり表れ初日よりも混乱はなかった。ただ問題は起こった。噂を聞きつけていた若い男性客が、メイド姿の女子にちょっかいをだしてきたようだった。
その場に居合わせなかったので詳細はわからないけど、しつこく名前や連絡先を聞かれたらしい。その場はなんとかやり過ごしたらしいけど、とにかくしつこくて怖かったと周りは話していた。
その話は午前のシフトが終わり、待機室で皇さんや常滑さんから聞かされていた。
「私なんて何回も『この後暇?』って聞かれて大変だったわ」
「うわぁ・・・」
話しを聞いてるだけで嫌な気分になってくる、世の中には、どうしてこう迷惑を顧みずグイグイと迫ってくる人がいるんだろうか。僕は草しか食べてないような人間で、害がないだけマシだと思います。
その迷惑な客の話しをしているときだった。ガラガラと待機室の扉が勢いよく空いた。この待機室は本来は広い理科室で、文化祭は在校生以外は立ち入り禁止となっている。でも、扉を開けたのは私服姿の20代前半の一般参加の男性数人だった。
「あ!あの人達だよ」
常滑さんが小声で呟いた、「あの人達」とかつまり、女子たちに声をかけてきた例の迷惑な客って事?
僕のクラス以外にも生徒はいるけど、気にした様子もなく「お、やっぱここにいた」と悪びれる事なくこちらへと近づいてきた。
「あの、ここは生徒以外立ち入り禁止ですが・・」
僕が言うと、「ここのOBだから問題ねぇよ」と睨みつけてきた。問題ないわけないですよね、と面と向かって言おうにも、威圧する態度の数人相手に萎縮し言葉が萎む。
「そんなことよりさ、早く連絡先教えてくんない?」
男は気が立っているようだった。「問題ない」と強がってはいるけど、騒ぎになる前に目的を果たして早くここから立ち去りたいと焦っているようだ。
「何度もお断りしたはずよ。早く出ていってくれる?」
「あぁ?」
皇さんの挑発する言い方が癇に障ったようで、爬虫類のような鋭い目つきが皇さんを捉える。咄嗟に、僕は皇さんを背にして庇う位置で立ちふさがる。電柱だった体は流石に動いた。でも、所詮小さな防波堤に過ぎない僕は「どけよ」と肩を強く叩かれた。そのままよろけて尻もちをつく。
「お前あんり調子乗んなよ」
男が乱暴に皇さんの腕を掴んだ。相当力が込もっているのか、声は上げなかったものの顔が悲痛に歪む。僕は足が竦んで立ち上がれない。ただ、目の前で危険な目にあっている皇さんを見るしかできなかった。
自分の無力さを痛感している時だった。廊下から激しい足音が聞こえ、荒々しくドアが開いた。騒ぎを聞きつけた柿沼と由樹が勢いよく待機室へと入ってきた。
「何やってるんだお前!!」
皇さんの手首を掴んだままの男へ由樹が叫んだ。叫ばれた男よりも僕がこの場で一番驚いたかもしれない。由樹のあんな姿初めて見た。
「あ?お前こそ誰だよ」
「いいからその手を離せ」
由樹の言葉に臆さない男が、「ち、もういいよ面倒くせぇ」と掴んでいた皇さんの手首を乱暴に投げた。その時、「痛っ」と小さく呟いた皇さんの顔が曇った。
心の奥に熱い何かがふつふつと沸くのを感じた。今まで慣れない状況に怯えていた気持ちはどこかへと消え、その熱い何かが体中を満たした。怒っていた。皇さんに乱暴するこの男に。そして、体が小さいから敵わないとか、柿沼じゃないんだからとかそんな言い訳を並べて、コンプレクスを都合の良い言い訳の道具として利用している自分に一番怒ってる。
体を奮い立たせ、もう一度あの男の前に立たなくちゃ、と体に力を入れようとしたときだった。
いつの間にか男との間合いを詰めていた由樹が、そのまま男の頬を拳で殴り飛ばしていた。