第47話
「私、この人とお付き合いしてるの」
毅然として、皇さんが言った。皇会長の目線が少し横に動き、僕を確かに捉える。
残念ながら、抱きつかれた腕に色々と当たっている感触を楽しむ余裕は1ミリもミクロンもない。それよりもだた、死刑判決を待つ被告人の如く裁判官である皇会長の言葉を待つしかなかった。こんな事なら遺書を認めておくんだったなぁ。
人と言うより、精密に作られた機械を思わせる皇会長の顔が、一瞬だけど僅かに曇る。それだけの事が、まるで電卓が暗算を間違えるくらいに現実感がない。
皇会長は、すぐに余裕を取り戻して口を開いた。
「彼は同級生で友達じゃなかったかな」
「いいえ、お付き合いしてます」
少しの間をおいて、皇会長が大きくため息を吐いく。
「人を騙したいのなら、もう少し上手にできないか」
「なんのことでしょう」
「いいかい。相手を上手に騙す時はね、真実に少しの嘘を溶かすんだよ
「何ですかそれ」
空気だけど、僕はちゃんと二人のやり取りを聞きながらブルブルと震えていますよ。
「獅子山君だったかな」
皇会長が下民である僕の名を口にした。
「は、はい」
「娘が色々と迷惑をかけているようで、申し訳ない」
「全然!そんなっ!あ、あのっ、僕の方こそ、ちょっと色々と、あひょ」
テンパりすぎてプロポーズどころかまともに喋れない。後の話だけど、うわー僕ダッセーと数日間自己嫌悪に陥る事となる。
「行きましょ、獅子山くん」
ごにょごにょと情けなく吃っている僕の腕から離れ、皇さんが歩き始めた。だが、すぐに皇会長が言葉をぶつけた。
「仮に君たちがそういう間柄だったとしても、それと留学の件は関係ないよ」
「留学」という言葉を耳にした時、皇さんが苦いカカオを齧ったような表情を作った。それでも、足を止めないで歩く。
「遅くならないうちに帰るんだよ」
皇会長の声を背中で聞きながら。僕たちは喧騒へ紛れた。
◇◆◇◆◇◆◇◆
「・・・恥ずかしい」
皇会長を別れてすぐに、皇さんは路上の端で顔を覆い隠しながら蹲ってしまった。
「だ、大丈夫だったよ」
正直全然大丈夫じゃないっすわ皇パイセンマジエグかったっす、なんては言えない。
「大丈夫じゃないわよ・・・ううぅごめんなさいごめんなさいごめんなさい」
以前から思ってたけど、最近になって皇さんのキャラ崩壊がひどい。いや、取り繕ってたメッキが剥がれてきたと言うべきなのかもしれない。とにかく、第一話の頃のミステリアスな存在感は霧散して、今ではただのごめんなさい美少女の「すまぬぎさん」に成り果てていた。
「あの人の顔を見ただけで頭がカッとなってしまって・・・・それで貴方の前であんな態度を・・・・ううぅごめんなさいごめんなさいごめんなさい」
埒があきそうもないので、強引ではあるけど話を変えてみることにする。
「皇さんのお父さんが言ってた『留学』ってどういう事?」
殻を閉じた貝のように、未だに頭を覆い隠したまま皇さんがボソボソを喋りだす。
「・・・・大学は海外に行く約束なのよ」
「えっ」
くぐもった声だったけど、確かにそう言った。
それから、公立の高校に入学する代わりに皇会長と交わした条件を3つ教えてもらった。1つ目は先程明らかになった海外留学。2つ目は学力テストで毎回1位を取る事。3つ目は事の大小を問わず、学校で問題を起こさないこと。
「これがあの人と交わした条件なの。満たせなかった場合は、私立高へ編入って約束でね」
皇さんの学校での生活態度を振り返ると、合点が行った。まず、学力テスト。負けず嫌いや、世間体を気にしてだと楽観的に考えていたけど、そんなプレッシャーを抱えてテストに挑んでいたのか・・・・。それに、誰とも関わろうとしなかった去年も、もしかしたら問題を起こす火種を作らないようにしていた可能性だって考えられる。
「やめよ、やめ!」
閉じていた殻が突然パカッと開いたように、皇さんが勢いよく立ち上がった。驚いて「うおぁ」と声が出てしまう。なんなら果物の中からいきなり猫が出てきて踊りだす場面に遭遇した時も、同じ声を出すかもしれない。
「その時がきたら、きちんとお話させてもらえる?」
「無理しなくていいよ」
「いいえ、貴方に伝えくてはいけないの」
そう言った皇さんの言葉には、竹を割ったような真っ直ぐな信念と、力強い気風の良さがあった。
「わかった」
圧されるような言葉に負けないように、僕にしては珍しくはっきりと頷いた。
「今度こそ本当に皆の所へ戻りましょう」
そう言って、最後に皇さんは小さく笑った。
◇◆◇◆◇◆◇◆
時刻は21時前。
女子軍団と解散した僕たちは、屋台の片付が始まった会場で関口の言葉を待っていた。
「残念な結果になったけど次に繋げるように努力したい」
敗戦後の選手インタビューのように、関口は結果を淡々と振り返った。そのうち「課題がみつかった」とか「自分のプレーを見つめ直したい」と言い出すかも。
「そもそも、どうしてそんなに急いで告白なんてしたんだ」
柿沼が尋ねる。柿沼を知らない人たちからすれば、威圧しているようにしかみえない。答えたのは関口じゃなく、長谷川だった。
「実はこいつん家、親の転勤で11月に広島へ引っ越すんだよ」
「「「 えっ 」」」
驚きの声が重なった。僕たちは初耳な事実に目を丸くした。
「本当に?」と関口本人に確認をとると「本当に」とバツが悪そうに言った。
「東京から離れたくないって抗議したんだけどよ、仕事の事情じゃ仕方ないよな。でも、親にお願いもしてみたんだよ」
「どんなお願いを?」由樹が促す。
「高校卒業まで東京のアパートに一人暮らしさせてくれって」
「親はなんて?」
「駄目に決まってるだろってさ」
それを聞いた長谷川が「現実はそういうもんだろ」とぼやいた。
「馬鹿お前、一人暮らしを始めたらアパートのお隣が若いお姉さんでよ、甘々な展開になるかもしんねーだろ」と関口が抗議する。
「馬鹿はお前だ。そんな百均で買ったような安っぽい設定を現実にもフィクションにも求めんな。そんなキモい妄想してっからまだ童貞なんだよ、言ってて恥ずかしくねーのか」
「うるせーお隣のお姉さんは野郎の夢なんだよ!・・・・・ってか長谷川、お前も童貞じゃないの?」
長谷川は口角を上げ、ニヤリと笑った。「おいテメーー」と、関口は長谷川に掴みかかった。それはこの二人のじゃれ合い方というのはよく知ってるので放置する。あれれーー長谷川さん。妄想を抱いてない僕も童貞なんですけど。
一通りやり取りが終わった関口が、一変して落ち着き払いながら言った。
「何にしてもだ。少しでもやり残した事がないように、できるだけ清算しておきてーじゃん?仮によ、万が一だけど柊が俺のことを好きだったするよ?そのまま、何も言わずに広島に行った後に、俺のこと好きだったってわかったところでもう遅いだろ。だったら、さっさとコクって、胸に刺さった邪魔な骨を抜いた方が精神的に救われるだろ」
「引っ越しが決まった時点でもう遅いだろ」関口が冷静にツッコむ。
「うるせー、気持ちの問題なんだよほっといてくれ」
そう言った関口の目は、微かに赤みがかっていた。結果は始めからわかっていた口ぶりだけど、フラれた事実はやはり堪えるんだろうか。それでも、傷つくとわかっていても逃げずにした告白は、うだうだと過ごす僕からしたら大きな偉業に思えた。
「とにかくよくやったよお前は。これからファミレスで関口の慰め会と送別会だな」
由樹が関口に本日二度目のチョークスリーパーをかけながらそう提案し、皆が賛成した。この後、他の男子にも声をかけて、大人数でファミレスへ向かって馬鹿騒ぎをして解散した。
帰宅後は、入浴と歯磨き以外はしないでそのままベッドへ倒れ込んだ。
今日という日は一日の内容が濃すぎる。関口の告白に引っ越しの事実、そして皇会長との対面に皇さんの秘密。これから起こり得る予定を煮詰めて凝縮させたような、そんな一日だ。おかげで、頭の保存領域にデータが超過して疲れてしまった。まぁ、トラドライブの容量は128MBなんだけどね。昔のPCのスペックやんけ!
その夜は、疲弊しているのにも関わらず、今日の出来事を繰り返し思い出してはなかなか寝付けなかった。
◇◆◇◆◇◆◇◆
関口が椿へ告白を決行する少し前まで時間は遡る。
「バッキー、ぐっちーが呼んでるよ」
常滑にそう言われた椿は、その時点であらかたの用件について察しがついていた。今までにも、誰かに呼ばれる時は決まってそうだったからだ。
関口に連れられ、人気の少ない境内の中に入った時、柵の裏に隠れる獅子山と皇の姿が目に入った。今回の用件に2人も関わっているのかと、椿は推測する。
何度目ともなる異性からの告白の切り出しは、彼女が考えているものとは少し異なった。
「俺さ、広島に引っ越すんだわ」
「えっ」
「だから、その前に柊の正直な気持ちだけでも知りたくてさ」
その後は予想通りに思いを伝えられ、椿は既に用意してある「ごめんなさい」の言葉を返した。
ここまでは全て想定済であった関口に落胆はなかった。ここからが彼の本題である。
「なぁ、聞いていいか」
「なにを?」
「柊が好きな人って、やっぱり由樹なのか?」
そう言われた椿は、珍しく表情を歪めた。
「違うよ」
「え、違うのか」
「うん。別に、気になる人とかは・・・・」
関口は「そっか」とだけ言って、それ以上の追求をやめた。何にせよ、伝えたい事は伝え、貰いたい返事も貰えただけで今の彼には十分だった。
用件が済み、二人は境内を後にした。先に行くと言った関口と一度別れ、椿も皆のもとへ戻ろうとした時だった。
「お疲れさん」
突然声が聞こえ、椿は横を振り向いた。すると、小南由樹が待ち構えているように立っていた。
「もしかして由樹も関口君の件を知ってるの?」
椿の言葉に引っかかりを感じながら「ん?まぁ、一応ね。それで、またお前のことだからどうせ断ったんだろ?」と由樹が言った。
椿は「知らない」と答えた後、関口に言われた内容を思い出した。それを目の前にいる由樹へ言及しなければ彼女の気が収まらなかった、
「それと、また私が由樹を好きだって勘違いされてた」
そう抗議すると、由樹は可笑しそうに「それは俺に非があるわけじゃないだろ」と反論し、更に「それに、誤解されないように皆の前ではなるべく話しかけないように注意してるんだよ。中学の頃からね」と続けた。
「それはどうも」
「なぁ、お前本当に気になる奴はいないのか?」
もう何度目かとなる由樹の質問に、椿は「いない」と中学から繰り返してる答えを述べた。
その回答に由樹は肩をすくめながら「そっか」とだけ言い、「俺もそろそろ戻るよ」と会場へと歩き出した。
もう何年も繰り返したやり取りにうんざりしながら、椿も足を動かした。