第46話
「二人でこんな場所で一体どうしたのかしら」
僕たちの状況を棚に上げ、皇さんが口にした。空気を読んで、声量は隣りにいる僕にしか聞こえない程度に抑えられている。
二人が近づいてきたので、咄嗟に皇さんの手を掴んだ。「やん」と、皇さんから漏れたが、悶えるのを我慢して死角となる反対側の木の陰へそそくさと移動した。
二人は、そのまま僕たちが今まで座っていた縁石へと向かった。咄嗟に隠れて良かったとひとまず安堵し、そのまま反対側の縁石へと音を立てないようにコソコソと移動した。クセになってんだ、音殺して動くの。
ドン、と火薬の重い破裂音が響いた。打ち上げ花火が上がり始めたみたいだ。関口と椿の声は、ハッキリとは聞こえない。
(どういうこと?)
皇さんが、僕の耳元でヒソヒソと喋りだした。吐息が耳に直に当たってこそばゆいのなんの。僕は声を殺すのにただただ必死だ。ク、クセになってるからね、声殺すの・・・。
状況が状況だけに、僭越ではあるが私こと獅子山虎二郎も、皇様の耳元で囁かせて頂くことにする。
(実は、この祭の最中に椿に告白する計画だったんだ)
(そうだったの?関根君も思い切ったわね)
(関口だよ)
(あら失礼)
話しながらも、鼓動が早くなって落ち着かない。その理由は、木と柵を挟んで向かいにいる二人にいつか気づかれてしまうのではというスリルと、互いに体を寄せ合い、互いの耳元へ、互いに忍び声を囁いている状況の両面にあるのは疑いの余地はないんだけど、不明なのはその比率にあった。
しばらくして、よく聞こえない声すらも聞こえなくなった。不発弾の具合を確かめる慎重さで、恐る恐る木の幹から顔を出して確認すると、二人の姿はなかった。念の為周囲を見渡すも、どこにも二人がいるような気配はない。
緊張から開放され、全身の力が抜けていく。骨がコンニャクにでもなったかと思った。隣の皇さんも同様に、大きく息を吐きながら胸元の浴衣をパタパタさせていた。あ、体を寄せ合ったままだと暑苦しいよね、すみませんでした。それと、いくら僕が生物としても脅威がないとは言え、ちょいと無防備じゃありませんかね。
「まずい場面に出くわしちゃったわね」
「・・・本当だね」
未だに鳴り止まない花火の音を聞きながら、僕たちはその場から動かなかった。示し合わせたわけじゃないけど、念には念を入れてもう少し境内に留まるべきだと判断したからだ。
それから少しして、花火の音が止んだ。それが合図だったのか、皇さんが立ち上がる。浴衣に付着した縁石の小さな石粒を丁寧に払い落としながら「私達も、そろそろ戻らないとね」と、苦笑を交えた。先ほどの質問について、言及する様子はない。とりあえず一安心だけど、それは多少の延命に過ぎない事はわかっていた。
「そうだね、いい加減戻らないと」
◇◆◇◆◇◆◇◆
細長い入り口から境内を出て少し歩いているときだった。
「偶然だね、棗」
黒い革靴とスーツパンツに白いYシャツ、その上に法被を羽織った中年の男性に横から声をかけられた。その声は、祭の喧騒の中でも不思議とよく響いた。
皇さんの歩みが止まる。そのまま時間が停止して動かくなった。大きく目を見開き、凍った時間が溶け出したように声の主へと振り向いた。その動作は、錆びたブリキを思わせるほど鈍い。
「どうして貴方がいるんですか」
その皇さんの一声だけで、言葉に怒りがたっぷりと塗られているのがわかった。対して、目の前の男性は涼しい顔で皇さんの言葉を受け止める。
皇さんが話をしている相手を、僕は知っている。今や日本で男性を知らない人は、よほどテレビを見ていない人か、電気の通っていない秘境で生活している人だけだ。
その男性の名前は、" 皇 雄一 "
皇財閥の現会長で、皇さんの実のお父さん。今後、もしかしたら学校の教科書などにも載るかもしれない人物。そんなヤバい存在の人が法被姿で目の前に現れた。シャンと伸びた背筋に、何でも見通しているかのような深い瞳、そして人を惹き付ける力でもあるのか、皇会長から視線が外せない。
「この祭はね、私の会社が特別協賛をしてるんだ。知らなかったのか?」
言いながら、法被の袖付近を持ち上げると、確かに「皇」という文字が書かれていた。
「・・・こんなところで油を売ってるなんて、忙しそうにしていて案外暇なんですね」
「地域との交流も大事な仕事だよ。それに、今のプロジェクトもだいぶ落ち着いてきたから、私にも息抜きは必要なんだ」
「仕事ですか、息抜きですか、どっちなんですか」
「どっちもかな」
ひ、ひええええええぇぇぇぇぇ怖いよぉぉぉ。
え、なになに、さっきまでの皇さんは何処に行ったの?ってくらい、キャラ変わっているんですけど。ブリザード皇の再来?
「私に何か用事でもあるんですか」
「偶然だっていったじゃないか」
もうヤバい、始めからクライマックス。火花バッチバチ。ヤバい、何これ地上最強の親子喧嘩?だとしたらこれからエア味噌汁とか作り始めちゃう展開?
「友達と来ているのでそろそろ失礼します」
「友達?」
皇会長が初めて僕の存在に気づいたように僕を見た。
「どうも、棗の父です」
「彼は獅子山くん。同級生です」
緊張で声がでない僕の代わりに「もうこれでいいでしょ」、と言わんばかりの勢いで、皇さんが僕の事を紹介する。
「いつも娘が世話になってるね」
その言葉を聞いた皇さんが、皇会長を射すくめるように睨んだ。普段は空と海の境目のような美しい藍色の瞳が、今はメラメラと激しく畝る紅い炎よりも熱く、煌々と静かに揺れる冷徹な蒼い炎の色を宿していた。
「獅子山くん行きましょう」
この場から去ろうと皇さん歩き始めた。しかし、それを「待ちなさい」と皇会長が静止した。
「まだ何か」
いやいや、だから怖いですって皇さん。僕、絶対この人を怒らせないと決めた。
「最近の学校の調子はどうだい」
「・・・・お陰様で、楽しく過ごせていますが」
皇会長は芝居かかった表情で「ほう」と驚いてみせた。
「学校生活を楽しむのも良いけど、約束はきちんと守ってもらうからね」
ここで僕は皇会長の前で「約束?」と初めて声を出した。
「なんだ。クラスメイトには話してないようだね」
「今はそんな話をする時間じゃありません。時と場を考えてください」
「しかし、内緒にしておくのは良くないと思うな」
「・・・」
皇さんが皇会長を親の仇であるかのように見た。いや、実父なんですけどね。
問題はその後だった。
皇さんが突如僕の右腕に両腕を絡ませてきた。比喩でもなんでもなく、そのままの意味で腕を絡ませてきた。そして、緊張な面持と笑みを湛えながら言った。
「私、この人とお付き合いしてるの」
誤字脱字報告いつもありがとうございます!
反省してますがなかなか治りません。