第41話
西日が降り注ぐなか、体育祭当日の最終種目であるリレーが始まった。
パンと、乾いた音が聞こえたと同時に、割れんばかりの声援が場内に響き渡る。
第4走者がバトンを受け取り、アンカーへ繋ぐために弾むようにグラウンドを駆ける。その先に待ち構えている集団の中には、黒い艶のある髪をポニーテールにまとめた椿と、日差しを浴び一層銀色に染まる髪を同じく後ろにまとめた皇さんも混じっている。
ランナーが近づいてくる。両者共に距離を測りながら助走の段階に入った。
アンカーである二人は、もうすぐ同時のタイミングで第4走者からのバトンを受け取るだろう。
予想通り、ほぼ同時に最後のバトンを受け取った2人が並走しながら疾走する。
観戦している生徒が、グラウンドが息を呑んだ気がした。ほんの僅かな静寂が訪れる。体がこの光景を脳裏に焼き付けようとしているのか、二人から目が離せないでいた。
◇◆◇◆◇◆◇◆
時は少し遡り、体育祭の出場種目決めが行われた翌日。
「私リレーに出ることになった」
隣の席である椿が少し胸を反らしながら報告してきた。その時に無駄に強調された胸部の膨らみは、本人に自覚がないという点においても「存在自体が地獄」と評された神タルタロスを連想させる。男子には誘惑、女子には劣等感の檻へ幽閉させ、深い奈落の底で終わることのない苦しみを味あわせ続ける恐ろしい代物だ。若干耐性のある僕でもすんごいって思います。
「へぇあ」と生返事をしていると「あなた運動も得意なの?」と皇さんが身を乗り出してきた。驚くというよりは訝しむように椿へ問いかける。その気になれば学業で上位の成績を納めることもある椿が、実は運動神経も良いなんて「天は二物を与えず」という言葉は意味を無くしてしまう。けど、実際は二物も三物も与えられているのが椿さんなんだよなぁ。近くにいると人間的自信と尊厳が失われるので注意が必要です。
質問された椿は、少し考え込む仕草を見せた後に「別に普通だと思うけど」と言った。
嘘をつくな嘘を。中学の時はたまに部活の助っ人を頼まれていたって耳に挟んだことがあるぞ。
「皇さんはどれに出場するの?」
「私は・・・何だったかしら」
そうか、僕と同じ玉入れ競争にエントリーしたことを教えてなかった。その旨を皇さんに説明すると、「えっ」と予想していなかった反応が返ってきた。あれ、もしかして嫌だったのかな。無難な選択だったと思うけど。
「あれ、ダメだった?もしかして『コスプレ競争』とかの方が良かったとか」
「そっちも中々ね......何でもないの、気にしないで」
選んでって頼まれたから選んだだけであって、不服を言われる筋合いはない。なんて口にできる性格なら苦労はしないんだけど、生憎小心者なんで口にはしませんよ。
「速いよね?」急に椿が言う。当然ながら「何の事?」と皇さんから返ってくるので、「足」と付け足した。主語を言えよ主語を。
「それこそ普通よ」
「体育の体力測定で走ってるの見たけど」
「これでもトレーニングはしてたもの」
「だからリレーで勝負出来ると思ってた」
なるほど。足の速い皇さんがリレーに出場するもんだと思ってたのか。
「期待させて申し訳ないけど、もう遅いわね」
「なんでリレーに出なかったの?負けるのが怖いとか」
こいつは何を言ってるんだ。わざとなのか、まるで挑発しているような言い方に聞こえるんですけど。
皇さんの眉が少し動いた。
「.......いいわよ。欠員がでたら代わりに出てあげる」
あれ、なんだか皇さんムキになってる。もしかしたら椿の天然由来の挑発が、引火性の高い皇さんの負けず嫌いな心に火をつけてしまったのかもしれない。熱くなるなんて意外な一面もあったんだなと、この時はその程度にしか考えていなかった。
迎えた体育祭当日。6月初めのこの時期は雨天が心配されていたが、予め晴れの天気を用意していたかのようにタイミングよく青空が広がっていた。
3年生の選手宣誓と校長の怪我には気をつけてという御言葉を聞き流し、予定通り体育祭が開始された。
とは言っても、自分の出番は少ない。全体参加以外は玉入れ競争しか出場しないし、多少手を抜いても目立たないはずだ。この手のイベントは、運動部や華のある学校生活を謳歌している生徒に託すのが一番だ。
玉入れ競争は午後に行われる。暇な時間が長い僕は適当に座りボーッと観戦する事にする。
同じく暇を持て余したと思われる皇さんが、「暇ね」と隣に座ってきた。甘い香りが衣類からなのか皇さん自体から漂い風に運ばれ、鼻孔をくする。
体操服姿も見て麗しいな、と考えていると唐突に「聞いて良いかしら」と訪ねられる。
「どうしたの」
「柊さんってどんな子なの?」
以前から皇さんは椿の事を気にかけてる節がある。逆に椿もそうだ。2人の間には何か共鳴する何かがあるのだろうか。周波数が同じとか?
「......やっぱり変な奴かな」
2月の骨の芯まで冷えたあの日の夜を思い出す。今まで距離を置いていた椿が突然家に来て、そして公園で感情をぶつけて来たあの夜を。
「確かに、少し変わってるわね」
「どうして椿の事が気になるの?」この際だから聞いてみることにした。
「・・・最大の敵になり得るからよ」
敵?一体皇さんは椿と何を争っているのだろうか。あ!あれかな、文化祭で行われるこの学校伝統のミス旭高校を決めるグランプリ。皇さんも椿もミス旭高校に選ばれてもおかしくないだろうし。椿に興味があるとは思えないけど。
一人考察していると「分からなければ良いわ」と言われ、余計に分からなくなった。
昼食を食べ終え、数少ない僕と皇さんの出番がやってきた。といはいっても、大勢の中で高い位置にある籠の中に玉を放り投げる簡単なお仕事なので、僕の頑張りが組の勝利に大きく左右される心配はないはずだ。それなりに動いてさえいれば問題はない。
開始とともに白い玉を数個広い、頭上の籠へ向かいポイーと投げ入れる。全部は入らなかったけど無事籠の中へ収まった。ふと傍にいる皇さんに目をやると、白い玉を手にしながら固まって動かない。
「・・・・・・・」
視線が動いて目があった。すると、何も聞いていないのに「違うのよ獅子山くん」と否定された。違うって何のことですか。思考を読んでいたのか皇さんは続きを述べる。
「人間には得手不得手があるじゃない。そう、得手不得手。私はこと球技に関しては不得手なだけで、その他においては何の問題はないのよ。つまりは、何もしないでいるのも1つの戦略だと思わない?」
長々と言葉を並べてもらったけど、百聞は一見に如かずと言うし「取り合えず投げてみてよ」と促してみる。
「あなた鬼ね。いいわ、見てなさい」
皇さんが顔を上げた。視線の先には直径が500mm程の円形の籠がある。投擲の動作に入る。僕は目を疑った。あまりもデタラメなモーションで、普段のすべての動きがさまになっている皇さんからはまるで想像ができない姿だった。これから皇さんによって放たれる玉の行方を予測するなんて物理学者でも不可能だ。
「ペイ!」と投げ出された玉は、正面ではなく何故か真横に向かって飛んでいった。そのままブサイクな放物線を描き、遠くにある青組の籠の中へ吸い込まれていった。
知能発達のために身体能力を犠牲にしたと言われるヒトは、単純な身体能力では他の多くの動物に到底及ばない。顎の力ではワニが、足の速さではチーターが、握力ではゴリラが圧倒的に勝っている。けど、ヒトには他の動物には真似ることの出来ない唯一無二の能力があると言われている。それが投擲能力だ。その事実を、皇さんが全人類へ否定した。
「・・・・だから言ったじゃない」
いろんな事を諦めた表情の皇さんの顔が赤く染められていた。
「球技は全般的に不得手なの」
「・・・なんかごめんなさい」
ピィィィーーーーーーー!!
終了の笛がやけに悲しく鳴って聞こえた。
「結果発表おおおぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!!!!」
体育顧問の浜口先生が大きな声を張り上げた。ちなみにこの掛け声は旭高校のちょっとした名物となっている。
籠に入った玉を実行委員会の人たちが、「1、2,3,4・・・・・」とアナウンスのカウントに合わせて放り投げていく。「12」のところで、青組の青い籠の中から、白い玉がポーーンと出てきた。組の籠も玉も同じ色に統一されているので、色違いは本来は発生しない。犯人は紛れもなく皇さんだけど、どれくらいの人が犯行現場を目撃したかは不明なままだ。
◇◆◇◆◇◆◇◆
「安藤が他の組の生徒と接触して怪我をしたってよ」
玉入れの競争の結果発表が終わった直後に、同じ白組の長谷川から聞かされた。安藤さんは、同じ白組で同じクラスの女子生徒でもある。陸上部に所属をしていて、確かリレーのアンカーを努めていたはずだけど。
「転倒の際に脇腹を痛めたみたいでリレーは棄権するらしいぞ」
話を聞いてたらしい皇さんが「本当に?」と長谷川に詰め寄る。急に皇さんに話しかけられた長谷川は驚いた様子をみせながらも「あ、ああ。さっき、保健係に連れて行かれていたから間違いない」と答えた。
"いいわよ。欠員がでたら代わりに出てあげる"
数日前、皇さんは確かにそう口火を切った。由樹に話をして、補欠メンバーに皇さんを追加で登録してもらってもいる。勢いとはいえ、これじゃ本当に皇さんが代役としてリレーに・・・・
「わかってるわ。私が代わりにリレーに出場する」
「まだ何も言ってないよ」心を読まれてたか・・
「それに、あんな情けない姿を見せたままじゃ終われないもの」
あの玉入れ競争の暴投の件ですね。でも、ああいう一面もそれはそれで魅力だと思います。その場にいなかった長谷川が「なぁ、何の話だ?」と聞いてきたので、皇さんの名誉のために「何でもないよナンデモナイ」と有耶無耶に誤魔化しておいた。