第40話
「それぞれの参加種目を決めて行きたいと思います」
視聴覚室の黒板の前には、毅然とした由樹が声を張り上げている。現在行われているのは、数週間後に迫る体育祭の出場種目の話し合いで、視聴覚室には他のクラスの生徒が入り混じっている。
僕の通う旭高校の体育祭の組分けは少し特殊で、同じクラスから赤、白、黄色、青の4つの組に分かれる。つまり、クラス一丸となって協力するのではなく、他のクラスの生徒と同じ組となり、総合点を競うといった方針となる。
なぜこのような振り分けとなったのか経緯はわからないけど、「受験も就職も結局周囲は敵となるという理念の基、クラスでの仲良しこよしを廃止した」という身も蓋もない説が一番有力・・らしい。
どのような基準で振り分けが選定されているのかは謎だけど、僕は白組に選ばれた。同じクラスで見知った顔は、黒板で司会進行をしている由樹と、流れで書記を務めている常滑さん。常滑さんは僕から柿沼を奪った女狐だ。この怨みは忘れない・・・。その他には、長谷川や関口の顔も見られた。
その中でも、異彩な存在感を放っている人物が僕の横に座っている。毎度の皇さんです。
各色の組に分かれ、話し合いを設ける時間となった今、7クラスから4チームとなると教室では狭いため、広い空き教室など利用している。僕たちは視聴覚室を割り当てられた。
白組の監督役は、僕のクラスの担任でもある新山先生が担当することになったわけだけど、開始早々「小南、後はテキトーに進めといてくれ」と一言残し、視聴覚室を出ていってしまった。その手にはアメリカンスピリットが握られていた。
普段は面と向かって顔をあわせる機会がない他のクラスとメンバーと話し合いをするというのは案外難しい。この環境の中で、出場種目を決めなくちゃうけないのか。これも面識の薄い者同士で付き合い方を学ぶひとつの社会勉強なのかもしれない。
「では、借り物競走に出場したい人は挙手をしてもらえるかな」
由樹がミントの成分が含まれている息を吐きながら、広い視聴覚室全体に行き届くように出された声が響く。由樹のファンなのか、他クラスの数名の女子が頬を赤らめながらおずおずと手を挙げる。するとサラリと「樋口さんと林さんね」と、名前を口にする。よく他クラスの生徒の名前を覚えているもんだと関心しながらも、話し合いは続いていく。
「棗さん、どれか一つは強制参加だけど」
先程から由樹の話を聞いているのかいないのか、机に肘を置いた姿勢のまま動かない皇さんに声をかける。ルール上、どれか一つ以上の種目を組の代表として参加しなければいけない決まりとなっている。そもそもこの場はそれを決める時間なんだけど。
「・・・そうね」
あからさまなやる気のない反応。僕も参加意欲があるわけじゃないけど、出場種目は早いものがちなので、もたもたしていると面倒な種目(400m走とか)にあってしまう可能性もある。
由樹の要領の良い進行のおかげか、バラバラのクラスでも市場の競りのように次々と出場種目がきまっていく。本当に早くしないとハズレの種目しかなくなってしまう旨を伝えると、「なんでもいいから獅子山くんが決めてちょうだい」と言われた。なので、残っている中では一番マシな「玉入れ競争」に僕を含め皇さんをエントリーさせることにした。「コスプレ競争」や「粉まみれ飴玉競争」も残ってたけど、それを選んだらきっと怒られるんだろうし。「なんでもいい」の何でもよくない感は異常。
◇◆◇◆◇◆◇◆
各組との話し合いの時間が終了し、その日の放課後。教室でクラスメイトと少し談笑するが、話題は当然体育祭の参加種目について。
「何の競技に参加する事にしたんだ?」違う組になった柿沼が訪ねてくる。
「玉入れ競争だけ。僕なんて競技に参加したって大した戦力にならないからね」
決して運動は得意じゃないが、苦手という程でもない。でも、小さい体はそれだけでハンディを背負わされている事を、若輩ながら痛感している。
「確かに、お前が俺と騎馬戦で戦ったらとんでもないことになるもんな」
「それは相手が僕じゃなくてもとんでもない結果になると思うんだけど」
柿沼の強靭な肉体の前では、生半可な男子生徒であれば太刀打ちなんて出来はしない。
「そういえば、皇さんもトラと同じ白組だったろ。何の競技に参加するんだ?」
問われたので、「なんでも良いから選んで」と言われた経緯を省いて僕と同じ玉入れ競争と答えると、話を聞いていた長谷川くんが口を開いた。
「皇のやつ、今年はどうなんだろうな」
「今年は?」
「去年も皇と同じ組だったんだけど、当日は病欠したんだ。一応学校には登校してたみたいだけどな」
視聴覚室での皇さんの様子を思い出す。「何でも良いから選んでちょうだい」と皇さんは言った。言われてみれば、やる気がないというよりも、体育祭そのものに興味を抱いていないといった感じだった。もしかしたら、参加する気が最初から無かったのかも。
「まぁ、あくまで去年の話だけど」と言うと、長谷川くんは僕の方を叩きながら「な、獅子山くん」と意味深に続けた。
◇◆◇◆◇◆◇◆
あれから一年が経つのかと、帰りの送迎の車内で静かに思い返す。
今まで通っていた私立の中高一貫校ではなく、自分で選択した公立高校への進学に思いを馳せていたあの頃。きっと、環境が変われば何もかもうまくいく、とは限らないけど今よりもマシにはなりたいと思っていた。
でも、実際に入学をするとその期待は早くも裏切られる。正しくは勝手に期待してただけなのだけど、入学時には既に私が皇財閥の令嬢である事実が知れ渡っており、好奇の目を向けられる周りの生徒の反応は棗が中学の時に嫌悪していた時と大差はなかった。
勘違いをしていた。結局のところ、私はどこにいたって普通の子にはなれない。自慢だった銀色に輝く髪も、今は体にまとわり付く枷に感じられた。
孤立するのは早かった。記憶がおぼろげだけど、私に話しかけてくれたクラスメイトの子に、どうしてか「私のことは放っておいて」と言い放ったのがきっかけだったと思う。あの時の私は心の余裕なんてなかった。今もそうなんだけど。
幸いなことに、私は「孤高な存在」として扱われ、それ以外の扱いを受けることはなかった。その立場に便乗し、人を遠ざけているうちにクラスメイトとの関わるきっかけの糸を自ら断ち切ってしまった。
断ち切った糸を修復する方法なんて解らず、運にも見放された私は去年の体育祭前日から体調を崩してしまう。結局それが本格的な孤独の始まりだったのかもしれない。もう引き返せないところまで沈んでしまった。私を引き上げてくれる人もいないし、助けを呼ぶことさえもできない。
それでも、自分が選択した道なだけまだマシだと思う。父の言われた通りの人生を歩むよりは。
彼を見かけたのは夏休みの時だった。買い物(犬グッズ)をしに街へ出た時に、車内から彼が歩いているのを偶然みかけた。やけに小柄な少年で、なぜ気にかけたのかわからなかった。でも、理由はすぐに判明する。夏休みが終わり少し経過してから、校内で制服を着た彼をみかけたから。
校内では身体の大きな人と、外見が整っている確か小南という名前の女子生徒から人気のある男子生徒といつも一緒にいることがわかった。よく分からない組み合わせだけど、2人と居る彼はどこか自信なさげで、隅の物陰に隠れている小型犬を連想させた。もう私的にその雰囲気がたまらなかった。
それからは、私は不思議と自分と重ねるように彼を意識した。私と違い友達もいるし、孤立しているわけでもないのに、どうしてだろう、と自身の気持ちに疑問を抱きながらも。
ある時ふと気付いた。自宅にあるトイ・プードルの人形が、彼にそっくりだった。もちろん、外見は似ていないけど、弱々しく誰かに守られて生きているような雰囲気が似ている。天啓を得た気持ちだった。
歪な感情だけど、私は初めて他人に興味を持ち始める。正しく言えば初めてではないけど。
遠い記憶はまだ幼い頃に遡る。海面を漂う海藻のようにフワフワと浮いた記憶だけど、父と母と一緒に出かけた大きな花火大会。場所は覚えていないけど、とにかく規模が大きかったのは間違いない。その時に出会った小さな迷子の少年。ほんの僅かな時間だけど、あの子は今頃どこで何をしているのかしら。
とにかく、昔に出会った少年以来に興味の湧いた彼を意識しながら空虚な日常を過ごした。
時間は流れて季節は冬のある放課後。この頃になると、彼への気持ちは興味という枠から外れていた。小さな想いの種から、どうにかして手に入れたい、自分のものにしたいという束縛の感情が芽吹き始めた。
契約書なんて冗談で作ってみたりして、我ながら呆れてしまった。こんなもの一体どうするんだろうと。
でも、昇降口で彼から話しかけられた時、あまりの驚きに理性や冷静さは泡のように弾けた。咄嗟に、お気に入りの校舎裏へと連行した。案の定、彼はリードに繋がれたら従順な犬同様に従ってきて、それがまた嬉しかった。
それから、感情のブレーキが壊れた私は・・・今思うと、あの行動力が恐ろしくなるわね。まさかプロポーズを申し込まれるとは夢にも思わなかったけど。
深い記憶の底から這いずり上がるように窓から見える濁った空を見上げると、濁った空が一面を被っていた。もう少しで雨が降りそうと思う前に、窓に数滴の雨粒がぶつかる。
今年の体育祭は、これからの生活はどう変わっていくのかしら。
頼りない彼の顔を思い浮かべながら、未来の自分に問いかけた。
今になって章で分ければ良かったと後悔してます