第38話
「どどど、どうぞ」
「ありがとう」
リビングのテーブルに案内した比奈は、手を震わしながら茶托付きでお茶を提供する。
母さんに日頃から「絶対飲むな」と口を酸っぱくして言われている高級茶葉が入った茶筒が見えるけど、まぁ気にしない気にしない。むしろ、僕に代わっておもてなしをしてくれるんだから感謝をしなければ。
皇さんは微笑んでお礼を言うものだから、慣れていない比奈は蟻地獄の巣に立ち入った蟻のように、皇さんに魅了にズルズルと深く引き込まれていく。ちなみに、僕も皇さんの笑顔を見てマジでドギマギしてる。略してマ○マギ。契約して奴隷になってよ!
「妹さんよね?」比奈の瞳の奥を覗きながら訪ねる。
「は、はい!比奈って言います!中学3年生です!」
蛇に睨まれた蛙と例えるのが正しいのかはわからないけど、皇さんに見つめられる比奈は、背筋を伸ばしなから硬直し、酷くかしこまってした。
「私は虎・・・獅子山くんの今はクラスメイトの皇棗です。よろしくね比奈ちゃん」
「こ、こちらこそよろしくお願いします!!」
動揺のあまり比奈は気づいていないようだったけど、皇さんの「今は」ってセリフがやけに意味深だったな・・・。自意識過剰かもしれないけど。
「せっかくだから、お茶頂くわね」と比奈が淹れたお茶を、様になった動作で一口含む。飲み込んだ時に喉が蠱惑的に動いた。
「美味しいわ、比奈ちゃん」
「あああ、ありがとうございいます!」
お礼を言われて気分が高揚してるのか、比奈が「あ、あの、皇さん、少し良いですか?」といきなり訊ねた。これだけでも、相当な勇気が必要な筈だ。比奈のメンタルは強いらしい。
「何かしら?」
「髪・・・髪を触ってもいですか?」
「カミ?」
「はい!あ、その、凄く綺麗な髪なので・・・」
「ああ、髪ね。いいわよ」皇さんは手ぐしで自分の髪を撫でた。触れた部分から、銀粉が舞い上がった気がした。
「本当ですか!?」
実は以前から非常に興味があった皇さんの銀髪を、僕の代理で初対面である比奈が叶えようとしている。比奈ちゃん、なんて恐ろしい子・・・・。そんな恐ろしい子は、初めて大型犬を触る小さな子供みたいに、恐る恐るといった様子で指の先を銀の糸に触れる。
「スゴっ!サラサラ!!」と、感銘と驚嘆の混じった声をあげる。皇さんも、嫌がる事なく比奈が髪を触れる事を受け入れていた。むしろ、比奈の驚いている反応をみて楽しんでいるように微笑んでいる。
「そんなに珍しいかしら?」
「はい!私、初めて見ました!ウィッグじゃないですよね!?」
「もちろん地毛よ」
「はえぇ~」
初めはよそよそしかった比奈の手付きも、興奮のせいか徐々に遠慮がなくなってきてペタペタ触っている。実に羨ましい。決して疚しい意味じゃなく、僕もあの銀髪を触ってみたい。
「獅子山くんもどう?」
唐突な悪魔の囁きだった。もしかしたら、僕の顔に「触りたい」って文字が書いてあったのかもしれない。当然、神聖な皇さんの銀髪に僕なんかが触れるなどおこがましいので、「ダ、ダイジョウブデス」とお断りをさせて頂いた。
まだまだ皇さんに興味津々の比奈だったが、いつまでも話が進まないので不満がありながらも外してもらった。今は少し離れたソファからこちらの様子を伺っている。監視されているようで居心地が悪いな。
「それで、お礼の件だけど」
「そうだったわね」
本来の目的を思い出し、白い紙袋から菓子折りを取りす。
「本当に友達同士では、こういう事はやらないの?」
こういう事とは、お礼に菓子折りを渡す文化を指しているんだろう。
「うん。正直言うと重い」
「・・・・お、重い?」
皇さんは衝撃を受けたと言わんばかりの顔で、背後に電流が走ったエフェクトが流れてそうなほど驚いていた。
「せめてジュース一本くらいが妥当じゃないかな。軽い感じで奢るみたいな」
「ジュース?そういう詰合せのギフトだったらよかったの?」
「違う違う」
やはり感覚がどこかズレているので、いまいち会話が噛み合わない。根気よく、テコ入れする気持ちで修正を図る。
「自販やコンビニで売ってるジュースのことだよ」
「それだと失礼じゃない?」
まだ納得していないようなので「庶民はそんなもんだよ」と、宥めると「・・・勉強になったわ」と、しみじみと言った。
◇◆◇◆◇◆◇◆
”帰る前にせっかくだから部屋を見ていきたい”
皇さんの口から出た言葉だった。
「獅子山くんがどんな部屋で過ごしているのか知りたいのよ」
そんな、わざわざ知ってもらうような部屋じゃないので「今汚れてるから」と抵抗したものの、押し切られてしまい皇さんは今、僕の部屋の中にいる。
まさか、僕の部屋に母さんと比奈と椿以外の異性が入る日が来るなんて・・・・しかも、世界トップレベルの大企業の令嬢とは、数年前の僕に未来の事実を教えてあげたら「いやいや、童貞こじらせすぎでしょw」なんて馬鹿にするに決まっている。
「片付いてるじゃない」
「ソ、ソウカナ」
軽く周囲を見回した皇さんが感想を漏らすが、さっきのは部屋に招かないようにするための咄嗟の言い訳だから、とは言えない。
そんな事よりも、僕の頭の中は緊張で満たされていた。狭い密室に、皇さんから香るアロマの香りが充満する。その魅惑の香りを嗅ぐだけで、僕の心拍数はぐんぐんと上昇していく。
「あまり物は少ないのね」
「ソンナコトナイヨ」
「そう。ちなみに、初めてよ」
「何が?」
皇さんは、ベッドに腰掛けながら「男の子の部屋に入るの」と言った。その顔は、僕を試している意地悪い顔つきだ。
「つまらない部屋でごめんね」
「そんな事ないわ。私、こういうの憧れだったの」
「憧れと言うと?」
「普通の学生みたいなイベント。それより、なんで立ったままなの?獅子山くんも座ったら?」
少し左にズレて、右手でポンポンと開いたスペースに誘導する。あれ、ここ僕の部屋なんだけど・・・・。
言われるがまま座ってみたけど、軋んだベッドに横並びで、しかも少し手を伸ばせば触れられる程の近い距離にクラスメイトの女の子がいる。思春期にこのシチュエーションで意識するなという方が難しい。
「緊張してる?」
「え、いや、あの」
余裕のない心を見透かされて、恥ずかしい気持ちでいると「実は私もドキドキしてるわ。確かめてみる?」と、自身の左胸に左の手のひらを当てた。
「結構です!」
「あら、つれないのね。ま、焦らなくてもいずれ・・・・ね」
「・・・・・・・・」余計なボロが出そうなので、答えは沈黙とばかりに口を閉ざした。正確には「いずれ」の意味を聞けないただの甲斐性なしなんだけど。
「あなたはどうなの?」
「ファ!?」
スッと、皇さんの手が伸びてきたと思ったら、僕の胸に手のひらを置いた。思わず変な声が漏れる。
「ドクドクしてるわね」
「そう、かな?」
手のひらからじんわりと体温が溶け合っていき、余計に心拍数が早くなっていくのがわかる。体の底から全身が脈を打っているような感覚だった。
「今日はこの辺にしましょう。もともと家にお邪魔するつもりもなかったし、それに」手を僕の胸から離して「私も限界のようだから」と、仄かに赤みがさした顔で言った。
胸から手が離れ解放されてホッとしたような、それでいて少し名残惜しい気持ちも僅かにあって複雑な心境だけど、これ以上は僕のキャパシティを越えてしまう。
「残念だけど、他に済ませなきゃいけない用事もあるし帰るわ」
「あ、うん」
ご機嫌なのか「よいしょ」と小さく弾む声と共にベッドから立ち上がる。雨空のせいで日中でも薄暗い部屋の中でも、ゆらりと揺れた銀髪はいつも通り輝いて見えた。
「ベッドの下を漁るのはまた今度にしておくわね?」
「・・・・そりゃどうも」
「それと、柊さんの分も持ってきたのだけど」白い紙袋の中には、菓子折りがふた箱入っていた。
「彼女の自宅を教えてもらって渡そうかと思ってたけれど、そうもいかなくなったわね」
苦い顔で「重いって思われちゃうから」と、少し拗ねたように言う。ごめん、僕が「重い」って言ったの、結構気にしているみたいで・・・・。しかし、椿にもちゃんと用意している辺り、律儀というかしっかりしている印象を受けた。
「んー、どうしようか。せっかく用意してもらったものだし・・・」
2人で頭を抱えているときだった。
(ただいまー)
1階から声が聞こえた。買い物に言っていた母さんが帰ってきた。