第33話
「獅子山くん、どうかしたの?」
意識の外から投げかけられた言葉にハッとする。皇さんの瞳が探るように僕を捉えた。
「何のこと?」
「心ここに在らざれば視れども見えず」
「え?」
「そのままの意味よ」
「僕、そんな感じだった?」
「ええ、私と話をしていても上の空の時があるわ」
「そうかな」
自覚がないだけで、もしかしたら数日後に椿と出かける日を考えていたのかもしれない。だから、たまに皇さんの前に限らず、どこかボーっとする時があるのかも。
この高揚感は、幼い頃に「また明日遊ぼう」と椿と別れた夕方の時間と似ていた。というよりは、何をして遊ぶんだろう、どんな面白い出来事が起こるんだろうと、期待に胸を膨らませていたあの頃と同じかもしれない。
皇さんに勘ぐられまいと、「最近ますます暖かくなってきたからかも」と誤魔化した。
遊びに行く前日の金曜になっても、椿からの連絡はなかった。学校では皇さんがいる手前、遠慮をしているのかあまり話しかけてこない。
そもそもクラスメイトの目の前で休みの日に一緒に遊ぶ約束を堂々とする行為は、盛んなお年頃も相まってリスキー過ぎる。すぐに浮ついた噂が、人と人の間で言葉というアナログの電波に乗って、速報の臨時ニュースとして飛び交ってしまう。椿がそこまで考えてくれているかは微妙なところだけど。
皇さんはと言うと、最近は「いろいろある」らしく、すぐに車に乗って帰っていく日が続いていた。皇財閥の令嬢なので、本当にいろいろあるんだろうなぁ。なので、一緒に帰宅する機会も減ってしまった。寂しいような、ホッとしてるような何とも言えない複雑な気持ちだ。
学校を終え、夕食後に風呂を済ませた僕は、リビングのテーブルに置いていたI,amPhoneにメッセージの通知が届いている事に気づいた。
"柊椿さんからメッセージが届いています"
確認すると、メッセージが届いてから数十分が経過していた。風呂に入っている間にメッセージが届いたのか。開封すると、「明日だけど10時にキャロットタワーの入り口前に集合ね。その後は秘密」と、簡素な文字が目に飛び込んだ。
「了解~」と返信すると、すぐに「遅れないように!」と注意をうけたので、こっちもすぐに「わかってる」と、返事をした。
一体どこにいくのだろうか。椿のくせして、行く場所は秘密とは粋なことをする。これじゃ気になって眠れないじゃないか。
・・・・嘘です。いつも通りの時間にベッドに横になったらすぐに眠気が襲ってきた。
◇◆◇◆◇◆◇◆
迎えた翌日。最近、天気が崩れる事が多かったけど、この日は雲ひとつ無いまさしく快晴だった。街は平日よりも少し賑わいを抑え、横断歩道の音響がより響いている。
時刻は現在10時05分。場所は指定のキャロットタワーの入り口前。
10時集合で合ってたよね?ついメッセージを読み返してみるけど、集合時間に間違いはなかった。
・・・・椿さんが来ないんですけど。あれかな、実は遠くから僕を友達と観察していて「うわ~本当に来てるよアイツwウケるw」とか言ってないですよね?そうだとしたら泣いちゃうから。
それから更に10分経過し、涙腺が疼き出したと同時に椿が悠然とやってきた。いや、少しはパフォーマンスとして急ぐ姿勢を見せないさいよ。
「・・・・待った?」
「うん」
「ん」
「ん」ってなにさ。人を待たせといてどういう反応ですかねそれ。一周回って面白い。
「遅刻はしないように!」厭味ったらしく椿が送ったメッセージの内容をそのまま伝えてみる。
「うん」
・・・・まぁいいか、椿だし。
それよりも、気になって仕方がなかったので「これからどこに向かうの?」と尋ねると、本当に遅刻なんてなかったような雰囲気を身にまとった椿は「神保町」と言った。
昼前から居酒屋に呑みにでも行くのかな?
とにかく場所のチョイスが渋い。偏見かもしれないけど、神保町は女子高生が遊びに行くような場所じゃないと思う。
てっきり、渋谷とか原宿に池袋辺りを想定していたんだけど。
「何しに行くの?」と聞くと、「買い物」と言うので、黙って着いていく他ない。今日は、僕の時間がプレゼントなのだから、当然僕の時間は椿さんが好きに使ってくれて構わない。
乗換なしで田園都市線→半蔵門線で然程時間をかけずに神保町駅に到着した。
駅を出ると、街を歩いている人はそれほど多くなく、賑わいからは縁遠い場所だった。
「こっち」
軽快に迷いなく歩きだす椿は、ケージに入れらながら散歩を告げられた犬のように居ても立ってもいられないといった感じだった。
着いた場所を見て納得した。なるほど、書店がお目当てだったのか。
通りをさらっと眺めただけで、いくつもの書店が視界に入った。どの書店も味があるというか、ノスタルジックな雰囲気を醸し出していて、確かにアナログに拘る本好きなら堪らないかもしれない。
調べたら、"本の街"なんて称されているらしく、椿からしたら東京デスティニーアイランドや原宿の竹下通りみたいな感覚なんだろうか。
おもちゃ屋で目を輝かせる子供さながら書店の入口の前で「早く入ろ」と僕の袖口を引っ張ってくるが、服が伸びるのでやめて頂きたい。
音楽も何もない、通り過ぎる車の騒音だけが聞こえる店内は、微かな埃と長い年月が経った古本の装丁とインクとの匂いが混じり合っていた。ここだけ、昔を切り取ったような空間の中、椿は早速古本を一冊手にとってページをパラパラと捲っていた。
今日の椿は、柄のない八重桜のような薄桃色のワンピースの出で立ちで、余計な主張がないせいかそれが随分と大人びて見える。青山や表参道を歩いてそうな見た目に、居合わせた周囲のお客さんは椿を盗み見ているようだった。
生まれてもいない昭和を思い出させる店内で、椿の存在は正直浮いていた。
「欲しい本でもあるの?」
「全部」
「強欲だね」
「だからこうして手にとって、直感で欲しい本を買うの」
「フィーリングってやつか」
「トラも何か買ったら?」
言われるまでもなく、僕は目の前にあった本を棚から一冊抜き取ってみた。知らない著者の名前に知らないタイトル。「一九八二年発行」と書かれていたので、結構昔の作品のようだった。
ページを捲ってみても、小難しい文章が並んでいて頭の中には内容は入ってこなかった。参考書だけで精一杯な僕にとっては、読書は高度な趣味に分類されるかもしれない。
椿はとっくに自分だけの世界に入ったようで、とにかく本を取ってはページを捲って戻して、本を取ってはページを捲ってを、ライン作業のように繰り返していた。でも、その横顔はとても楽しそうだった。水を差す気にもならず、せっかくだから僕も一冊本を選んでみようと再び古本に手を伸ばした。
あれから何件も書店をハシゴして、椿はなかなかの冊数を購入したようだった。途中、椿が既に読んだお気に入りの本を見つけ、僕にその本の面白さを雄弁に語ってみせた。まぁ、ご丁寧にオチも全て話しちゃうから、僕が今後読むことはないだろうけど。
気が付いたら、時刻は昼をとっくに過ぎていた。さすがに空腹なので、「そろそろご飯にしない?」と提案すると、椿は「うん。それじゃ行こうか」と言った。
「もう場所決めてるの?」
「うん、御茶ノ水」
「そっか、それじゃ少し歩くね」
そう言いながら、僕は椿に向けて手を伸ばす。手を伸ばされた椿は「ん?」と頭を斜めに傾けていた。「本、重いから」と言って、椿が持っている本が入った手提げ袋を掴み、背負っていたリュックに入れる。
ずっしりと、重量感が肩にのしかかる。さすがにこんな重いものを女子に持たせるほど鈍い男じゃない。
「ありがと」
椿は嬉しそうに笑いながらお礼を言ってくるので、「別に」と素っ気なく振る舞う事で恥ずかしさを隠した。