第31話
食事を終えると椿はしばらく妹とお喋りをしたり、たまに勉強を教えている時もあったりと獅子山家の生活に根を下ろしたかのように溶け込んでいた。
このまま自室に戻るのは空気的によろしくないと察して、椿が家に居る間は僕もリビングでテレビを見たり勉強したりしている。
蔓延する融和的な雰囲気、優しい陽射しによって暖められたような居心地、鳥が羽を休める時みたいな安心感。こんな安らぎを、僕は今まで自らの手で手放し遠ざけていたなんてつくづく馬鹿だと思う。
家事を一通り終えた終えた母さんが、「あんた達って、そうしてると本当に三人兄弟みたいで違和感ないわね」と茶化してきた。
「・・・三人兄弟」ぼそり呟くのは椿。
「椿ちゃんが長女で、その下がお兄だね」
「アホ言うな。僕は猫以下の家畜だよ」
「どんだけ卑下してんの!?」
「椿と比奈の最強ダッグに僕は不要だろ」
「確かに!」
気難しい年頃の妹と良い関係を保てているのも、椿が潤滑油となってくれているからだろうか。以前は険悪ではないけど、そこまで会話をするわけでもなかった気がする。比奈に対して僕からの一方的な片思いでしたからね。あ、今もそうか。
椿が時間を確認するために時計を見る。釣られて僕も時計を見ると、時刻は21時を回ろうとしていた。
「そろそろ帰ります」
「もうそんな時間?延長する?」
比奈が飲み屋のお姉ちゃんみたいに椿を引き止めようとする。ボトル追加する?とか言い出しそう。
「もう時間も遅いから」
「それならさ、今日は泊まっていきなよ!」
「また近いうちに来るから、ね?比奈ちゃん」
「ぶーー」
比奈ちゃんが僕には絶対に使わない猫なで声で椿にお泊りを懇願する。いやダメでしょ。明日も学校だし一応こんなのでも僕男だし色々とね?
頭を優しく撫でながら比奈を宥めた後、予め赤い鍋と一緒に持ってきていたトートバッグに参考書を入れ、帰り支度を整えた椿が玄関へと向かう。
当たり前のように僕も玄関に行き靴を履き、扉を開ける。目的は言わずもがな、椿を自宅へ送り届けるためだ。
「お邪魔しました」「そんじゃ行ってくる」
「またね椿ちゃん!楓さんにもありがとうって伝えておいてね?」
「わかりました」
「今度は家に泊まる計画練ろうね椿ちゃん!」
「うん」
名残惜しそうにする比奈。でも付き合っているとキリがない。それに、会おうと思えば徒歩1分も掛からずに会いに行けるよね?
半ば無理やり「行くよ椿」と言うと、「・・ん」と素直に従い自宅を出る。
◇◆◇◆◇◆◇◆
4月も半ばに差し掛かり、日中の暖かい気候が大気中に蓄積し、夜に少しずつ放出しているかのように、以前までの朝と夜との寒暖差は段々と少なくなった。とは言え、夜に吹く風はまだ少し冷たい。
街の明るさの影響により、星が数個見えるか見えないかの夜空の下を椿と歩く。とは行っても、あと数十秒もしたら柊宅に到着するんだけど。
いつものT字路にさしかかった時だった。椿が突然足を止めた。僕はこのパターンを知っている。椿はこの後に、左に曲がるに違いない。
案の定、椿が自宅がある右ではなく逆の左へ曲がり歩いていった。しかも、振り向きもせず、背中がただ「いいから付いてこい」と語っている。
このルートだと、どうせこの間の公園なんでしょ?でも、あの公園は気恥ずかしさと黒歴史がいっぱい詰まった悪魔のテーマパークなので、できれば行きたくないんだよなぁ。
仕方なく椿の背中を追う。すると、ふと椿の髪に焦点が合った。周囲に輝きを放っている皇さんの銀髪とは対象的に、闇を外へ漏らさないように内側で留めているような漆黒を思わせる長い黒髪が、重さを含んで鈍く揺れている。椿の髪がこの世の光を奪っているから夜が訪れる。ふと、そんな馬鹿な妄想をした。
殺風景な公園に着いた椿は、地面に舞い落ちて少し変色した桜の花びらを踏みながら鉄棒へと歩いていった。あ、今回はブランコじゃないんだ。
椿が鉄棒を握った瞬間に「つめたっ!」と叫んだ。
「学習しないの?」
「うるさい」
「それで、ここに連れてきたって事は何か用件か何かあるんでしょ?」
鉄棒で遊びたかったから公園に来ましたって理由なら、人間である僕は間違いなく椿を置いて家に帰って、一人で仲良くポチャポチャお風呂に入ってあったかい布団で眠るんだろな。人間ていいな。
しかし、用件ってなんだろう?まったく思い当たる節がない・・・訳じゃない。
もしかして皇さんの事?
それしかないよなぁ。
皇さんについて一体どんな事を聞かれるのかとハラハラしていた僕だったが、それは見当違いだった。
「誕生日」
「・・・誕生日?」主語を言え主語を。
「私の」
「おめでとう」
「まだだけど」
「あ、そっか」
徐々に記憶が滲んでくるように、椿の誕生日が4月の下旬頃である事実を思い出した。
甲斐性なしの僕は、ここで「それじゃ誕生日にお祝いするよ」なんて気の利いたことが言えるキャラじゃない。椿に対して、今はなんて言うのが妥当なんだろうか。
思考を春の夜に彷徨わせていると、椿は「プレゼント」と要求してきた。ははーん、それが目的か。
「一体何が欲しいんだ?」シュシュなら僕の机の中にあるぞ?
椿は白く浮かび上がるような細い指を僕に向けて「トラ」と短く言った。
「・・・・僕?」
「ん」