第25話
皇さんの突然のクラス入りによって、教室内は物々しい雰囲気に包まれていた。
朝のHRが終わり、新山先生が早々に教室を出てからそれなりに時間が経過したにも関わらず、席を立とうとする生徒は1人も居ない。
なんで?
どうして?
何かあったの?
前のクラスは?
口にしなくても、皆の心の声が手に取るように伝わってくる。
「獅子山くん」
「・・・はい」
小さな声量でも皇さんの透き通った声が静まり返った教室内に行き渡る。そして僕の声も。
「一限目は何かしら?急な転籍でこのクラスの時間割を貰ってないのよ」
「現国ですけど・・これ、時間割」
時間割のプリントを手渡すと「ありがと、助かるわ」と、ごく自然に会話は続いていく。
クラスメイトは、舞台でも見ているようにただ僕と皇さんのやり取りを観ていた。由樹と柿沼も口が半開になったまま驚いているし、隣の椿はぎこちなく横目でこちらのやり取りを伺っている。
どうしたって色々と目立つ皇さんだが、皇さん自身は目立たないように立ち回っていたはずだ。それなのに、この大胆な行動は誰もが意表を突かれたに違いない。
しかも、誰にでも馴れ合わずに距離を取っている事で有名なのに、教室でクラスメイトの前で僕と普通に日常会話をしているという事実。
そして、もうひとつ確定した事実がある。それは、僕の普通の日常が終わりを迎えた事。グッバイ僕の平和な日常。
授業が始まると、各教科の先生も教室に入るなり皆驚いた様子だった。反応からして、きっと職員の朝礼でも聞かされていなかったのかな。本当に、前々から予定していたわけじゃなく、昨日突発的に決まったのか・・・。
休み時間も皇さんと僕に話しかけてくるクラスメイトはいなかった。由樹と柿沼も、今は様子見を決め込んでいるようだ。
でも、遠慮の奥にはとてつもない好奇心が潜んでいる。きっと、僕と皇さんとの関係を根掘り葉掘り聞き出したいに違いない。でも、相手が皇さんだからそうもいかない。
◇◆◇◆◇◆◇◆
未だに騒然とした雰囲気のまま昼休みの時間となった。
昼の鐘が鳴るなり、皇さんが「獅子山くん」と声をかけてくる。
「お昼、またご一緒しない?」
明らかに「また」という語句を強調して言う皇さんは、まるで僕を誰にも取られまいと牽制しているようだった。
僕がまだ返事を返していないにも関わらず、皇さんはカバンを持ちながら「行きましょう」と教室を後にする。僕も弁当を持ち、皆の視線を全面に浴びながら皇さんを追った。
また校舎裏かな?と思って着いていくと、明らかに昇降口とは別の方向へ進んでいくので「どこに行くの?」と僭越ながら訪ねてみると、「いつものところよ」と答えが返ってきた。だからそれがどこなの?
到着したのは、一度も入ったことがないし、自分には一切無縁と思っていた来賓室の扉の前だった。
教室や他の扉とは違い、重厚な木製の扉、立派なドアノブに思わずたじろぐ僕を尻目に、皇さんは自分の部屋に入るような流れる動作で重さそうな扉を開け、そして中へ迷わず入っていく。
どうしていいものかわからなくて立ち止まっていると、「入らないの?」と声を投げかけられたので、ようやく呪縛から開放されたように身体が動いた。
「失礼します」と言いながら入室すると、威圧感すら感じる扉からも想像できたように、大きなテーブルと革のソファが並んでいていた。絨毯は赤く、農作業をしている風景の絵画が大きな額縁に入れられて飾られている。ここだけが特別を作り上げられた室内だと言わんばかりの造りとなっていた。
皇さんはというと、慣れたように革のソファへ座り、テーブルの上に自分のカバンを置いているところだった。
意を決して、僕も皇さんの向かいに座る。沈むような座り心地に驚いていると、喉を鳴らしながら品良く笑う声が聞こえた。
「あなたって、怯えた小動物みたいで見ていると本当に癒やされるわ」
果たしてそれは褒めているのかなと、一番に思った。それから「そういうところ、大好きよ」と言うもんだから、一気に気恥ずかしさが駆け巡り、「あ、あの、えっと」と言うばかりで、先程の疑問を失念している事にすら今の僕は気付かない。
皇さんのカバンの中からコンビニ袋が出てくる。本日は「極太ソーセージ丸々一本入り!ジャンバラヤ」弁当とレペゼンレモンティーだった。相変わらず庶民派過ぎる。
一摘み分の平常心が戻ってきたので、気になっている事を口にする。
「さっき『いつものところ』って言ってたけど、基本はここでご飯を食べてるの?」
「そうよ」
話しを聞くと、昼の時間に来客はほぼ来ないけど、たまに来賓室が埋まっている場合もあるとの事。そんな日は晴れていれば校舎裏、雨天の場合は進路指導室を利用するらしい。
なるほど、と腑に落ちる。生徒が普段から近寄らない場所ばかりだ。だから、今まで皇さんがお昼にどこで何を食べているのか誰も知らなかったのか。現実は、コンビニ弁当で胃を充たしているなんて予想している人っているのかな。
聞きながら、僕もかにパンじゃなく持参の弁当の蓋を開ける。すると「何それ」と、可笑しなモノをからかうように皇さんが聞いてきた。
「身長を伸ばす為の栄養だけに特化したメニュー弁当です」今考案しました。
まじまじと弁当の中身を確認する皇さんは「・・・毎日こういうのを食べてるの?」と聞いてきたので、当然「そうだよ」と答える。
え?何かおかしい?煮干しにチーズ、ほうれん草にヨーグルト、しらす飯。ごきげんな昼飯だ。
何か深い意味を湛えているように、「獅子山くんはそのままでいいわ」と訴えてくる。
「嫌だよ、背が小さいままなんて」
「そこが良いんじゃない」
「そうかな」
実は僕をからかっているんじゃないかと疑ったけど、微笑む顔と僕を見る藍色の瞳からは一種の優しさが漏れ出して見えた。だから、決して冗談や嘘の類ではないんだと思う。
ただ、その漏れ出した優しさは、僕や妹が自宅で飼っている猫に向ける愛玩と似ているような気がした。
◇◆◇◆◇◆◇◆
昼食を終え2人で教室に戻っても、不自然に居なくなった僕たちを咎める生徒はいなかった。腫れ物に触るような扱いを受けているみたいで胃が痛くなりそうだ。
異様な空気のまま午後の授業も進んでいき、ようやく放課後。
「獅子山くん」
背中から皇さんの声がかけてきた。やっぱり、と思いながら振り返り「はい」と返すと、「久しぶりに一緒に帰らない?」と言う。またもや「久しぶり」の語句を強調し、前々から一緒に下校していた事を周囲に示唆する。
僕に拒否権はないので「わ、わかりました」と情けなく首肯するしかない。クラスメイトの探るような視線が怖い。
「行くわよ」
「うん」
いつもは昇降口か、校舎裏でしか会うことがなかった皇さんと堂々と校内で一緒に歩いている。他のクラスの生徒や後輩に上級生、先生に注目を浴びながら歩く今、とても居心地が悪いです。
靴を履き替えて昇降口を出る。たくさんの生徒が帰宅している中を、僕は未開拓地を切り開くような気持ちで飛び込む。やっぱり、どこを歩いても視線が痛い。「よりにもよって、なんでお前なんだ?」そう言いたげな視線ばかりだ。
「たくさんの人に見られちゃったわね」
校門を出て生徒の数が少なくなった時、皇さんが今の状況を楽しむように言ってきた。
「これからの学校生活が怖いですよ」
「責任は取るわよ?」
「責任?」
皇さんは「これ」と、カバンの中からクリアファイルに入った一枚の紙を取り出し、僕に見せつけた。
今更ながら初めてちゃんと用紙を見ると、上に大きく「誓約書」と書かれ、さらに文字を追う。
第1条から第4条までたくさんの文字で、「乙は甲に対して」とか「これに準ずる」とか「不貞行為を行わない」やらと堅苦しく細かな制約が書かれていて、最後に "私達は夫婦として、一生を添い遂げる事をここに誓います"と締めてあった。その文字の近くには僕があの時に押した血印が赤黒くしっかり残っている。
これガチなやつだ。
想像していたよりもガチ過ぎて怖い。もはや驚きはしないけど、皇さんは一体どこからこんな誓約書を手に入れたんだろうか。
人は嬉しい時や感動した時と、怯えや恐怖のドン底に落ちた時に言葉が出ないんだと学びました。
足を止めて固まっていると、サイコパス皇さんはヒョイと誓約書を取り上げてカバンの中へと大事そうに入れた後に、「そういう事だからよろしくね?」と言った。何に対しての「よろしく」なのかがさっぱりわかりませんけど。
驚愕から立ち直れないでいると、後ろから「ガタン」と音がしたので振り返る。すると、電信柱の影から野良猫が慌てるように走り過ぎていった。
「さっきから付け回していたようだけど、ようやく尻尾を出したわね」
皇さんが言うので僕は「付け回す?猫が?」と口にすると、「違うわ」と、ただ短く言いながら電信柱を見つめる。そのまま「出てきたらどう?」と何かに声をかけると、電信柱の影からゆっくりと人影が出てきた。
現れたのは猫のような気まぐれな性格をした椿さんでした。
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