第18話
ガンッ
それなりに大きな音が、楓さんとの取っ組み合いの末に僕だけが息を切らし、側では椿が風邪で寝込んでいるという意味不明な状況である密室へ響いた。
肩で息をしながら反射的に椿を見る。その時には既に顎を引いて目を開き、こちらを凝視していた。
「・・・・・・・・」
「・・・・・・・・」
「・・・・・・・・」
しばしの無言。エレベーターの中で、知らない人と乗り合わせた時の狭い空間での息苦しさを思い出させる。
沈黙を破ったのは楓さんだった。
「さて、私はお洗濯して夕飯作らなきゃ。あ、暗いから電気点けておくわね」
いかにも「お母さん」っぽい声色で、忙しいアピールをしながら退室しなさった。その、あまりにも自然であまりにも洗練された一連の動作は、見るものの心を奪い・・・・奪われてない、呆気にとられただけです。まじかよあの人、平気で人を売りやがった。
戦慄のなか、この窮地をいかにして脱しようかと、思考を素早く切り替える。やはり、ここは楓さんに全てを押し付ける方向しかない。どうせ時間の問題で、後から全て楓さんの企みだって判明するんだ。
よし・・・・・・・・・・・・・行けるっ!!
「つば「何してるの?」
「ちゃうねんて」
椿様の声が低くてとっても怖いです。半目でこちらを見ている理由は、寝起きのためか、それとも訝しんでいるのか。前者だったらいいけど、そうじゃないんだろうなぁ・・・・・・
よいしょといいながら、羊みたいなモコモコの部屋着を着ながら上体を起こした椿は、意外にも声を荒げることはなかった。代わりに、手を差し出した。
「取って」
「な、何をですか?」恐れ入りますが主語を仰って頂けますか?
「櫛」
短い二文字を僕に投げつけたあと、差し出していた手の指先でテーブルを指す。言われた通り、テーブルの上には櫛が置いてあった。僕は忠犬になったつもりで櫛を取り、恐る恐る椿様へと手渡す。
椿は「ん」とだけ言って、その後は何も言わずに静電気の影響で所々跳ねたようなボサボサの寝癖を梳いていく。ケーキのスポンジに荒く塗られた生クリームを、鮮やかな手さばきで整える職人のように、あれだけボサボサだった髪は規律が守られたひとつの髪の束へと集約していく。
その間、出て行けとか、あっち向いてて、とかも言わずに普通に髪を梳かし続けるもんだから、てっきり僕が透明人間になったか、椿の中で眼中にすら入らない小虫に生まれ変わったのかと思った。
見事に流れるような真っ直ぐな黒髪ロングになった椿は、最後の確認とばかりに手のひらで頭部全体を撫でながら漏れがないかを確認した後、「ふぅ・・・」と小さく息を吐き出した。
そして、僕を見ながら「で?」
僕もオウム返しで「で?」
「なんで私の部屋にいるの?」
「おばさん・・・楓さんが行こうって・・」
言い訳になってない体言止めの言い訳を聞いた椿は、吸った毒を吐き出すように先程より深い溜息をはきながら「知ってる」と言った。その顔は可笑しなものを見るようにふっと笑っていた。
「・・・もしかして起きてたの?」
「うん」
「いつから?」
「ママが様子を見に来たときから。忍び笑いも聞こえてた」
「えぇ・・・」
「ママのことだから、何か仕掛けてくるって思って寝たフリしてた」
あんのアホ、何が「ぐっすり寝てたわよあの子」だよ、完璧に泳がされてるじゃないか。でも、椿も茶目っ気があるって言うか、意外とイタズラ好きなんだよなぁ・・・・似た者同士、やっぱり親子なんだなと実感する。
「ん?寝たフリって事は、やっぱり楓さんとの会話聞いてた?」
「部分部分で聞こえなかったけど」
っべーー、恥ずかしい内容も含まれているから、そこが「部分部分」に含まれている事を願う。お願い神様。
「まさかトラがいるとは思わなかった」
その点に関しては、ははは・・・・と誤魔化して「楓さんってあんなんだっけ?」と、人の捉え方によっては少々・・・・相当失礼な言い方で質問をした。
「昔からそうだと思う。私も中学くらいから気づいた」
「・・そうなんだ」
椿との空白の期間を指摘されると弱い。「だから今日まで気づかなかったんだよ?」と、喉元に刃物を突きつけられて責められている気持ちになる。
「ね、ビックリした?」と、椿にしては珍しく弾んだ声で聞いてきた。「うん、キャラ濃いなって思った」と、楓さんについての感想を述べると「違う」と言う。
「私が起きてた事」
ああ、そっちね。だから主語を・・・
「ビックリした。もう終わりかと思った」
「終わり?」
「いや、なんでもない」
今度は喧嘩で距離があいてしまうかと思った、とは言わなかった。
「それで、お見舞い?」
「ああ、鍋返しに来たついでに。とは言っても、楓さんに強引に連行されたんだけど。あの人、安静にさせてって言っても聞かなくて」
「トラが来て相当嬉しかったんだね。普段はあんなに騒がないよ。多分」
「そうなの?」
「うん。でも、気をつけて。ママ、ああ見えて結構冴えてるから」
「それはなんとなくだけど感じた」
僕が言うと、お互い堪えれずに笑いだした。火のないところに煙は立たないと言うけど、今に至っては笑いという煙の火元が不明のままだ。でも、それも含めて可笑しかったので良しとした。
◇◆◇◆◇◆◇◆
「母さんが作った肉じゃが、鍋に入れて持ってきたから」
長居を避けるため、本来の要件を話して帰ることにした。風邪移されても嫌だしね。
「私がリクエストしたやつだ」
「そんな約束してたんだ」
「うん。おばさんの肉じゃが好きだったから。トラに持って行かせるからっておばさんが」
「ほう・・・」何それ一言も聞いてない。「でもタイミングがな・・・風邪だから食べれないんじゃない?」と言うと「もう治りかけだから明日食べる。それに、肉じゃがとカレーは二日目の方が美味しい」と、満足気に言うので、「ならよかった」と、僕はなんだか安心した気持ちになった。
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