第11話
「わたしトラに何かした?」
「え?」
「なんでずっと無視するの」
「してない、してないよ」
「じゃあなんで・・・・目も合わせてくれなかったの?」
遠回しでもなく、取り繕うでもない。不満や怒りや不安など様々な色の感情が含まれ、それらを濾過し、ただ純粋に伝えたい言葉として絞り出された透明な想いが、椿から吐き出された白い息に宿っているようだった。その曲がることのない誠実さは、僕が知っている幼い頃の椿と何も変わっていない。
「・・・椿だって迷惑でしょ。僕と一緒に話したり、帰ったり遊んだりしているとさ、ほら、変な噂とか立つし」
一方僕は、あれやこれやと理由をつけては言い訳をして、本音を嘘という泥で塗りたくって滲んだ濁水のようだ。
「理由になってない」
「だから、僕なりの配慮なんだよ。それを言うなら、お前だって無視してたよな?」
「トラが無視するから」
だからそれは僕なりの配慮なんだよ。言いかけて止めた。これじゃ話が進まない。同じことを繰り返しているだけじゃないか。まさか、椿と昔のようなに正面からぶつかる日がくるなんて思ってもみなかった。これじゃ幼稚な喧嘩じゃないか。
そう考えると、この状況にも関わらず椿と喧嘩なんてしょっちゅうしていた事を思い出した。だから、今もその「しょっちゅう」の中のひとつに含まれている程度のものかもしれない。
そう思うだけで、心が軽くなるような気持ちになる。一度大きく深呼吸をすると、椿に伝えるべき内容が自然と湧いてきた。僕は、それを口にするだけだ。
恥じらいなく「椿って凄い可愛いじゃんか」と、ありのままの事実を告げる。
脈略のない台詞に椿は「えっ?はっ!?」と、ただ動揺していた。普段クールに見える分アンバランスで面白い。「当たり前でしょ」なんて言われたら腹立つけど。
「でも、僕ってすっと小さくて顔もぱっとしないじゃん」
無言で続きを促してくるので、「だから、椿と一緒にいると負けを感じると言うか・・・・自分が情けなくなるんだよね」と、ずっと隠していた本心を口した。思いの外言葉はスラスラと出てきた。長い間悩んでたのに、蓋を開けてみたらこんなにあっさり言えるのかと呆気ない気持ちになる。
「アホくさ」
椿はたった一言で、僕の恥ずかしいとても恥ずかしい告白を一蹴しちゃう。「トラに嫌われるような事しちゃったのかなって、ずっと悩んでたけど・・ねぇ、わたしの時間返してくれない?」と手を差し出す。
「時間は物質ではないから、返してって言われても無理」
「じゃあ」とブランコから立ち上がり「これからは無視しない?」と、僕の正面を向いた。薄暗くても、椿の瞳に不安の色が残っているのがわかる。
それに対して、仲直りの雰囲気も昔のままで自然に「しないよ」と言えた。椿の瞳に輝きが戻り、安心したように笑う顔を見て、何一つ昔と変わってないんだな、と改めて思う。
それからは、椿の口数も多くなった。そういえば、昔は僕よりもずっと喋ってたなと記憶を辿りながら耳を傾けた。
「学校でも話す?」
「話す」
「学校も一緒に帰る?」
「毎日ではないと思うけど」
「休みの日に遊ぶ?」
「それは恥ずかしいかも」
「今日のロールキャベツ美味しかった?」
「めっちゃ美味しかった。椿ママ料理上手」
「私が作ったんだけど」
「マジか、じゃあまぁまぁ美味しい」
「じゃあって何」
「椿ママというスパイスが重要で」
本当に子供へ戻ったみたいだった。いや、僕たちの関係は子供のまま凍っていて、ようやく溶け出しただけかもしれない。
それから、話は今までの僕に対しての不満暴露大会になった。大会といっても、椿が一方的に僕の愚痴を言い、それを聞くだけなんだけど。
「体育の授業で、トラに転がったバスケットボール拾って貰えなかった」
「覚えてないよそんなこと」
「休日に家の前ですれ違っても素通りされた」
「申し訳ないです」
「消しゴム落としたの拾ってあげてもお礼言われなかった」
「・・・・・・・・・・・」
この後も、不満暴露大会は執り行われた。止めどなく溢れる僕に対しての今までの不満や愚痴は、まるで証言する内容を予め紙へ羅列し、罪状として目の前で読み上げられているようだった。些細な内容が多くで正直「こんな事で根に持つか?」と思ったけど、僕が不安にさせた事で疑心暗鬼にさせていたのかと罪悪感が募る。
あら方言い終えたようで「スッキリした」と、言葉通りスッキリとした顔で椿が「んーーーっ」と小さくうなりながら背伸びをした。伸ばした腕の先から邪気が抜けていく。
「トラは何が好き?」
「何がって何?」主語を言え主語を。
「食べ物」
「背が伸びそうな食べならなんでも。あ、セロリは未だに無理」
「じゃ、また今度何か作って持っていく。比奈ちゃんやおばさんともっとお話したいし」
・・・・・・なにこの良い子!?え?椿ちゃん?絵に書いた幼馴染で逆引くわ~是非化石になって博物館に「純粋無垢」という題名で展示されてくだされ。
「そうだね、きっと喜ぶ」母さんも比奈も。そして僕も。あ、父さんも。
「トラ、あの・・・」
椿は、意を決した時のような、何かに追い詰められた顔をしながら僕の名前を呼んだ。
「ん?」
先程のまでの饒舌が嘘みたいに歯切れが悪く「あ、あの、そのー・・」とブツブツ呟いた後に「気になってる事というか、あ、違う。聞きたい事?確かめたい事があって・・」と、言葉を躓かせながら、結局最後は「やっぱりなんでもない。今はやめておく」と、勝手に諦めた。
お預けを食らったようでモヤモヤした気持ちになるけど、椿と同じく追及は今はやめておこうと思った。
くしゅんっと、椿が小さくくしゃみをする。冷えてきたので「そろそろ帰るか」提案すると「うん」と返事をした。なんだか甘酸っぱいこの時間が終わってしまうのは名残惜しい気持ちもあるし、気恥ずかしさで早く帰りたい気持ちが同伴しているけど、寒いしやっぱり帰りたい。
本来のお努めである椿を家の前まで送った後、お互い「おやすみ」と言い別れた。
僕も帰ろうとしたけど、椿に呼び止められたので振り向いた。
「それじゃ、また明日学校でね。ガオ」
"ぼくはとらじろうだからトラなんだよ!これからはぼくとつばきふたりのときだけ「ガオ」って呼ぶの"
「おまっ!その呼び方はやめろ!!」
幼い頃に僕自身が名付けた黒歴史のあだ名を、最後にぶちこんでくるあたり、前言撤回しよう。椿は純粋無垢ではない意地悪幼馴染だ。
家に帰った頃にはすっかり芯から体が冷えていた。リスケになっていたお風呂に入るかなぁと考えていると、母さんが出迎えてきた。
「随分遅かったのね?」
「まぁ、ちょっと学校のことで話し込んでたから」
「ふーーーん」と意味深な溜めを作った後に「ゴムはしっかりね」とか言いやがった。
「う、うっさいよ!!!!!」
余計なお世話だ、と付け足してから思春期の僕は脱衣所に向かった。