戦争犬の勉強その2
振りかぶるのではなく、手首を返して刀を立てる。
鍔の重みを意識。右手を添えて刀身を落とし、左手で引く。切っ先で円弧をなぞるように、抜けば。
死体ができる。
ラウラ分隊長とのマンツーマンの訓練を続ける数週間。大刀を振るうこともなく、ひたすら打刀を振ってきた。最近では分隊長は私のことを「弟子」と呼ぶようになった。これまでの番号達がアレだったのか、私の筋が良いのかはわからないが彼女の中で私は「教え子」と呼ぶに充分な価値を見出したようである。オモチャという線もないこともない。
どこからか持ってきた竹(?)の棒で、素振りをする私の身体の各所を突っついては「身体への魔力配分が足りない」とおっしゃる。そもそも魔力配分などよくわからないし、教わってもいないが、そこら辺は「感じろ」ってことらしい。どこの銀河の騎士なんだか…。尻尾も立てて先っぽが潜望鏡のようにクルリクルリしてたので、いささか怪しい。アレは私が脇腹つつかれてビクンとなるのを楽しんでた気もする。
ただ人を番号で呼ぶというのがどうも嫌だとは言っていた。彼女ら獣人族の流儀に合わないってことだろう。そこだけは尻尾が勢いよく暴れ回っていたので本当に嫌だってのが伝わって嬉しかった。
無論、刀の手入れも教わった。分隊長から借りてる打刀も大刀も鍛造品なのでそうでもないが、支給品の大刀も小剣も鋳造品なのでここの塩気ですぐに錆が出る。鋳造品の錆は表面だけでなく中まで浸透するの脆くなる。脆くなった鉄は簡単に割れるので充分な手入れは身の安全に直結するわけだな。塩気をぬぐい、油布で拭きあげる。当たり前といえば当たり前だが、コレを怠るバカは多いそうだ。
特に異界人の番号達は武器やブーツや軍衣の手入れを怠るとのこと。まぁ大体の道具はメンテ無しでも使えたし、ダメになったら買い替えるのが普通の生活だったしな。
駐屯地の営庭の真ん中で野営の訓練もした。飯盒をなくしたり火を使えない状況の訓練だと言って私の飯盒を取り上げ、覚えておかねば野営の時に泣く羽目になるぞと、本人は湯を沸かし乾燥豆の即席スープと飯盒の蓋で炒めた干し肉を食べ、優雅に黒茶(コーヒー?)を飲んでたが、私はクラッカー的なアレとナイフで削ったチーズの欠片を食べ、水筒の水で流し込んでいた。ちなみに分隊長の食事のために火を熾したのは私だ。
その時の分隊長の尻尾がピンと立って先っぽだけフリフリされてたのを忘れはしない。間違いなくアレはしょぼくれた私の様子が楽しくて上機嫌な証拠だよな。
時には駐屯地の外へと「偵察訓練」に出たりもした。塩湖を二泊三日で移動する訓練で、支給品の背嚢の中には大きな皮袋の水筒が入れられた。今度は飯盒を奪われることもなく野営の際に暖かいスープと干し肉ソテーにありつくことが出来た。何しろほとんど砂漠みたいな土地なので夜は冷え込む。暖かい食事が何より大事だと良くわかった。火をつけるには浅い穴を掘り、乾燥したヤギの糞の燃料を放り込み、火打石で火口となる炭化した布に火花を落とし、ふーふー吹いて引火させる。匂いはしないが焚火のように盛大に燃えるわけじゃなく明るくもならないので、なんか侘しいと言ってみたら分隊長から拳骨が降ってきた。すなわちこんな見通しの良い土地でガンガン火を焚くなんて敵に居場所を教えるだけだろうと叱られたわけだ。
昼は枯溝を伝って移動する。この塩湖にも雨は降る。およそ40日ほどの雨季があり、その雨が流れ穿つのがこの溝なわけだ。そしてこの溝は敵味方にとっての重要な移動経路となる。塩原をただ歩いていれば1程も先から見られるのだから、見つからぬように行動する偵察で枯溝を用いるのは当たり前なのだ。そして私達が此処に来た最初の日のあの襲撃者達も溝を伝って来たわけで、溝を伝い歩くのは敵の痕跡が残ってないかを調査する大事な仕事である。事実、古いものだが野営の跡というのも見つけた。素人目には何も分からなかったが、分隊長の指す部分だけ地面が柔らかく掘れば炭化したヤギ糞が出てきた。
「結局、地面に立って歩く生き物は地面に跡を残すんだよ」
とっても深い言葉に聞こえて素直に感心したのだが、良く考えれば当たり前のことで重要なのはその痕跡を見つける注意力と経験なんじゃないかと思ったが、先っぽだけ鉤状に曲がった得意げな尻尾が可愛いので黙っておくことにしようと決めた。
さて、この「偵察訓練」だがラウラ分隊長が、以前に本当の偵察行で仕留めて塩湖に埋めたイノシシを掘りに行ったというのが実際のところ。偵察の重要性やわずかな痕跡を見逃さない観察力と注意力を大いに学んだ気になっていた私の感心を返せと言いたい。
曰く「そろそろ食べごろになってるはずだから」
だそうだ。
曰く「作戦行動には主目的の達成だけでなく副次効果の見込めるものが望ましい」
どちらが主目的なのかはっきり聞いてみたい。
指示された場所をスコップで掘り返す。50cmも掘るとゴロリと体長1.5mほどのイノシシの半身が出てきた。背骨から左半分の黒っぽくカチカチの肉。後の半身はその時その場で食ったそうだ。萎れた枯れ草みたいなハーブも張り付いているので、割と丁寧な仕込みをしたのだと思う。弟子なのでってことで特別に足一本を分けてくれて、食べてみれば塩っぱくはあるものの旨味溢れる、食べ応えのある生ハムだった。これはうまい。私に尻尾があればラウラ分隊長のと一緒にシンクロダンスしてるに違いない。
「昼飯がないとツラいだろ?だからこうやって自前で用意してるんだ。だいたい訓練するにしても戦争するにしても肉を食べなきゃ力が出ないだろう!」
なるほど分隊長がいつも干し肉をもぐもぐしてたのは携行食で配られるモノではなくて、こうして埋めておいた獲物だったわけだ。訓練の休憩のたびに「食え」と差し出される干し肉が携行食の流用ではないかと頭に焼かれた軍規が疼いていたのだが、これで安心した。これからは美味い餌付けを楽しもう。
まぁこの駐屯地の食事は、美味くもないが不味くもない。空腹で味を楽しむ余裕もないのだ。ほぼ毎日のメニューだが、干し魚を刻んでハーブを加えた麦粥(っぽい何か)の朝食と、豆と何かの肉団子を入れたトマト(っぽい何か)風味のスープと茹でたジャガイモ(っぽい何か)の夕食。そして毎食一皿いっぱいの塩漬けキャベツ(ザワークラウト)っぽいものがつく。塩分取りすぎな気もするが、ジリジリ照る太陽の下で訓練してても熱痙攣おこさないところを見れば必要な塩分なのだろう。あと、干し魚と得体の知れない何かの肉団子からの動物性たんぱく質、大麦(多分)とジャガイモ(っぽいの)で炭水化物も足りてる。一般的な平民よりよほど豪勢な食事で、戦奴隷の兵士の大半もこの食事があるから反抗しないそうだ。
ただし、水は別。水がなければ即反乱だという。軍の規定では兵士の水筒は1人4個。だがユグノ塩湖方面軍では1人6個と定められている。西には高い山脈がそびえ、雨はその向こうに全部落ちて、そこから何時も吹く風は乾ききり、空は晴れわたり、白い大地の照り返しは肌をジリジリと灼く。個人支給品に飴茶色のゴーグルが含まれてるのも納得する。脱走した捕虜が3日後に干物で見つかることもままあるらしい。塩だけは豊富にある死の大地、水がなければ3日で干物。ならば兵士が恋い焦がれるものは水そのものだろう。
ここは塩湖なので井戸も掘れない。真水は40程ほど離れた西の山脈沿いの村で調達しなければならない。大規模な工事でユグノ塩湖補給処まで用水路は引かれているが、各駐屯地へは樽詰の水を馬車で配給しているわけだ。塩湖方面守備軍の輜重隊がこの重責を担っているのだけど、実のところ各駐屯地からも荷馬車と樽で補給処まで水を汲みに行っている。用水路があるので補給処では潤沢な水を保持できているため、飲料水以外の生活用水を独自に調達しても構わないわけだ。
今だって兵員食堂の雑役をしている犬耳娘さんが、馬屋から馬を引き出して樽を満載した馬車に繋ごうとしているところである。多分、洗濯に使う水を汲みに行くのだろう。彼女らは戦奴隷ではなく、こういった日々の雑役をこなすのがお仕事であり、中でも洗濯はかなり重要なのだ。下着の類は勿論のこと革製品の軍衣だってじゃぶじゃぶ丸洗いである。返り血や汗や塩を含んだままでは軍衣はすぐにボロボロになるし、第一に臭い。酸っぱ臭い匂いを撒き散らして行動していたら、常に西風の吹くこの地で東にいる帝国の兵士に大声で呼びかけているようなものだから。そもそも革だって水洗いしたところでそうそう痛むものでもない。陰干しして油分を塗ってやれいいのだ。そんなこんなをしてくれるのが彼女達である。
その日も朝からひとしきり刀を振り、棒でつつき回されて、現在は分隊長と一緒に干し肉をムシャムシャしながら水をあおってるところだった。
「魔力配分ってのはなんなんですか?良くわからんのですが」
「魔素を燃やして得る力が魔力だな。魔力を使って様々な事を為すのが魔法だ。」
「こっちに来て最初になんか黒い石に乗せられた時、魔素は多いが魔力操作がないので魔法の適性はないって言われたんですけど?」
「魔素は誰でも持っているよ。そしてコレを燃やして魔力を得る事は誰でもできる。」
「でも操作できなきゃ配分ってのもできないんじゃないですか?」
「理屈の多いやつだな!じゃあお前は全身の血管に流れる血をどこかに集めることが出来るか?」
「ちょっと無理です。」
「いや。男なら特定の一箇所に血を集めることが出来るか…」
「アレはほぼ本能ですよ!」
「まさしくソレなんだよ!魔力とは魔素をカーって燃やして、身体の奥底からガーって湧いてくるもんなんだ。本能だな。そして湧いた魔力は勝手に身体をめぐり隙間を埋めていくんだ。」
「隙間…」
「そう隙間だよ。鉄だって油を染み込ませば錆びないし、皮だって乾けばパリパリになるが、なめし液に浸してしまえば柔軟な革になるだろう?」
「つまり…筋肉に魔力が巡れば力は強くなり、腱に巡れば柔軟体操が楽になる。目に魔力が入れば目が良くなって、骨に染み込めば固くなる…ってことですか。」
「そういうことだな。全身にきちんと魔力が巡れば体力も向上されるので、お前の苦手な駆け足行軍も楽になるわけだ。」
「駆け足か…あんまり嬉しくないなぁ」
「おおむね、魔力はその人間の「大きな隙間」を埋めるように働くので、お前に関して言えば持久力と俊敏さに働くだろうな。」
「その魔力で隙間を埋めるのが魔力配分ってものですか。」
「魔力配分ってのはそういうもんだ。ついでに言えば魔力操作ってのは、自分の外に魔力を出して操る才能のことだな。」
「それがないから魔法の適性はないってことですか。」
「そうだ。魔素は誰でも持っている。魔素を燃やして魔力を得ることも誰でもできる。しかし、魔力を任意に操作して外に出せるのは限られた才能ってことだよ。」
「あー。自分の血の流れを操作できるかってのはそういうことなんですね。」
「お前が特定の一箇所に血を集められるように、訓練すれば魔力を特定の場所に集めることが出来るようにはなるぞ。これが本来の意味での魔力配分だな。」
「特定一箇所にこだわらんでください!」
「大事なことだぞ。私の尻のようなきっかけがあれば、お前の魔力配分もきちんと見れたものになるはずだ」
「…だから魔力を得るのに魔素を燃やすというのをどうすればいいんですか!」
「だから!身体がカーって熱くなったら燃えてるんだよ!」
「カーっとか、ガーっとか言われても…」
「言っとくけど、私が軍衣脱いで胸の谷間を拭ってる時に、お前が感じるソレとは違うからな!」
「自覚あったのかよ!指摘されて、めっちゃ身体がカーっとしてますよ!」
「…ちゃんと手当しないと塩気でかぶれちゃうんだよ!痒くてイライラするんだよ!」
ようやく素振り中につつかれて言われていたことの意味がわかったけどね。でもそれ以上にチラ見しちゃってたこと知られてたことの方がショックが大きいよ。かぶれちゃうとか聞いてドキドキだよ。大きい人ってのは色々大変だと思ったよ。気をつけねば分隊長の顔見るだけでカーっとかしちゃうよ。それで魔素が燃えてくれるならいいけどね。
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