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戦争犬の独り言

ちゃんとした方向でスコップをふるって作業を再開する。

さっきより空気は軽くなったし、ほぼ全員が、ただ一刻も早く彼らを眠らせてやりたいという気分。そして私は11人の同僚がうらやましいと言う気分でもある。


私も典型的な日本人なので、正月には初詣をしてバレンタインにはソワソワして、お盆には墓参りと送り火、クリスマスにはチキンを食べ、大晦日には除夜の鐘が聞きたい。合格祈願に天満宮に行ったし、有名な教会での賛美歌のコーラスを聞きにも行った。それと同程度には、地獄や天国を信じてるし、輪廻転生も信じてる。そんな日本人的宗教倫理観から私は地獄行き確定で、今後を思うに蜘蛛の1匹助けても恩赦はないだろう。だが同僚たちは唯一神を信仰する人たちで、すなわち異教徒を殺しても罪には問われないことになっているのだ。


理不尽じゃないか?連中はこのクソみたいな現実で、実際に殺しに手を染めて、今の私のように罪の意識を抱えても、救いを求めて信仰にすがれば縋るほど罪は軽減されるのだ。むしろ天国に行くために殺すだろ。ここは異世界、右を見ても左を見ても異教徒しかいないのだ。そびえ立つクソみたいな理不尽だ。


無論、彼らは抗議するだろう「自分達はそんな狂信者じゃない。」今はその通り。でもやがて狂うのだよ。他でもない、実際に狂った人間が言うのだから間違いない。あの時、斬り付け、貫き、突き刺した、あの瞬間。私は確かに楽しくて、そして嬉しかった。命のチップを置いてカードをドロー。手札をチェンジ、さらにチップを置いてレイズ。コールすれば自分の勝利。死線を越えた達成感と解放感。そして敗者への優越感。あの時、流した涙は目に入った塩のせいじゃない。恐怖や安堵からでもない。きっと嬉しかったのだ。


だからわかる。人は簡単に狂う。だけど正気にもすぐ戻るのだ。その身につけた倫理感という呪いで。

人が人として生きるために生まれた呪い故に、殺した者はすべからく罪の意識に追い込まれ、やがて死ぬ。殺す代償とは誰かに殺されるか、倫理感の呪いに殺されること。これは公平な裁きだと思う。

でも、倫理感という呪いから救われたくて生まれたのが宗教で、信仰の名の下に神様に責任を押し付けることができるなら人は幾らでも人を殺せる。だからうらやましい。そして理不尽だと感じるのだ。


もちろん、こんな心の声を表明したりはしない。空気を読んで周りに合わせて見せるのが典型的日本人だ。

自己主張をしない?何を考えてるかわからない?感情表現に乏しい?いつもヘラヘラ気持ち悪い笑顔?

それがどうした?日本人の自己主張とは自己の内面にこそなされるもの。他人に自分を押し付けないが寄り添うことはするのが基本的な考え方。他者の感情に配慮することこそ感情表現であり、笑顔なのはあなたに干渉する気ありませんという笑みだ。気に入らない商品に抗議するぐらいなら、その商品を二度と買わないし、買った自分が愚かだったと反省する。


日本人は確たる信仰がないのに倫理的なのが不思議だと彼らは言うが、逆だ。受け継がれてきた呪いたる倫理感が信仰を重視しないのだ。だから腹立たしい。全てを神様に押し付けて嘆いてみせる彼らが疎ましい。


これが神の与えた試練だと言うのならばサッサとクーリングオフすべきだろう。全知全能を謳い文句にしながら試してみるばかりで救いもせず、疑うことすら許さないなんて詐欺商品そのものじゃないか。1度真っ当な取引の契約書に書き起こして見ればいい。そんなものにサインなんか出来たもんじゃないはずだ。

だから私は彼らを信用しない。私は自らの責任で手を血に染めることを決めたが、彼らはきっと神様のせいにして手を血に染めることだろう。私が殺した命は私の中に降り積もる。だけど彼らの「その時」に奪われる命はどこに向かえばいいんだ?


ふと思った。この異世界で死んでしまった私達の魂はどこに行くのだろう。そもそも元の世界で私達はどうなっているんだろうか。行方不明者なのか?それとも死んで、魂だけ引っ張られて魔法的なもので肉体を再構成された?世界の辻褄合わせに存在しないことになった?だいたい「召喚」とやらの瞬間、私は何をしていた?名前と同じく、その記憶はさっぱりと消えている。思い出せないんじゃない。記憶のログが通信切断されて再ログインされている感じ。下手くそな編集をした映画のように唐突すぎる場面転換。ストーリー性なんて皆無だ。こんなの見せられてる方が頭痛をおこすレベル。牛丼屋で大盛り玉入り紅ショウガたっぷり七味かけから、狭く薄暗い箱車までのカットはどこへ行った?


「気をつけ」の格好で硬くなった13人の亡骸に、穴から掻き出した塩をスコップですくいかけながら、そんなことを考えていた。白人2人組が、彼らのその手を胸で組ませようとしていたが諦めたようだった。きっとこっちじゃ、死者を埋葬するのにそんな習慣なんてないんだろうぜ。


作業の途中で周囲の捜索に出ていた白革の軍勢が帰って来た。私達が襲撃されたのを見張りが見つけて、すぐ周囲の捜索殲滅(サーチアンドデストロイ)を始めたそうだ。異世界らしく装具をつけた二足歩行のトカゲにまたがる一団も帰ってきた。斥候竜兵という中隊だと思う。

この駐屯地には2個の抜刀中隊と斥候竜兵中隊、弓兵中隊と工兵中隊の5個中隊がいて、大隊本部付き小隊がそれに加わることの530人が定数だと軍曹(仮)、もといゼルナー大隊長殿が教えてくれた。49番、お前は本部小隊に配属だ。本部小隊も3人が欠員になっているから、敵兵3人殺したお前なら数が合うだろ。そんなありがたいお言葉も頂いている。嫌な予感しかしない。


どう考えてもこの大隊長の直卒小隊なんて「最初を奉り、最後を賜る」連中だろう。無我夢中だった私と違って、理解してて十数人の敵へ突っ込む人だぞ。しかし、考えなしのバカと考えてバカをする人間。どっちもバカだが…まぁ人がついてくるバカは後者だろうなぁ。


埋葬を終えて、それぞれの流儀で黙祷する。それぞれが自身の信仰を朗々と祈りの声にすれば、ちょっとした宗教戦争になるかもしれない程度の考慮は皆、出来る。考慮できなさそうだった1人は「教育されて」静かにしている。私も日本人らしく合掌し、ホトケ様の冥福を祈る。だいたいのどの宗教でも、この世からあの世へ行くことになっているのだから、あの世で幸福でありますようにって祈っとくのは無難な線じゃないだろうか?南無阿弥陀仏ってのもやめといた。個人的には仏教とは哲学だと思っているがアメリカ軍なんかじゃ「信仰」って欄に「ブッディスト」って書くらしいから、宗教扱いだろう。無駄に争いの火種を放り込むこともないさ。ただ願わくば、あっちの世界へ帰れますように。


ボブも言ってた家族や友人、生まれ育って幸福でも惨めでもあった、自分の名前と思い出のある場所へ帰れますようにって願うのは良いことだろう?私達だって今にも帰りたいのだから。きっとどこの神様でもそんなちっぽけな願いに目くじら立てないだろう。もしかしたら、ちっぽけ過ぎて聞き届けてもらえないかもしれないけれど。それでも死んで魂だけになったのならば、きっと帰れると信じていたいじゃないか。

いつか帰れると信じて生きていく。誰かに殺されるか、積み重ねる罪の重さに圧死するまで私は生きる。死んで魂になって帰れるかもしれない、けれどこのクソったれな世界に囚われたままかもしれない。ならば生きてこのクソから抜け出てみよう。帰るすべを探してみよう。幾人殺すかわからないが、彼らの魂もきっと何処かへ帰れるだろうと信じて、縋って、殺して、殺して、殺して生きていこう。


なんだ。これも信仰なんじゃないか。

宗教が先か、倫理が先か。

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