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戦争犬と選択肢

長雨は陰気なものです

なにもしない。与えられた命令に従い、監視と欺瞞工作を続ける。


これが私の出した答えだ。しょぼくれた『戦争犬(ウォードックス)』たちの顔から表情が抜け落ちた。無理もない。彼らにだってわかりきっている。わかりきっているからこそ表情が消える。彼ら彼女らの眼には諦念の虚ろな光しかなく、顔色すら灰色に染まって見える。


刻まれた誓約(オース)が彼ら彼女らから生きる道を奪う。軍規は敵前逃亡を許さない。殊更に彼ら彼女らのように、既に公国の法を破り、「格別の慈悲と更生を信じて」軍に籍を置く事を許された者たちに2度目の慈悲はない。


皮肉なことだが認識票を手に取り首にかけるのは自分の意志で行われるのだという。彼らは元犯罪者、それも複数の強盗や殺人の実行者であり、警吏に捕縛された後に鉱山奴隷か戦奴隷になるかを選ばされた。そして彼ら彼女らは戦奴隷を選び、認識票(ドッグタグ)を首に下げたその瞬間から、逆らうことのできない公国の『戦争犬』になったのだ。


私とは違う。私には選ぶ権利すらなかった。着る服を奪われ、生活も奪われた。友人・親戚、家族も奪われた。そして名前も奪われた。名前にまつわる記憶も消えた。空いた部分に代わりに嵌まっているのは「49番」という番号だけだ。否応もなく私は『戦争犬』にされたのだ。


彼ら彼女らとは違う。私は「この世」に現れたその瞬間から『戦争犬』なのだ。生粋の『戦争犬』として牙を研ぎ、理不尽を噛みちぎるため生きている。生きていかねばならないと誓った。汗と塩、血と小便にまみれて胃液を吐き散らし涙を流して歓喜した、あの日あの時から私は狂った『戦争犬(ウォードッグ)』なのだ。諦めない。諦めるわけがない。諦めることは許されない。


「ただし!…与えられた監視と欺瞞工作が完全に不可能となったならば、我々はその事実を大隊長に報告する義務がある。そして今現在、大隊長が『迷子』である以上、次善の策として『大隊本部』のある駐屯地へと義務を果たしに向かわねばならない!」


どうだろう。私は笑えてるだろうか。あの強く、優しく、そして可愛らしかったかつての上官のように、獰猛に狡猾に肉食獣のように笑えているだろうか。

諦めきった痩せ犬たちの心に再び火を灯すように、何者であれ噛み砕いて踏み潰すことを疑わぬ獣ように、笑えているだろうか?



2日経った。

いつだって事態は悪い方へ転がる。状況って奴はいつも下り坂で石は必ず転がり落ちる。

便宜上、私たちが占拠している信号所は『第4信号所』と呼ばれてる。この日、我らが小さな砦たる第4信号所に来客があった。私たちが期待していた東側からではなく北、すなわち友軍から伝令が訪れたのだ。しかも大隊長からの「新たな命令」を持って。


命令書に曰く「第4信号所を使用不能にして、可及的かつ速やかに第2信号所に集結せよ。」これで私たちの目論見、敵の大軍が押し寄せてきたので急いで報告に戻りました作戦は使えなくなったわけだ。


この2日間は血色の良かった分隊員の顔色が灰色にくすんだのは言うまでもない。



「よゥ、分隊長殿。どうするよォッ!こいつはヤバい。とてつもなくヤバいぜェ」


「うん。率直に言ってクソのような状況だよ。」


「聞かせちゃくれないか?このクソがっ!どの程度クソなのか、分隊長殿の分析って奴を聞きてェッ!」


斧使いのゴルとジルバが、信号櫓の柱に得物を叩き込み、食い込ませながらたずねる。反対側でロープを引っ張るライリー・チョッパー組とケリー・トニー兄弟、残った食料を天幕から引きずり出して雨滴弾ける地面に撒き散らすユノ・レンカ組。メイムと私は水樽の中にスコップで削った塩を投げ入れておく嫌がらせをしている。ポンチョに跳ねる雨音で会話は自然と大声になり、分隊員たちも耳をそばだてている。気分的にはいっそ皆と怒鳴りあいたいぐらいの気持ちだ。


「命令は大隊長からだった。ここから察するに、殿下も閣下も目の前の帝国軍の尻尾にじゃれつくのに夢中なんだと思う。で、本隊の側面に配置されてる大隊長が分散している戦力を集めるってのは防衛線を作りあげる腹づもりだと思う。」


「つまり…大隊長は帝国軍の迂回を察知したんだろう。斥候が見つけたとかの確実なネタが上がってる筈だ。でなければ独断で、占拠した信号所を放棄して集まれなんて命令は出せない。」


「第2信号所に集まれってのも、帝国軍の針路が掴めてるからだろう。そこから始まるのは殿下と閣下が無事に撤退するまで、数万の帝国軍を一個大隊で足止めする戦だろう。控えめに言っても、そびえ立つクソだよ。」


「クッソ!冗談じゃァないぜ!」


「でね、信号櫓の破壊がちょっぴり遅れましたってやるのもマズい。集結を遅らせたところで戦争の真っ只中に飛び込むことになる。気持ちで言えば、こんな櫓は放っておいてサッサッと合流したい。味方に囲まれて戦争始めた方がまだしも生き残れそうだから。でも破壊して合流せよと命令されてる。軍規は破れない。二進も三進もいかない肥溜めのクソだな。」


「なんか、なんかよぉ…いい手はないのかよ」


「出来るだけ早く合流して、本隊の退路の確保とかに志願できたらいいんだけどな。まぁギリギリ戦闘開始直前に合流できれば御の字だろうなぁ」


「畜生めっ!とっととこの櫓ぶっ倒してやる!」


「あとは…死中に活を求めるって奴だな。」


「どぉすんだ?」


「斬首作戦だよ。敵陣にこっそり入り込んで大将首を取る決死の片道作戦を提案して志願する。敵中を突破して上手く大将首を取れれば帝国軍の足が止まる。失敗して捕虜になるもよし、大将首を見つけれずに、撤退を始めただろう本隊に合流するもよしだ。」


「帝国軍に囲まれてなます斬りにされる未来しか見えねェよ!」


「数万の帝国軍と正面切ってすり潰されるよりは選択肢があるぞ。」



半刻後、ようやく信号櫓は倒された。あとはまとめておいた荷物を持って雨の中を20程、半日ちょっとの移動を始めるだけだ。とりあえずは。




足首ほど浸かる水の中を行軍するってのは面倒なものだ。普通に歩けば水を跳ね上がる、歩調をとって歩けば「盛大」に水を跳ね上がる。結局、足を擦るように歩くのが静かで早い。しとしと降る雨に、ポンチョの下の手足は冷えるが身体の芯は熱を持つ…有り体に言えば蒸す。決して愉快ではない。


ましてや薄もやのかかった灰色の景色はそれだけで気が滅入る。休む時には意を決して座るが尻が冷えて気分もよろしくはない。塩の大地を覆った雨は土が流れ込むわけでもないので透明に澄んでいて綺麗なものだ。、地面の白を透かして、空の灰色を取り込んで銀色に輝いている。


こうしてみると美しい世界だ。どこまでも銀色の大地が雲を写して、まるで自分が雲の中を歩いているような気になっていく。空と地の境はわからない。呆けたように地平をながめていると、メイムが笑って言った。


「私もねー。この季節の塩湖の景色は綺麗だなぁって思いますよー。」


分隊長は初めてでしたっけ?そう言ってゴーグルを上げて、こっちを覗き込んでくる。心なしか信号所に居たときより顔色がいい。


「何かあるのに、何もできない。なんて耐えられませんよー。今は何かしているから気が楽ですねー」


「何もできないよりロクな目に合うとしても?」


「私、バカだから体動かしてること、命令されること、次々とボールを与えられて持ってこいってされてる方がラクなんですー。」


「私はバカを演じられるほど器用でもないし、賢くもない。」


「…自分のこと「私」って言う人、賢い感じがしますよー。」


「賢そうだろう。だから「私」って言ってるんだ。ついでに言えば「私」から言葉を続ければ失言する可能性も低い。小賢しいんだよ。俺は。」


「あー。悪態ついてる時以外で「俺」って言うの初めて聞いたかもー」


「まぁ、死ぬ時にお隣さんになりそうな相手に気取ってもアレだからな。」


「死にますか?分隊長の知恵を振り絞っても…確実に?」


「…私は、先のことを考えると怖くてたまらない。怖いのに考え始めると止まらない。あの天地の境から黒雲のように敵が湧くって想像したら、クソをもらしそうだよ。」


あははは。と彼女は笑って琥珀色のゴーグルを下ろして、視線を隠した。浸っていても仕方ない。私もゴーグルを下ろして歩き出した。




第2信号所は活気にあふれていた。それが高まる戦機に高揚しているのか、自棄なのかはわからないが、10人以上の人間を見るのは久しぶりだったので私も高揚していた。もしかしてこの巨大な塩の水たまりに自分たちだけしか居ないんじゃないかとさえ感じていたから。それに少なくとも信号所の中は水に浸かってない。50cmほど敷地を盛り上げてあるだけでこんなに快適になるとは思ってもいなかった。


とりあえず到着の報告をするため大隊長テントを探す。メイムと連れ立って、レルゲンの市場もかくやと混み合った信号所敷地を移動する。ゴルたちには適当なとこに第4信号所からかっぱらったテントを張っておくように言っておいた。

打って出るのか、こもって戦うのかわからないが、しばらくはここが私たちの住処になる。あるいは墓場かもしれないが。


大隊本部テントはすぐ見つかった。ご丁寧にもテントの屋根に大隊旗が広げてあったが、それがどうにも雨漏りを塞いだパッチみたいで少し笑えた。

出入り口の両脇にはテルテル坊主が2人、大刀を携えて立哨に当たっている。これも私の笑いのツボを刺激して、もっともらしい顔を作るのに苦労した。それでも口元がニヤけているのは致し方ないと思う。武装テルテル坊主って笑えないか?


「大隊本部付き斥候第4分隊、ただ今、到着いたしました。大隊長へ着任の報告を行いたくあります。」


「第4分隊長殿、おかえりなさい。すぐに大隊長殿にお取り次ぎします!」


10人長の階級はないけど、それでも分隊を預かる身。丁寧な語調と答礼されて、ちょっと新鮮。あいつやこいつ、49番と呼ばれるよりは随分と偉そうだ。



「戻ったかセンベイ。お前らへの伝令が遅れてすまない。」


「はい。いいえ。自分たちは本隊から一番離れた南端でしたから、ある程度の覚悟はしておりました。」


「…ある程度の覚悟か。…聞くがなんの覚悟だ?」


「本隊と分断されて、敵中に取り残される覚悟です。」


「そうか…なら話は早いな。」


「時間を稼ぐ…と言うことでありましょうか?」


「そうだな。正直言って他に手はない。未だ殿下と閣下には連絡がつかない。」


「所在がつかめない。と言うことでしょうか?あるいは『追いつかない』と言うことでしょうか?」


「後者だ。本隊の幕僚たちに言わせれば『快進撃』らしいがな。」


「所在がつかめないほど分散しているわけではなさそうで、安心しました。」


「お前は参謀向けだな。将をやるには悲観がすぎる。」


「陽気に踊ることが苦手ですので。」


「まぁ、これから俺たちがやるのもあまり陽気なことではない。」


「打って出ますか?籠りますか?」


「打って出ても、どうにもならん。籠っていた方が足止めにはなるだろう。」


「下がりながら足止めするのは?」


「一歩でも下がり始めたら、一挙に潰走だ。数が違いすぎる。」


「どれほどが向かって来てますか?」


「およそ2万。大隊500でどうにかできる数じゃないな。」


「僭越ですが、籠っていても、1千ほど貼り付けられて、捨て置かれてしまえばそれまででは?」


「その通りだな。…何か策があれば言ってみろ。」


「…500全員で一点突破の夜間襲撃。目標は食料、あるいは連隊本部。一撃して離脱を繰り返し、一晩中暴れたのち潜伏。運が良ければ、もう一晩。」


「他には?」


「第2信号所より東に進出。帝国軍の進撃路上に100づつ人員を配置して待ち伏せし、敵の前衛を疲弊させます。追われて交戦するより、待ち構えて交戦する方が費用対効果(コストパフォーマンス)が良いでしょう。」


「全滅は必要な費用(コスト)か…」


「ですが、ここで考えるべきは、公国の存亡そのものです。2万の敵が、味方を迂回して大街道に現れるならば公都まで遮るものはありません。本隊より本国を優先し、レルゲン付近まで撤退。帝国軍の迂回を報告し、守備兵力をかき集めて、これを迎え撃つ。…私はこれを強く提案いたします。」


「殿下たちは見殺しか?」


「合して8万の軍です。敵とちゃんと向き合って殴り合えば負ける数ではありません。なんとかしてもらいましょう。ですが、我々が急を報せ、公都守備軍2万を動かさねば最低でもレルゲンが陥ちます。最悪、公都が陥ちます。」



追って指示を伝える。それまで待機せよ。結局そのように言われて、私たちは大隊本部テントから出た。部隊長の会議を行うためにか隣に張られた天幕の下にメイムと共に移動し、ふところからパイプを引っ張り出して一服吸い付けることにした。小人族のパイプ。もう何年も前のように思える。


「分隊長、ずいぶん、がんばりましたねー。」


「ああ。必死だったからな。」


「最初に全員で夜間突撃とか言い出した時は、正直、殺したくなりましたー。」


「あれでも割と本気だったぞ。俺の故郷では『策に三策あり』って言ってな。上策・中策・下策と3つの策を提案するのが良いと言われてたんだ。」


「じゃ、最初のは中策ですか?」


「そう。下策ってのは2番目のやつだな。100人づつ、ぶつかって行くなんて死ぬの確定だからな。『捨てがまり』って言う戦法だ。どうしても逃がしたい人物が居るって時以外は無駄死にだ。」


「中策にも何か名前があるのですか?」


「あれはゲリラ戦って言う。戦力に大きな差があるときに使われる。一撃くわえてサッサと姿を消して、相手が「蹴散らした」と油断したとこでまた嫌がらせをするんだ。夜にやるのは潜伏しやすいのと、敵の睡眠時間を奪うためだな。」


「どちらもそれなりに理屈はあるんですね。」


「まぁどっちも全滅必至に聞こえるのがキモだな。」


「で、本命が『公都』防衛が最優先って理由づけですね。」


「大隊長は楽観的な人じゃない。 ちゃんと戦のキモを見る人だ。この戦のキモは『公国防衛』にある。しかも罠にかかっていても8万も兵が居るってのは重要だ。数で言えば500人が8万人を助けると言う方がおかしいんだ。」


「しかもこっちは敵が迂回して後背を突こうとしてますよって警告する事で立派に鳴子の役をはたしてる。当初の作戦計画をぶち壊したのは本隊のほうなんだよ。俺たちは作戦通りに行動している。結局、大隊長の心情的なもんなんだよ。」


「友軍を「見捨てた」ように見えてしまう、思ってしまう。だから、優先すべきは『公国防衛』であって、敵の数より多い味方を「助けよう」とするのは間違いなんだって再認識してもらいたかったんだ。」


雨はやまない。薄暗くなった、この拠点も先ほどまでの喧騒は嘘のように陰気に静まっている。皆、待機を命じられて、それぞれのテントでひっそりとと飯を食っているのだろう。クラッカーと塩味のスープをかきこんで、湿気で強張る冷えた体を温めているに違いない。


「よし。腸詰のスープに塩漬け肉のステーキ。胡椒をたっぷり効かせて、しっかりと温まろう。湿気でやられて関節が痛くなったりしないように。」


「はーい!久し振りに歩いたので甘いものも欲しいでーす!」


とりあえず言うべきは言った。あとは大隊長が寝ずに考える事だ。どうなるにせよワン公は主人の命令を待つだけだ。


腸詰とザワークラウトのスープって美味いんでしょうか。食べてみたいです

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