戦争犬のはじめてのお使い
遠く公都の何処かで誰かが言った。
「国境にてたむろする帝国軍は6万人。対する我らは由緒正しき栄光の国境警備軍が8万人。勝てぬ道理があるものか。」
その誰かの隣の誰かが声を上げた。
「下賤な亜人を取り込んだ軍など高貴高邁なる我が軍の前に一打ちで倒されましょうぞ!」
また別の誰かが我に名案ありと叫んだ。
「大街道にて蒙昧なる帝国軍を誘引し、長駆ユグニ塩湖を踏破し帝国軍の後背を突く一手こそ必勝の策なり!」
そして彼らは唱和した。
「然り!然り!伯爵殿の手勢を金床とし、背後から鉄槌を下すが覇道なり!」
誰かが閃く。
「覇道の戦なれば王太子殿下こそが鉄槌下す断罪者にふさわしい!」
再び彼らは唱和した。
「王太子殿下万歳!公国万歳!公王陛下に神の恩寵を!」
そんな訳で私達のユグニ塩湖方面警備軍は王太子殿下直卒の打撃軍として出撃を開始した。ユグニ塩湖に訪れる40日間の雨季がすぐそこであるにもかかわらず。
私は「魔刃持ち」の斥候兵として本隊先陣のさらに先で東に向けて歩いている。枯溝を伝い、姿を隠し、進む先には以前の訓練で監視した信号所がある。塩湖の東側を南北に連なる信号所を奇襲にて占拠し、本隊の接近を「異常なし」の白色信号で隠蔽するのだという。
10程ごとに設置された信号所の北寄り4つを占拠するため、斥候歩兵隊は4つに分割されて正面60程の戦線を担当している。1班あたり10人の斥候兵でだ。隣のチームに援軍で行くにも、呼ぶにも二刻ちょっと掛かる絶望的な距離。公都では画期的な浸透戦術といい、現場では無謀な兵力の分散配置と訳されている。
この塩湖で平均的な兵士が突っ立って見える地平線までは4程ほどである。これが櫓の上からならその視程は10程にもなる。仮に一軒の信号所を奇襲したとても両隣の信号所からは一部始終が丸見えであるから、一番北と一番南の信号所は本当に瞬時に制圧されねばならない。常駐する敵戦力は36人、これをたったの10人で制圧しろと殿下とその取り巻き達はおっしゃっておられる。確かに36人四交代で配置につく兵は9人だから10人の斥候兵達による奇襲は理論上可能であるのだが、彼らの全てが勤務明けに惰眠を貪るに違いない。とは限らないと、なぜ誰も教えなかったのだ?
太陽が沈み、不吉な赤雲がそのわずかな残光を照り返す時間。誰ぞ彼の刻。影は西から東へと長く伸びる。その為にこそ日中に少しづつ溝の底を削り、溝の縁に塩を積んでいたのだ。ほんの10cmでも影が伸びるように。
無言で私が手をぐるぐる回して信号所を指差す。合図にうなづき、3人が1mほどの竹梯子を持ち影を伝って走り出す。遅れて2人、弓を携えて駆け出す。残り5人もその直後を追う。
未だ朱色に照らされる櫓の上の2名の敵。弓手が捉え放つ矢は的確に胸の中央に突き立つ。続いて3人が辿り着いた塩の胸壁に梯子をかけて、それを足場に2m半ほどの壁を駆け上がる。中に飛び込んだ3人のうち1人は櫓の下の小テントへと向かい、2人は左右に分かれて壁の影の中を、巡回する敵兵を求めてひた走る。一呼吸の遅れで5人も胸壁を越えて3つの大テントへと走り寄る。左右のテントに2人づつ、真ん中のテントは私の受け持ちである。
手にしたガラスの筒は白色発光信号器。額の琥珀色のゴーグルを目元に下ろして刀の柄で強く底面を叩けば、眩い白色の輝きに包まれる。これをテントの帳から中へと投げ込み、刀を腰から抜き放つ。驚き、狼狽える声が上がるのを聴きながら帳を跳ね除け内側へ踏み出した時には魔力は循環を始め、魔刃が形成される。
突然あふれた白光を驚き凝視する敵兵達の顔は地面からの光に照らされて不気味な陰影を浮かばせているが、御構いなし。手近な首に向けて一閃を払い、ひらりと立った刀は次の肩口へと落とされ引かれる。一歩二歩足を踏み出しながら刀を払い、薙ぎ、振り落とす。漂白された天幕の中を黒く液体が跳ねまわり布地に着地すれば目にしみる真紅の花を咲かせていく。
考えてみれば、こんな風に一方的に彼らに死を押し付けるのは初めての経験だった。これまでならば理不尽な死の方が私の所にやって来るのを精一杯の足掻きで追い返していたが、今の私は彼らの理不尽そのものになっている。だからといって止める気は毛頭ない。こちらの都合を押し付けて彼らに死んでもらわねば、私が死ぬ。死ぬのはゴメンだ。
簡易寝台を蹴飛ばして、その下で頭を抱えてうつ伏せる兵士のうなじから刃を滑り込ませ、頭骨と頸骨の付け根のアーチに沿ってグルリと延髄をえぐる。痛みを感じるのもわずかなはず。苦しませる気は無いからどうぞあの世で私の殺しが人道的であったと証言してほしい。今、旅立った彼で9人目。運が良ければ命がけの隠れんぼをしなくて済みそうだ。探す鬼も必死なら隠れる方も必死で殺しにくるのだから、そんな危ないことは勘弁してもらいたい。敵兵が抵抗せずにさぱっと死んでくれるのが理想的だ。
大テントを出ると、歪な市松模様の塩湖迷彩がされた斥候軍衣に血の花を咲かせた同僚達が軽く左手を上げて挨拶してきた。右手にはぬらりと濡れた戦斧を下げている。
「9人だ!そっちは?」
「こっちも9人。おおむね首を飛ばし、そうじゃないのは心臓をついて数えた」
「俺らのほうも9人だ!連中、以外と行儀がいいな。」
3つ目のテントからゴーグルを額に上げながら同僚2人がうっそりと現れる。彼らも同じく白黒軍衣に赤い沁みをつけている。
3つの大テントで合計27人。交代要員は全滅させたはず。当番兵は9人。櫓の2人は死んでいる。後は小テントの信号員2人と指揮官、巡回中の2組4人の計7人。
「小テント、3人。目を灼かれてまともに抵抗すらしなかったよ!」
両手の短剣を鞘に戻しながら同僚がまた1人。彼女の顔には鮮やかな紅が化粧されている。短くした髪をボサボサと掻きながら報告する。返り血が髪についたのが気にいらないらしい。
ゾリゾリと砂をこする音をさせて弓手と大刀持ち4人が合流する。4体の死体を引きずっての帰還だった。
「巡回4人。こちらは1人が脇腹にいいのをもらったが鎖帷子で刃は通ってない。打ち身だけだな。骨は折れてない。」
計36人。どうやらこの信号所ではラッキーを拾えたようだ。以前にラウラ分隊長と偵察訓練に来た時に教わった「侵入経路の策定」講義が上手くはまった。
ほんのちょっと前までラウラ分隊長の尻尾にあやされていた私が今では分隊長。はじめてのお使いが上手く行って損害はほぼゼロ。新米犬の新米分隊長としてはなかなか誇るべき戦果じゃないだろうか。
西の空は紺紫に色を変え、大地と空の間には一層の黒雲がわだかまる。雲の中に時折混じる灰白の瞬きは雷の稲光か。おそらくこれがユグニ塩湖の雨季の訪れなのだろう。西から吹き出した風はひんやりとして湿り気と塩の匂いを漂わせる。
1年のほんの一時の間、南の海から吹く風が向きを変えてユグニ塩湖へ流れ込む。南風の向きを変えた元凶たる北からの風が鉱山山地を越えてさらに冷やされ、薄く広く塩湖の盆地に溜まる南風の上になだれ込む。これが塩湖の雨季。激しい雷雨と篠突く雨が40日ほど続き、その間に南風の流入が減れば冷え込み、北風の流入が減れば蒸し暑くなる。ただの真っ白な大地であった塩湖が膝ほどの水深をもち、ここを往来する者の足どりを奪い、濃い塩水は足と靴をふやかし痛めつける。
「身体中の皮がふやけて、擦れて、剥けて、そこに絶えず塩水を塗り込められるんだ。とても正気でいられないよ。」
「…なんか対策はあるんですか?」
「塩湖警備隊では大蛙の皮で作った胴長靴とポンチョを支給するからそこまで酷くはならない。が通気性は悪いので汗だらけになってやはり痛痒い目にあう。」
彼女はそう言って顔を顰めて見せていた。もとより清潔好きで、隙さえあれば水浴びを試みようとする彼女にとって雨季の塩湖を往く事は拷問に近しいものだったらしい。その一方で良いこともあると言っていた。兵営の屋根の上なら新鮮な水で好きなだけ水浴びができるので塩のベタつきと痒みに悩まされないそうだ。
「一雨来たら水浴びでもしてみようか…。」
「あー!雨季名物、ラウラ分隊長のシャワータイムね!」
ボソリと呟いた言葉に、思わぬ反応があって身体がビクンと跳ねた。
「男どもが大変だったんだから!ラウラ分隊長のあの身体を一目見ようバカどもが寄って集って大騒ぎだったのよ!」
「お…おぅ。」
「そうやってラウラ分隊長が囮をしてくれている間に、ほかの女たちが水浴びできてたのよねー。」
彼女の名前はメイム。元犯罪奴隷の女兵士である。『街の餓鬼』要するにストリートギャングをやっていた18歳、得意な得物は短剣、出身は城塞都市レルゲン。
私が第4分隊を引き継いだ際に真っ先に志願してくれた兵でもある。何故なのかと尋ねたら「あんたが死ねば、すぐにその業物の短剣を手に入れれるから」と答えた正直者だ。
あんまり死ぬことを期待されるのもゾッとしないので、小人族隊長からの戦利品の短剣をさっさと進呈するとすっかり懐いた。「恩も仇も忘れず返す」信条ゆえとか。
「センベイ分隊長は飽きるほど見たんでしょうけどねー。」
「飽きる事なんか、なかったな…」
「うわぁ!ほかの男どもが聞いたら血の涙流すような発言よねー」
第4分隊長を引き継がされるにあたって私には「センベイ」という名がついた。
私が「あちら」にいた頃、スマホのRPGゲームのキャラにつけてた名前である。ラウラ分隊長の故郷のお菓子にも「センベイ」があって、彼女の大好物だったらしい。「大好物の名前をつけると愛着もひとしおだな!」とは彼女がユグニ塩湖を離れる前日の夜のことだったか。
兎にも角にも私は「センベイ分隊長」となり、ラウラ分隊長と2人きりだった分隊は「第3大刀抜刀大隊本部付き第4分隊(斥候)」となって10人の定数を揃えている。しかし、私は公式には「公国軍備品49番」であり10人長の階級も持っていない。あくまでも戦時臨時編成の分隊長であり、犯罪奴隷の兵士よりはマシな人格と推定されること、「魔刃」持ちの戦闘力があることが、その理由である。
実際、配属された兵士たちは皆、元犯罪奴隷で大なり小なり暴力で生きてた連中であり、彼らに「一目置かせる」為に、古い鉄製甲冑と鎖帷子を着せた案山子を斬って見せねばならなかった。ラウラ分隊長直伝の抜刀術と鍛えてもらった「魔刃」の威力で黙らせ従わせるしかなかったのだ。
「おーい分隊長!晩飯に、ここの備蓄を開けても構わないか?」
「構わない!食べ過ぎない程度にやってくれ!」
「へっ!腹いっぱいに食い物詰め込むなんて素人はいねぇよ」
すっかりと陽は暮れて、空には真っ暗な雲と冷たい風が吹き始めていた。
基本は2人組として5組、1組が櫓の上で待機して後の4組はテントの中で休む。大きなテントなので中で火を起こして煮炊きもできる。とはいえ私が突入した一棟は、彼らの基準で見ても血生臭すぎるらしく誰も入らなかった。
それもそうだろう。私自身でも断る。まぁ胴を薙ぐ事はしなかったので臓物の匂いはしないだけマシな方だとは思うのだが。
「殺しが派手すぎるぜ分隊長さんよ!首飛ばすよりもっと賢く殺ろうぜ!」
という寸評をいただいた。そうは言っても私の師匠は常々「人型には沢山の欠陥があるが、中でも重要器官が集まるくせにマトモな防護も出来ず鍛えても限界がある首が最大の欠陥だ。親指ほどの刃物で斬りつけるだけで致命傷になるところを狙うのが当たり前だろう。」と言っていた。当然、私の訓練もそれに準じている。「斬れるなら斬ってしまえ敵の首」である。
「はぁ。ラウラ分隊長も『首刈り虎』なんて呼ばれてましたからねー」
「師の教えに忠実な良い弟子だったからな。」
「やっぱりアレですか?首を落とせば生屍にならないってやつですか?」
「いや。あんな細い部分に弱点が並べてあるのに斬らない理由がないだったな」
「うわぁ。人斬りならではの理由だー」
「だけど、メイムも短剣使いなのだから尚更に首を狙うだろうに…」
「基本的には刺します。それに昔は派手に返り血浴びたら後が面倒でしたから。今でも返り血を浴びないように立ち回ってますねー」
確かにこの小テントは彼女が突入したところだが、流血の後はほとんど見られない。聞けば3本のナイフを3人それぞれの首に刺し、心臓が止まってから引き抜いたそうだ。なるほど血圧の発生源である心臓が止まれば血は吹かないな。思いつきもしなかった。
「ありがとう。勉強になった」
礼を言うとメイムは妙な顔をして「いえ。おかまいなく。」とちょっとずれた返事をしていた。いや。ずれた返事は私の方だったか。
こちらに拉致られてやってきた最初の日。目の前であっさりと人が死んでいくことに怯えて心折られた「負け犬」だった頃から3ヶ月。あの日に死んだボブ達よりも多くの人を殺してきた。死にたくない。殺そうとする相手が憎い。理不尽が許せない。それが始まりだったのに、今日の私は「理不尽な死」そのものだった。
今ではこんな風に「人の殺し方」を食事時の話題にできてしまう自分に違和感も感じるが、一方でとても大事で大切なことだとも思っている。少なくとも会社勤めの頃にぶちぶちと垂れてた上司への軽蔑や昇進した同期への嫉妬に比べれば、ずっと生きてる感じがする。
あぁ。つまるところ私は人の生き死にを楽しめるクソ野郎だったってことなのだろう。お人好しとか優しい人とか繊細な人とか言われてた「あっちの私」のアレは中身のクソを隠す小綺麗な化粧箱だったのだ。
正義感が強いとも言われてたが、これこそが「あちら」でも「こちら」でも私の本質だったのだ。正義感などというのは結局のところ「己の思想信条、価値観」に過ぎない。それに「あちら」では社会通念や倫理という皮をかぶせたの正義。「こちら」ではむき出しの「自分の命こそ一番」という価値感こそを正義といっているだけなのだ。立つ場所が違えばその時々で入れ替わるのが正義なのだ。
「真実はひとつ」と賢しらに叫ぶ「名探偵」がいたが、そいつは間違っている
実際に起きた「事実」が1つで、それを受け止める人間の価値観がその人物にとっての「真実」なのだ。ゆえに複数の人間の中に「真実」が生まれる。「正義」というやつもこの類の思い込みだということだ。
現に私はちょっと前まで「自分を殺そうとしたもの」を殺すのは自己防衛という名の正義だと信じてた。だが今日の私は、「自分を殺そうとも考えてもいなかったもの」達を殺した。そしてそれも正義だったと納得している。さて私の正義はどこへ行ったんだ?事実として9個の死体があるだけだ 。正義なんてその場かぎりで看板が書き換わる程度のものなのだろう。要するに私は自分の都合で人殺しするクソ野郎だってことだ。以上証明終わり。
「この世の全ての戦争は正義の名の下に行われる。」
理由と原因はいろいろですが、いつだって始まった戦争にはAにはAの正義、BにはBの正義が掲げられます。