戦争犬の目覚め
まぁ分隊長もちょっとばかり気恥ずかしかったのだろう。流石に下の発言を連発しちゃうのは年頃の女性にとって如何かと思っただろうからな。
やっちゃった感いっぱいなのは、中ほどからぶるんぶるんしてる尻尾でわかる。照れ隠しなのかどうなのか、やおら立ち上がった分隊長は何気ないそぶりで辺りを見渡し、犬耳娘さんの馬車に目をつけたようだった。
しばらく馬車と犬耳娘(垂れ耳)を見つめて考えた後、分隊長殿は私について来いと仰った。多分、もろもろ仕切り直しと水汲みの余禄たる水浴びをしたくなったと推測される。つまりは「護衛訓練」を実施することに決めたのだと思う。
一度見たことがあるが、補給処の水汲み場ではちょっと高いところにある貯水槽から自在に動くホースでダバダバと馬車の水樽に水をぶちまける。その時に流れ落ちてくる水流の下でシャワーよろしく水浴びすることが出来るわけだ。
なにしろ冗句とはいえ胸の谷間がかゆいとか言っちゃったので、本当に痒みを覚えはじめた可能性も高い。虎ってのはネコ科には珍しく水浴び好きらしいし。
私としても許されるものならさっぱりと水浴びしたい。もっと希望を言えば風呂に浸かりたい。あぁそんな事を考えていると身体中が痒くなってきた。たまらん。水浴びしたい。分隊長と一緒であれば最高だろうが別でもかまわない。
そんな経緯で、我ら第4分隊は水汲み馬車の護衛任務についた。まぁ犬耳娘さんが少々緊張しているのは、いたしかたないことだろう。私だってラウラ分隊長に微笑されながら「護衛させてもらうぞ」とか言われたら、倍速再生並みにうなづき続ける自信がある。安心してほしい。ニンマリとしか言えない笑みを浮かべていても本人はそれを好意的な微笑だと思っているのだ。肉もさっき食べたばかりだし。目的は水浴びのはずだから。
軋む車輪の音に最初の日のことを思い出す。あの時はただ息苦しさしか感じなかったが、こうして空の見える馬車で御者台に乗っているのはなかなか快適だった。隣で手綱を操っているのが可愛らしい垂れ耳犬娘さんとなれば、まず最上級の状況であろう。普段は大変迫力ある美人さんと顔をつき合わせる幸運に恵まれているのだが、たまにはちょっと幸薄そうな、華奢な身体つきの美少女を眺めるのは心の安定にいい。
一方、押しの強い美人さんの方は荷台の樽の上に登るなり寝てしまった。名目上とはいえ護衛任務の最中に寝るのはどうかとも思うが、本人曰く片目開けて寝れるから心配ないと胸を叩いてみせていた。
直視はしなかったが、たゆんとしたのは目の端におさめておくのは忘れなかった。視野は広く、目に入る景色は注意力を持って観察せよとの教えが実践できて我ながら誇らしい。
「…敵襲だ。」
ぼそりと呟かれたのは一刻も過ぎたあたりだったろうか。あまり社交的ではなさそうな犬耳娘さんから、やっと名前と夕食の肉団子の正体を聞き出した頃だった
傍の大刀を引き寄せ、周囲を見渡すがそれらしい影は見えない。見つからない。
だが敵はいる。ラウラ分隊長が敵襲だというのだから、いないということはあり得ない。
「見てろよ!弟子!」
言うなり、立ち上がって馬車の側方へと向き直り、分隊長は後ろ腰のベルトから手裏剣を引き抜き、綺麗なサイドスローで15mほど先の地面に投げつけた。
一瞬の閃光と炸裂音。白の大地に赤い煙が散る。跳ね上がる白い影。次々と地面が爆ぜて、魔法のように幾つもの人影となった。敵が現れた。太陽とその照り返しの中、飴茶色のゴーグルレンズでくっきりとコントラストのついた人型を視認した。彼我の距離は近い。御者台に立ち上がり睨みつける。
「馬車を守れ!弟子!あっちは任せろ!」
襲撃者は白い布を纏った小柄な人型ーーー小人族だそうだ。目がよく、素早く、生き意地が汚いとはラウラ分隊長の褒め言葉である。長閑な生活を好む種族だが、戦士となればしぶとく勝利を拾いにくる。小柄で敏捷なので、練達の剣士でもなければ長柄の大刀では簡単に懐に入られ、討ち取られる。よって刀を最速で振るわねば、抗う間もなく死ぬぞ。幸いにも先手を取られたわけじゃない。私が教えた通り刀を振れば生き残れるだろうさ。
そう言ってラウラ分隊長は尻尾を膨らまして飛んでいった。馬車の御者をしている犬耳娘の護衛は私に丸投げである。まぁ正確に言えば「馬車を守れ」だったのだけど。隣にいる犬耳娘を見殺しにするのは日本人的にアウトだろう。ケモ耳娘ってのは日本の文化だからな。…分隊長もケモ耳娘っちゃケモ耳娘なんだけど、アレはどっちかというとアメコミ系だから心配することもないだろう。
yeah!U・S・A!U・S・A!Whooo!
まっしぐらに走ってくる人影。目標はここ。軽く地面を蹴る音とともに人影が浮かび上がる。はためく布の音がやけに耳に残る。陽に輝き目立つ大刀は御者台に立てかけたまま。分隊長が使えないといったなら、ソレは使えないのだ。一見、無手。故に襲撃者は無造作に飛び上がった。
左足を引いて、そのまま突然の荒事に固まって震えてる犬耳娘を御者台から蹴り落とし、左に開いた身体をひねり右手を左腰の得物へと伸ばし、勢いのまま右へ鞘走らせて薙ぐ。
斬ったが浅い。皮一枚切らせ、のけ反り躱す白い襲撃者。身体は覚えている。この数週間、朝から晩まで振り続けた不細工な型。鯉口を切ると同時に一足踏み出して抜きつけ、振るった。次に繋がるのは手首を返し、刀を立てること。膝を崩すように、さらにもう一足、擦り出し、踏み込み、立てた刀は遅滞なくおとされる。鍔の重み。引かれる腕。裂かれた白布に紅が散り、そして死体が地面へと湿った音を立てておちる。
尻餅をつき涙目で見上げる犬耳娘の傍らに飛び降り、出来るだけ冷静に、かつ紳士的に声をかけてあげる。いきなり蹴り落とされ尻餅ついて涙目になってるわけじゃない、突然の襲撃に驚き、恐怖からか目を潤ませる少女に安心してもらうために微笑みを浮かべ言う。。
「馬車の下に。すぐに始末つけてあげるから。」
彼女は力強く何度もうなづきがら、馬車の下へとちょっと驚くほど素早く潜り込んだ。うまく笑えてよかった。あとちらっと見えた、足の間に尻尾を挟み込む姿がなかなか可愛い。
「そっちに2人抜けられた!弟子!仕留めろ!」
2人だと!1人は斬った。あと1人はどこだ!御者席に飛び上がった1人、もう1人はどこからくる!荷台か!小柄、敏捷、白布の迷彩、犬耳、尻尾!馬車の下!!
すくいあげるように振った刀。ぶれる地面。いや地を這うように横滑りする人影。顔の前に構える鈍色の短剣二刀。背筋に鳥肌が立つ。殺意のこもった眼光。
考えてみれば、こうして相手の顔を覗き込むのは初めてだった。今まで何も見ていなかった。ただただ暗くなった視界の中で動くモノに、手にした武器を振るっていた。
今は違う。視線は絡み、そして景色は明るく、彼が構える鈍色に研ぎ上げた刃の白線がはっきりと見える。
怯んだ。竦んだ。突きつけられた眼光に射殺された。微かに彼は嘲笑った。お前は弱い。だから死ね。
目が眩んだ。鼻の奥に鉄錆の匂い。耳に鳴り出す蝉時雨。セミなんていないのに。頭の中が焦燥で焼けていく。視界は赤い。
我慢できない。我慢がならない。叫びたい。喚きたい。身体が熱い。
射殺され、怯まされ、竦まされ、死ねと睨む目が許せない。弱いと笑うその口が許せない。いきなり現れ、殺すと誓う存在の理不尽が許せない。
灼ける怒りが湧き上がる。強く柄を握りしめていることに気づく。
手首は柔らかく、インパクトの瞬間だけ雑巾を絞るようにすること。
肘を上げ頭の横に刀を立てる。刀は振り上げるな、立てろ。前傾するな。自ら首を差し出してどうする。
膝を上げて踏み込むな。膝から崩れれば自ずと一足前に踏み入れるのだ。
ぐるぐると、時系列もぐちゃぐちゃで、虎人族の笑いを含んだ声が頭の中を駆け巡る。
ーーーどうだ?わかったか?ーーー
答えは是。教えられた通り、最速で刀を振る。さもなくば死ぬ。
「弱い」と笑われて死ぬ。それは許せない。許容できない。こんなところで、その理不尽は我慢ならない。
腕から脱力し、息を吐く。誘いに乗るか?
吐いた息を吸うかのように彼は踏み込んできた。食いついた。顔の前で順手に握った短剣二刀を構え、突き、払うために。私を殺すために。
地を這うような前傾姿勢は足を薙ぐ狙いか、攻撃されにくさを求めたか。靴底のわずかに滑る音とともに弾けた身体は一直線に跳ぶ。その動きは奇妙なほどにゆっくりに見える。
1m、走り寄ってくる。50cm、わずかに加速した。30cm、振り下ろす間合い。躊躇するな。今この瞬間こそ死線。踏めば生き、退かば死ぬ。
私は、膝を落として一足踏み込む。もはやここは私の絶死の領域。右手を押し左手を引く。鍔の前を支点に刀身はくるりと回り、疾く落ちた切っ先は白布を捉える。それは絶死ゆえの理。絞りこむ前腕。刀と腕が一体になったかの感触。肉に食い込む刃。引ききる刀身。
全ては一瞬。濃密な時間を凝縮して刹那の解放。肺に残っていた息を吐き絞り、飄と細く吸う。
振りかぶるのではなく、手首を返して刀を立てる。
鍔の重みを意識。右手を添えて刀身を落とし、左手で引く。切っ先で円弧をなぞるように、抜けば。
死体ができる。
ただそれだけのことだ。左肩と頭とそれ以外という2つの塊となった「彼」だったものを見つめながら思う。私の方がちょっとばかり師匠に恵まれていたんだよ。そして理不尽の押し付けへの怒りが勝ってただけなんだろうさ。
居合が抜刀術ではありません。抜刀術の1つが居合です。