プロローグ
「空気が薄いよ…」
薄暗い車内で考えることは、ただそれだけ。狭苦しい空間に20人もの人間が詰め込まれてるのだから当たり前のこと。そしてその薄い空気に混じるのは汗と緊張の匂い。一言で言えば恐怖そのものだった。
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車輪の回る音、車軸の軋む音。単調に繰り返されるその音に気が滅入る。最初こそ小声で話す者や激して喚く者、すすり泣く者も居たが今では皆沈黙している。
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車外から遠くかすかに聞こえてきた連打される太鼓の音に、車内の濁った空気がゆらりと動く気配がする。滅々とした木の擦れあう音の連続にまいりかけた20人の意識が向いた所以だろう。
やがて高く低く響く笛の音とともに車輪の軋みは止まり、代わって揃えられた大勢の足音が、箱車の薄い木壁の向こうから聞こえてきた。
「まぶしぃ!」
私が最初に感じたのはそれ。突然に開いた扉から飛び込んでくる光は薄暗い車内に慣れた目に痛かった。薄目になってギラギラする光を透かして見れば、そこには信じがたい景色があった。
向かい合って2列に並ぶ沢山の人。ギラギラと太陽を反射するその集団は、まるで昔の映画でみたローマ兵。銀色に磨き上げられた甲冑に赤い房飾り、意匠を凝らした大きな円盾、ひときわ強い照り返しは槍の穂先。唖然とするしかない風景。銀色の獰猛なる回廊と白っぽい瓦礫の荒野、青い空とたなびく幾筋もの黒煙。
悪い冗談としか思えない。どこだここ?誰だこいつら?なんだこの状況?
「うわっ!」素っ頓狂に上がった声に驚いて視線を向けると、乗っていた1人が引きずり降ろされたところだった。いや1人ではない。扉に近いものから続々と引き降ろされている。
扉の外に立つ屈強な男たちが早く降りろ(?)と怒鳴りつける。引きずり蹴飛ばし小突きながら降ろされた人達を追い立てていく。
混乱して身体の動かし方も忘れてしまった私もガシリと腕を掴まれ車内から外へと放り出され地面に落っこちていた。打ちつけた尻から脳天まで電流が走り、肺の中の空気が全部抜け息が止まる。
沸き起こる怒り。ようやく四つ這いの姿勢になって息が継げた時の私の気持ち。
呼吸出来ず仰向けのままで地面をのたうち回っていた私に突き刺さるのがブーツの爪先だと気付いた時、理不尽な暴力への反発と怒りで声が出た。ただの唸り声でしかなかったけども、それがキャインと鳴く犬っころの悲鳴ではなかったことに満足を覚え、そして唸り声を出したことで息が戻ったのは幸いだった。
真っ赤に染まる思考のままに、自分を蹴りつけた相手を睨みつけてやろうと立ち上がった私はそこで急停止することになった。理解が追いつかない。信じられない。ざわりと粟立つ。脳が揺れるほど一気に血が下がる。真っ赤な思考は真っ白になっていく。
何語かはわからない。ただ激しく罵る怒声を上げ、顔を真っ赤にしてブーツの男に掴みかかる男がいた。
東洋系のその男は、私と同じく箱車から放り出され地面をのたうち蹴り飛ばされたのだろう。そして同じく真っ赤な怒りに駆られ掴みかかったのだろう。
甲冑の銀が動き、ひときわ明るい光が3つ弧を描いて地面へと向かい、途中で瞬き直線の軌道へと変化して消えた。ただそれだけだった。静止の声も無く、罵声も無く、気合の声もない。ただただ流れるように3人の兵士の槍が振りおろされ突き出されただけだった。ただそれだけで掴みかかった男をその場、その空間に縫い止めていた。
「ーーマァーー」
何と言おうとしたのかはわからない。言葉を織る息は出ず、代わりにその口からは血が泡となって零れでる。その鮮やかな紅色が彼の身体の奥深い動脈や内臓、肺腑を貫いたことを示していた。
見開かれた目は潤み、問いかけるように私の視線とぶつかった。どうしようもなく思考は停止し、ただただその目に吸い込まれ、他に何も見えなかった。ただただ立ち尽くし私は止まり続けた。
命が軽い