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六章

「どーなってるんだよ一体!!」

 怒鳴り声が特設支部の中に響く。

 怒鳴っているのは武流で、それを受けているのはその場にいた全員だ。

「なんでこんなに影が強くなってんだ!」

 現状を一言で表すのなら、まさにボロボロだった。

 実力者が集まっているはずの精鋭部隊が、いまや動ける者の方が少なくなっていた。

 本来なら位置の低い筈の武流がこんな風に怒鳴っていられるのも、上に立つ人間が限られて来たからに他ならない。

「地方へ戦力を割いていると、その間に首都に襲撃をされる。首都を守れば地方がやられる。完全に鼬ごっこだ」

「完全に踊らされてんじゃねーか!」

 不平不満が多く出てくるのは、主に主戦力になる斬る者からだ。戦いが激しくなれば一番被害が出るのは彼等だからだ。

「鎮めの者がもっとしっかりやらねーからだよ」

「何で俺達のせいなんだよ!」

 殊更に大きな声で、わざと横に居る鎮めの者に聞こえる様に言う。それにいちいち反応しなければ良い物を、やはり疲れで余裕がなくなっているのか、一人の鎮めの者が怒鳴り返した。

 こうなったらもう斬る者達の思うツボだ。

 自分達より立場の弱い鎮めの者と喧嘩をして、憂さを払いたいのだ。

「もっと早く影の動きが掴めれば先回りだって出来るだろうが!」

「先回りしたって攻撃力が低けりゃ意味ないだろ」

「んだと!!」

 ささくれ立っているのは鎮めの者だって同じだ。反論などせずに流してしまえば良い所なのに、怒鳴り返す。

 珍しい反発に余計苛立って、斬る者達が激昂して今にも掴みかかりそうな状態だった。

「止めなさい!」

 緊張状態の二者に、ぴしゃりと制止をかけたのは壬蔓だった。

 還す者の言葉には反射的に従ってしまうのか、両者共ぐっと堪えて浮き上がりかけた腰を椅子に戻した。

「喧嘩をしている場合じゃない。ここは

戦場なのよ」

 睨まれて目を逸らす。

 沈黙の降りたその場に溜息を付いて、壬蔓は出撃に出ている第一班の事を思い浮かべる。

(どうして、あの子達みたいに上手くいかないの……)

 鎮めの者への八つ当たりは日に日に増加していっていた。戦いが激しさを増すにつれて、皆の心が荒んで行く。

「荒れ模様か?」

「真藤指令……」

 騒ぎを聞きつけたのか顔を出した真藤に、壬蔓は事の経緯を伝える。けれど真藤は深刻になるどころか笑い出し、若いなぁと呟いた。

「八つ当たりする元気があるならまだ良いさ。本当に佳境になってくると口きくのすら嫌になる」

 その言葉にその場に居た能力者達が完全に沈黙した。真藤の年代は十歳前後の時に大戦が終っている。と言う事は幼少期に戦争体験、もしくは兵士として戦っていた経験がある。

 経験者を前にして、若者達は黙るしかなかった。

「昔はな、と苦労自慢する気はない。だが、今より状況が悪かった事だけは確かだ」

「だから我慢しろって? 冗談じゃない」

 吐き出すように言う武流の目には激しい怒りが隠さず見えていた。

 武流の腕には包帯が巻かれており、武器である糸を操る指先にも無数に保護用の絆創膏が貼られていた。

 戦いが激化して行く中で斬る者には怪我人が増えて行く。救助隊も頑張ってはいるが流石に追いつかない状況になってきている。

「体張って今戦ってんのは俺達だ。補助や防御任せてる筈なのに、それが間に合わなくて俺等がやられる。鎮めの者責めて何が悪い!」

「責めて能力が上がるなら責めろ。そうじゃないなら無駄な体力使うな」

「っ?!」

「苛立ちを表に出しても良い事ないぞ」

 真藤の言葉は決して鎮めの者を庇ってはいない。けれど、斬る者の言葉を肯定しているわけでもない。

 ただ面倒を起こすなと、そう言っているのだ。 

「白の武器保持者は……?」

「なに?」

「白の武器保持者がいるのにどうして影がなくならないんだよ?」

 武流の言葉に、今度は真藤が詰まる番だった。

 白の武器を持つ者。伝説の力を保有する者のの存在は一般的には『一人で影を消す事が出来る者』としか伝わっていない。

 けれど武流の言う言葉にはもっと別の意味が含まれている。それは真藤以外の人間にも伝わっているが、答えられるのは真藤しか居ない。

「お前等」

 じろっと武流の視線が還す者の方を向く。

睨むでもない視線だったが、その暗さに呼ばれた還す者達はびくっと体を竦めた。

「お前等の能力。なんで『消す者』じゃなくて『還す者』なのか知ってるか?」

「蛟……お前……」

 その真藤の反応から、武流はやはりと呟いた。

 何の事か判らずにおろおろとした目を真藤と武流両者に向けていた還す者達は、再び武流に睨まれて動きを止める。

「白の武器を持つ者。その力、一人で三種の能力と同じ。って言うのは表向き。奴等は影を完全に消滅させる。自然に『還して』また影になりうる状態で四散させているだけの『還す者』と違ってな」

 ざわっと、その場に衝撃が走る。

 還す者の力はずっと『影を消してる』のだと信じられていた。けれど、武流はそれを『自然に還しているだけ』といった。

 また影として現われる可能性があるまま、散らしているだけなのだと。

「蛟、お前どこからその情報……」

「親父から、だよ」

 前大戦で殉職した父だが、戦場へ向かう前に家族に宛てた伝言音声が残されており、その中に「帰れないかもしれない」と言う呟きから始まった白の武器に関する情報が入っていた。

「その話を聞いてから半信半疑だったけど、ずっと不思議な事があった。なんで組織は影を『消さない』のかって」

「伝説の武器は前大戦で失われた。仕方が無いだろう」

「楼と神祈。存在を組織が確認してから何年経ってんだよ? 今回の作戦だって! あいつ等が参戦してるのにどうして影の数が減らないんだよ!」

「二人だってまだ完全じゃない。制御鈴を付けながらの戦闘だ。影を消すまでに至らない時もある」

 武流の言葉を切る様に、真藤が言う。

 制御鈴は二人の力を制御して、無意識に全力を出そうとするのを抑えさせている。

 汐に至ってはそれでも制御が不安定なのだが。

「影の数は着実に減っている。落ち着いて頭に登った血を冷やせ」

 言い聞かせる様に断言する真藤に、武流も押し黙った。これ以上言い合っていても不毛だとでも思ったのだろう。表情は全く納得していなかった。

 釈然としない空気の流れる中、支部内に慌しい動きが見えた。

「真藤指令、影が」

「どこだ?」

「湖華です。数は一体、段階は三」

 一体相手ならば一班だけの出動で良いだろう。しかし段階三となると今この特設支部に帰還して来ている能力者達の中でも選ばなければ荷が重い。

「俺が行く」

「待て、蛟!」

「他にいねーだろ」

 言いながら班員を集めて出て行ってしまった武流に、真藤は溜め息を付く。

 確に能力者の数が減ってしまった今、対抗出来るのは武流の班を含めても三班あるかないかだ。

 彼が出撃する事に問題はないのだが、真藤が危惧するのは別の所にあった。

(無事で帰ってこいよ……)

 苛立ちに任せた戦闘は、影に付け入る隙を与える。それに、無茶な作戦でも押し通そうとする強引さも出てくる。

 武流のあの調子では班員の危険を省みない……鎮めの者ごと影を切り裂いてしまいそうな、そんな危うさがあった。

 相次ぐ負傷者続出の為、本来医療班として特別支部に来ていた能力者も、現在は戦場に出ているのだ。

 武流に呼ばれて出撃準備にかかる中には、医療班から戦闘員に切り替わった仄も含まれていた。



 夜の闇に解ける影がいる

 宙にあって人の形を取るその影は、眼下にある崩れた都市を見てニヤっと口元を歪めた。

「礫華はもういいか」

 くすくすと笑いながら、影は宙を移動する。影から影に飛ぶのに時間は必要としない。

礫華から逃げ、漠華に集まろうとする人を、快く受け入れて都市の中で食らう。

漠華は既に半数が闇に落ちた。

交戦中の岳華も優勢は揺ぎ無い。涼華は岳華に援軍を送ったせいで防御が薄くなってるから、直ぐにでも落とせる。

「湖華も……首都落としてからで良いか」

 笑う影は再び飛んで、都市近くに寄らなかった影達に問いかけた。

「ねぇ君達。人を襲いたくない?」

 影であって、人の形をとるそれの言う事に、闇そのものであるような影達はうぞうぞと蠢きながら言葉にならない呻きを上げる。

「そうだよ。君達はその為に生まれたんじゃないか」

 人を襲う為に。破壊をする為に。

 闘争本能、破壊衝動。それらを満たす為だけの……それが全ての存在。

「それが、影……」

 人の影が指し示す場所は最も光多き場所。

 影は光を嫌い、進もうとしないがそれを笑いながら指先を少しだけ変える。

「よぉく見てみなよ? ほら、あんなにも影が濃い」

 眩い光のその下に、暗く濃く存在する闇と影。見つけた居場所に喜んで、影達は勢い付いて進みだす。

「首都へ」 



「炯霞!」

「……どうしたの? 慌てて」

 礫華から涼華の影討伐を経由して帰還した第一班を、二班の鎮めの者が慌てた様子で迎える。

 それでなくとも支部内には微妙な雰囲気が流れており、いつも以上に斬る者と鎮めの者の間には距離が開いていた。

「何かあったの?」

「それが……」

 切り出し難そうにしながらも鎮めの者が教えてくれたのは、起こるかもしれないと危惧されて来た事だった。

「斬る者が……影を抑えていた鎮めの者ごと攻撃を……」

「え……!?」

「鎮めの者の容態は?」

 炯霞の横で話を聞いていた汐が乗り出して聞く。純粋に心配をしての行為だが、それだけで支部内にいた鎮めの者達は眉を潜めた。

「傷自体は酷くなかったんだけど……」

「何か、障害が……?」

 先を言いあぐねる斬る者を焦らせる事なく待つと、泣きそうな程顔を歪ませて俯きながら呟いた。

「目を……」

「っ! 見えないの!?」

 炯霞の問いに頷く事で答えると、斬る者は怪我人が収容されている部屋を告げて、炯霞に行ってあげて、と促した。

「……まさか、怪我したのって……仄…?」

 質問に答えが返って来るか来ないかの所で炯霞は走り出した。

 それを見送って残された面々は棘々しい空気の中で、一際異彩を放っている場所があるのに気が付いた。

 その異様な気配が気になって見てみれば、斬る者が固まっている、その中心に憮然とした武流が座っていた。

「蛟……何があったの? どうしてこんな……」

 汐が彼に問いを投げたのは顔馴染みである事と、流石にこの雰囲気の中で他の能力者には聞き辛かったのだ。

 けれど、その汐に答えたのは別の場所に固まっていた鎮めの者達だった。

「なにがもなにも。桃舞を襲ったのはその斬る者じゃないか!」

 指をさして怒鳴るその先には武流がいて、信じられないと言う視線を汐達はその場に居た第二班に視線を向けるが、三人とも神妙な面持ちで静かに頷くだけだった。

「蛟、何で?!」

「うるせぇな! 鎮めの者がどうなろうと知った事かよ!」

 問い詰められて逆上した武流がとうとう怒鳴り始めた。それでも少しは悪いと思っているのかやや自信がなさげだった。

「お前等みたいに一人で影を消せる奴にはわかんねぇだろうけどな! ろくに影を抑える事も出来ない、防御もままならない。そんな鎮めの者なんて用無しなんだよ!」

 武流の言葉に頷く人が多いのは、悲しいかな事実だった。

 役に立たないのなら、戦力外としたい所だが人員不足の為にそれも出来ない。

 精鋭部隊に人数を裂いているので、各支部からの増援を期待すれば、支部に残っている者達でしている通常業務に支障が出る。

 どうしたって、怪我人が続出している中では実力不足の者も戦場へ出なければならない。

 しかしそれが足を引っ張る結果になる事だってある。事実、武流の怪我は出撃前よりも増えていた。

「俺達は制御鈴がある限り一人で影を消す事は出来ない。お前達と同じだ」

 雷嗣の淡々とした言葉に、汐が頷く。

 その事実に驚きの表情を浮べたのはその場に居た全員だったが、武流の表情は驚きと言うよりも信じがたい事を聞いたと言う様な、ある意味絶望に近いものだった。

「なんでだよ……? なんでわざわざ力弱めて戦ってんだよ! なんで影を消さないんだ!」

「消してない訳じゃない。制御しているだけだ」

「同じ事だ!」

 単純に考えて、雷嗣と汐が一人で影を消しているのなら二班、六人分の戦力増加に繋がる。そうすればもう少しだけかもしれないが、戦況は楽になっているかもしれない。

「何で組織もお前等も! その力を全力で使おうとしないんだよ!」

 怒りのままに怒鳴り散らす武流に、汐が何か言おうと口を開きかけた時、部屋に低く響く声が聞こえた。

「そんな下らない感情の八つ当たりで、仄を傷付けたの?」

 背筋にざわっと嫌悪感が走るような低い響きに、一瞬呑まれて武流は声を上げる事が出来なかった。

「自分の実力棚に上げて人に当り散らす。君は無能なの?」

「な、んだと!! 弭芹てめぇ、鎮めの者の分際で!!」

 部屋に入って直ぐの所で呟くように言われる炯霞の言葉だが、どうしてか真っ直ぐに武流へと届く。

 いきり立った武流が怒鳴りながら炯霞の元へ殴らんばかりの勢いで歩み寄る、その途中で炯霞がまた、いつもからは考えられない様な凍てついた声を上げる。

「白の能力者頼ってる時点で、自分は無能ですって認めてるのと同じじゃない?」

「てっめぇ……!!」

 本格的に殴ろうと、武流が腕を振り上げ、もう片手で炯霞の胸倉を掴みかかった所で二人の間にびりっと衝撃が走った。

 雷嗣の出した小型の雷が、二人の体に触れたからだ。

「その辺にしておけ」

「雷嗣……」

 どちらが良いとも悪いとも言わない雷嗣の静かな視線に、両者とも爆発しそうになっていた感情は引いた。けれど納得している訳ではない。

 剣呑な雰囲気がまだその場に漂っている。

 鎮めの者はいつ後ろから仲間に殺されるかもしれない恐怖を持ちながら、影と対峙しなくてはならない。

 斬る者は相変わらず真っ先に影に飛び込んで、傷付かなければならない。

 還す者は自分達の力に疑問を抱きながら、いつ同士討ちになるかも知れない二人を制御しつつ、戦わなければならない。

 不安と憤りと疑念と 

 暗い気持ちを抱えたままの戦いに、勝機等は見出せない。

 この状態をどうにか脱さないとと思いながらも、汐にも雷嗣にも、もちろん炯霞にも上手く収める方法を見出す事が出来なかった。

 そして微妙な空気が流れる中、それを破ったのは扉を開ける音だった。

「あれ? どうしたの皆。お葬式みたい」

「仄!?」

 頭から顔の右半分を覆う包帯が痛々しい印象を与えるが、見せる笑顔はいつものもので、それでも傷が痛むのか仄はふら付く足取りで炯霞にと歩み寄った。

「仄、安静にしてなきゃ駄目だよ」

「うん。でも炯霞に渡す物あったの、思い出したから」

「僕に……?」

 うん、と頷く仄に、どうしたって視線が集中する。

 無言の視線には色々な感情が見え隠れしているが、大体の内容は疑問だった。どうして武流を怒らないのか? どうして何でもない様な振る舞いが出来るのか? どうして?

「あのね、私、思うんだけど……」

 視線に押された訳ではないだろうが、少しだけ躊躇した様子で話し出す仄の言葉は、炯霞にだけでなくその場にいた全員に向いていた。

「私達は、何の為に戦ってるの?」

 当たり前の事だったけれど、改めて聞き返されて皆ははっとした。

「私達は、何を守る為にここに居るの?」

 多くを語らない仄の言葉は、忘れがちになる初心を思い起こさせる。影消の存在理由はその名の通り『影を消す事』

 戦うべきは人を襲う影

「私は、目が見えなくてもまだ治癒術があるから、だから、戦うよ。皆の傷を癒す事で、戦う」

 だから、平気

 そう言って仄は残された一つの瞳で元気に笑う。守れる力がまだあるから、だから大丈夫だといって。

 軽く炯霞の手を引いて、仄はその場から立ち去った。自分がそれ以上そこに居ては場の雰囲気が悪くなるのは判っていたから。

「あたし達が守っているのは、人よ。能力を持っていても、いなくても変わらない」

 仄の去った後、静まった部屋の中に汐の呟きに近い言葉が響いた。

「鎮めの者でも、還す者でも、人は人なの……なのに、どうして……」

 人を守る力で、なぜ人を傷付けるのか

 汐の呟きは聞いた者全ての胸の中に、じんわりと何かを滲ませた。



 さわりと、涼やかな風が吹く。

 強くも無く、弱くもない心地の良い風だ。

「仄、危ないよ……」

「平気だよ。炯霞がいるもん」

 ニコリと笑って繋いだ手に力を込める。

 そよぐ風が仄の髪をあおって、顔半分を覆う包帯に冷たく当たった。

 夕闇に包まれ始めた清華は、闇を嫌って人工照明が煌き夕日と照明の奇妙な混在模様を見せる。

 その光達が、仄の体を薄っすらと光らせているように見せて、幻想的な風景に炯霞は思わず繋いでいる手を強く掴んだ。

(消えてしまう様に、見えた……)

 微笑み返してくれる仄にほっとしながらもどこかにまだ不安なモノが残った。

それがなんと言う感情なのかと問われたら、明確な言葉では答えられない様な輪郭の無い想いだったが、それは確かに炯霞の中に残った。

 思えば仄という人物は出会った時から一種幻のような、現実とは違う所にいるような雰囲気のある人物だと一歩前を歩く仄を見ながら炯霞は思っていた。

 けれどそれは

(きっと、仄が遠い所を見ているからだ……)

 特別支部の中で、炯霞が唯一気に入ったのは屋上だった。

 礫華の塔と良い、炯霞は空の広い所を好む傾向にある。それが単に空の見える風景が好きなだけなのか、鎮めの者としての暮らしが、下向く事が多い為の空への憧れなのかは炯霞自身にも判らない。

(失明、か……)

 思いながら炯霞は右目を瞑ってみる。片目の視界は見えるけれど、やはり狭くうっすらとぼやける。

 慣れて行けばそれなりに生活も出来るだろうが、戦闘はきっと無理だ。

(でも、その方が良かったのかもしれない)

 その方が傷付く事は、格段に減るのだから。

 遠くを見ている仄。その視界の先にあるのは、きっと彼女が守りたいと言ってた故郷なのだろう。

「ねぇ炯霞。前に私が言ってた事覚えてる?」

「え……?」

「私が戦う理由」

「あぁ…、うん。故郷の為、でしょ?」

「そう」

 屋上の端まで来て仄は立ち止まり、落下防止の柵越しに首都の放つ光を眺めながら話し出す。

 仄の出身は第五都市漠華の端。礫華に程近い辺鄙な町。もはや町と言うよりも集落と言った方が良い様な、本当に小さな場所だったという。

「砂漠の砂と、瓦礫の欠片と、ちょっとの草と、皆の笑顔。それが私の全てだった」

 けれど影はそこにも現われて、仄の好きだった全てを奪い去った。

「え……? じゃあ」

「そう。私の守りたい物は、本当はもう無いの」

 一瞬のうちに影に飲み込まれて、消えてしまった大好きなもの。突然の事に放心して、その場から逃げる事も出来なかった仄は、それでも襲ってくる影に初めて自分の持つ力を解き放った。

「その時初めて鎮めの力を使ったの。使おうとしたんじゃなくて、自分を守る為に咄嗟に搾り出したって言う方が良いかも」

 そして力の波動が組織に知れ、影の討伐に来た隊員に頼んで仄は影消に入ったのだという。

「どうして……?」

 守る物がなくなってしまったのに、どうしてわざわざ戦いの中に身を投じたのか。

一人残って暮らすのも、組織が付属で作っている影に家族を殺されてしまった孤児達の施設に入っても良かったのに、仄は迷わず影消に入る事を決めた。

「守れなかったから、守りたかったの」

「なに、を?」

「人を」

 誰かを

 未来を

 守りたかった。

「辛く、無かったわけじゃない。けどね、私は戦うけど、戦わない時代があっても良いと思ったの」

 取るに足りない力だとしても、戦える事には変わりない。だったらほんの少しでも、それが例え自分の利己欲だとしても、影と言う脅威から人を守りたかった。

 そう語る仄の信念は、炯霞が目標にして来た事と似ていた。

 仇を取る事で、過去が変えられる訳ではないけれど、それでも母や父を弔う意味でも、仇を討つ事で区切をつけて、新しい道を作って行きたいと思っている。

「私の具現武器はね、帯だったんだ」

「帯……?」

「そう。ひらひらって舞わせるの。そうするとね、花びらが出てきたんだ。桃の」

「見て……みたかったな」

 言葉の端々に散る過去形の表現に、仄が自身でもう戦闘には参加出来ないと判っている。その潔さが逆に炯霞には悲しかった。

「医療班で頑張るから、炯霞も頑張ってね」

 そう言って差し出して来たのは硝子球。

透明な硝子の中に桃の花びらが閉じ込められている、掌に握り込めるくらい小さなものだ。

「これ、仄の?」

「うん。私の力を結晶化させたの。特別な力は無いかも知れないけど、お守り」

 治癒力がある仄の力を結晶化させた物なら、本当に多少なりのお守り効果はあるかもしれない。

 それに、それを持って貰う事で自分も現場に出ていると言う事にしたいのだろう気持ちも、炯霞には判った。

「ありがとう。大事にする」

「ねぇ炯霞……」

「ん?」

 呼びかけただけで次の言葉が出て来ない。仄にしては珍しい。どうしたのかと炯霞が振り向くと何時も微笑んでいる仄の表情がやけに真剣で、言葉の先を促すのに躊躇する。

「……ううん、なんでもない」

「仄?」

 笑うと仄はまた炯霞の手を取って、屋上を歩き出す。

 さわりと風に桃色の髪をなびかせながら。



「蛟を戦場に出すんですか!?」

 仄が右目を失った事件から数日後。

 支部長室で大声を上げているのは汐だった。

「仕方ないだろう。俺よりも上の判断だ」

「だけど、それじゃあ……」

 斬る者が増長する。鎮めの者には何をしても良いのだと誤解する。そんな危惧がまだ取り除けないのに、人員不足と言う問題で武流は一応言い渡されていた謹慎処分から、実質三日で復帰する事になる。

「影の動きがまた変わったんだよ」

「っ……」

 忌々しげに吐き捨てる真藤の、差し出した書類を見て汐は息を飲んだ。

 横に控えた雷嗣と炯霞もそれを見て、真剣な面差しを真藤に向ける。

「今まで辺境にいて稀にしか人を襲わなかったような影が、どう言う訳か援軍になって礫華と漠華を陥落させた」

「陥落?! そんな……」

 眉を顰めた真藤の表情に苦いものが見える。この作戦が始まる前まで自分の居た漠華が陥落とあっては、多くの知り合いが亡くなった事を意味する。

 それでも、悲しんでいる暇等ないのだ。

「第四都市岳華と第三都市涼華でも交戦中。湖華から援軍を送りたい所だが、これ以上兵を減らしたら湖華がやられる」

「涼華と、湖華も……」

 雷嗣の出身地である涼華は今激戦の中にある。ついこの間まで在籍していた湖華も危ない状況だと言われれば、流石に雷嗣にも動揺が走る。

「で、更にで悪いんだがな。組織立って動いていた影の全勢力が、首都に向けて進行して来ている。早ければ明日が決戦だ」

「そんな、急すぎる……」

 愕然とする汐に、更に書面を渡しながら真藤が溜息混じりに話を続けるには、どうやら影の進行は今に始まっていた事ではないらしい。

「上手くこっちの探査方の動きを掻い潜って、単体づつで徐々に進行をして来ていたらしい。その痕跡が各地で見つかった」

「こちらの動きが、読まれていたと言う事ですか?」

 雷嗣の問いに頷いて答えると、真藤は更に、と付け加えて机上に地図を広げた。

「今までの影との交戦図だ。首都に進行してきている影はこの線。交戦地は丸。上手い具合に散らされて、戦力分断、各個撃破をされていたのはこっちだったって訳さ」

 言いながら、真藤の視線が炯霞を捕らえる。物言いたげな視線だが、それに敢えて乗る事はしない。出来るわけが無い。

 炯霞は無表情を決めこむと、真藤の視線を黙殺した。それは逆に不信感を煽る事にもなるが、それでも構わなかった。

「首都防衛線に入る。第一斑、戦闘部隊に召集をかけろ」

「はい……」

 釈然としない面持ちのまま、支部長室を出た三人は各能力別に分かれて召集をかける。

 汐と雷嗣が思うよりも冷静に、任務をこなす炯霞を見送って、汐は雷嗣を引き止めた。

「雷嗣、炯霞大丈夫かな……?」

「判らない。だが、万が一の時は止める。命に代えてもだ」

「そうだね。私達は同じ白の武器を持つ者だから」

 炯霞は気が疲れていないと思っているが、二人には判っていた。炯霞が同じ白の武器を持つ伝説の力の持ち主だと。

 裏切りの過去がある以上、その力を持つと言い出す事は難しいだろう。だから、何か事情があるのだと二人も黙ってきたが、炯霞から感じ取れる力の波動が、波立っているのだけが気がかりだった。

「炯霞は、制御鈴付けてないから、だからだよね……?」

「そう思いたい」

 制御鈴は汐の様に制御補佐に使う為だけにあるのではない。雷嗣の言う『全力で力を出さない為の目安』と言うのが正しい使い方なのだ。

 二人は武器から伝わる不思議な幻影を幼い頃から良く見ていた。

 唐突に見えるその幻影は、何時も悲しく、これから己の身にも起こる事かもしれないと思うと恐ろしかった。

「光濃ければ闇また暗し」

「白と黒とは表裏一体。決して切れる物でなし」

 白の時に生まれし子供は、白の力を多く持つ。能力の強い子供は大半が白の時生まれだった。

 白と黒。光と影。陰と陽。

「人はその二つで生きている」

「よって、影を滅するは人をも滅すると心せよ」

 そう二人に教えてくれたのは、影となっても後継者に真実を伝えようとしてくれた、前大戦の武器保持者だった。

「炯霞は、知ってるかな?」

「判らない。けれど、誰が疑おうが炯霞は仲間だ。空虚を抱えた俺がそう思えた。信じれば良い」

「そうだね」

 共に居た時間は少ないし、本気で語り合った事も漠華の夜だけだけど、それでも炯霞を仲間だと信じている。信じたい。

 そう思えたし、そう思った。だから炯霞にもそうであって欲しいと願う。

「闇に、飲まれないで。炯霞……」

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