五章
「くっそぉ! 割れろぉ!」
どんっ! とくぐもった音が響き、巨大な影が内部から爆発する。爆破で散った小さな影を還す者が消してゆくが消す前にまた集まって動き出す。
「キリがねぇ……」
肩で息を付いてざっと周囲を見渡せば、存在する影は三体。けれどそこから千切れてまた細かな影となって蠢くので正確な数が解らない。
「鎮めの者は細かいのを押さえてろ! 斬る者はでかいのを一体ずつ集中して攻撃! 還す者は片っ端から消して回れ!」
「了解!」
三班以下六班までの共同戦線で、現在首都から離れた第四都市岳華での影捕縛が続いていた。
状況は劣勢。負傷者も出て居る厳しい戦いとなっていた。
「怪我人の手当ては後回しだ! 鎮めの者は影を抑えろ!」
「そんなっ……!」
「まずは敵を倒してからだ!」
怒鳴り声とともに細かな影が消し飛んでゆく。苛立ちに任せた攻撃は威力はあるが同時に体力も奪ってゆく。
影が自らの体を刃物のように変形させて巻き起こした鎌鼬に巻き込まれて、体中に裂傷を受け倒れているのは鎮めの者だ。
先に影を倒してからと言うのも分かるし、言っている斬る者達も軽症だが怪我をおして戦っている。けれど、重体のこの人が斬る者や還す者だった場合、もう少し対応が違うのかも、と思うと鎮めの者も釈然としない。
「縛れ、蔦の錠」
「潰せ重力の斧!」
「雨の槍にてその身を還せ」
降り注ぐ雨に身を削られて消えて行く影達が、断末魔の悲鳴に何か言葉をのせるが、かすれて音にならない。
三体全てを無に還して、戦闘終了した三班達の中に、武流も在籍していた。
(思った以上……か……)
大きく肩を揺らして息をする武流が、こめかみに流れてきた物を袖口で拭う。黒い制服なだけに目立ちはしないがべったりと付いたそれは汗ではなく血だった。
(ここまで差が出るとは思わなかった……)
三班から六班までは第三都市から第六都市までの第一斑と第一・二都市の二班・三班が混合になっている。
「蛟、大丈夫か?」
「平気平気。頭だから血の量が多いだけッスよ」
「無理はするなよ?」
笑って送り返すのは第一都市二班の斬る者で、この連合の中では一番の実力を持っている。武流にとっては逆にこいつが化け物なんじゃないかと思えるくらい、桁外れの力だった。
(二班でアレって事は、やっぱ白の武器って相当なんだろうな)
武流の脳裏には汐と炯霞の姿が浮かんでいた。
別チームになったが故に戦況報告として二人の行動は耳に入るが、こちらの部隊が驚くような戦果を上げている。
(弭芹……あいつやっぱり……)
白の武器を持っているんじゃないか? その疑問はどうしても武流の中から拭えない。
第一斑に選ばれた事と良い、もし本当にそうなのであれば。
「裏切る前に殺してやる……」
「戯れろ炎の蝶」
ぶわっと広がる蝶の大群が、人と影の間に壁を作る。
蝶が守る人の数は炯霞を含めて十二人。四班体制で行われて来た影討伐の最後の一体になって苦戦を強いられていた。
と言うより、七体居た影の、半分を消したところで残った影が集まって一つの大きな影へと変化したのだ。
複数の影を体内に宿している為に、攻撃の方式が読めず攻め込めない。影を鞭の様に撓らせたかと思えば、矢の様に打ち出して来る。接近すれば取り込もうと触手を伸ばされる。
「遠距離攻撃型の斬る者は?」
「負傷中。真っ先にやられたわ。どうもこの影、知能も高そうね」
班編成は第一班と二班。そこに七班と八班を付けた形だが、現在立っているのはやはりと言うべきか一・二班と、七班の鎮めの者だけだった。
第二班の斬る者は遠距離攻撃はできるが影を爆発させてしまうので、細かい影の飛礫が出来てしまう。そうなれば還す者の一人はそちらに付っきりになってしまう。
「本体を叩かなきゃ終らない。汐、やれるな?」
「……頑張る」
雷嗣の問いかけに固い口調で頷いて、汐が力を溜める間に炯霞は他二人の鎮めの者に目配せをして瞬時に役割を決める。
二人は自分達能力者を守り、炯霞は周囲に防御壁を作り、汐の力が回りに被害を与えない様にする。この四班で行動をするようになってからずっと、役割は定着していた。
「羽の鎖!」
「氷の檻!」
二人の力が組み合わさって発動すると汐を除いた面々の前に見えない壁が出現する。と、同時に触手を伸ばした影を炯霞の蝶が阻み、汐が力を解放させる。
「唸れ白の水!」
小波が一気に津波にまで膨れ上がり、生き物の様にうねりながら影を襲う。飲み込まれた影は波に翻弄されながらも必死に流されないように堪えている。
「大気の花」
呟きと共に影が弾け飛ぶ。波に耐えて影の足であろう部分が吹き飛ばされて、濁流の中に飲まれて行く。
水に流され溶けはじめた影に、壬蔓と雷嗣が止めとばかりに力をぶつける。
「剣の歌!」
「荊の雷」
白の力に削り取られ、剣の歌声に切り刻まれ、雷に焼かれて影は数秒後に消え去った。轟音を上げて辺りに広がる汐の水は、その全てが蝶によって阻まれて周囲に被害は出していないが、代わりに炯霞に激しい負担を加えた。
「炯霞、大丈夫か?」
「大丈夫……」
膝に手を付いて体を折り曲げ、息を付く炯霞の背を、心配そうに雷嗣がさする。
ぜいぜいと息を吐く度に肺が痛い。全力疾走を繰り返した様な感覚だ。
(白の力を……抑えながらは流石にきついな……)
息を付きながら炯霞の視線は汐の剣に付いた鈴を捉えていた。制御鈴だと教えて貰ったそれは、どんな時であろうと力を全開にしない様に付けているのだと言う。
(雷嗣にも付いてるんだよな……)
制御の下手な汐にだけ組織が用意したのかと思っていたが、制御の完璧な雷嗣の扇にも制御鈴は付けられていた。
雷嗣に聞いた所、限界地への目安にしていると言っていた事から、雷嗣もまた全力を出さない様にしているのがわかる。
(白の力を使うのにあたって何か意味があるのか……? 俺は、何も聞いてないけど……)
考えても判らない物は仕方ない。怪しまれない様に後で聞くしかないと自分の思考に区切を付けて、炯霞は一つ大きく息を吐くと周辺探査の残務に加わった。
負傷者を抱えての戦いであっても、一・二班、七・八班連合は常勝を掲げて特別部隊の中でも一目を置かれていた。
負け戦とは要するに死亡者や重体・重症者を出した班の事。影の討伐は出来ていても、相討ちでは人数に限りがあるだけ能力者の方が分が悪い。
「七班、八班は先行して首都に帰還。二班はその護衛。一斑は礫華内で一日待機。影の存在がないと判断し次第帰還。良いな?」
雷嗣の指示が飛んで、責任者補佐の壬蔓が賛同する事でそれは実行される。
礫華での目撃証言があった影の個体数よりも多くの影を討伐したのだが、まだどこかに潜んでいる可能性はある。
的確な判断と指示だが、その中には炯霞を休ませてから移動させようと言う配慮もあった。
「汐」
帰り際の壬蔓に呼び止められた汐は、普段から厳しい彼女が更に強張った表情で自分を呼び止めたのは何故なのか、予想が出来るだけに歩み寄る間にも顔が曇る。
「言いたい事はわかってるみたいね」
「うん……ごめん」
「謝るのは私じゃない。それから、謝らなくて良い様になりなさい」
「そんなの……」
「良い訳は聞きたくない」
友人であろうと何であろうと、戦いに関して壬蔓は甘えを許さない。
影消の一員として戦いの場に出ているのだから、個人的な感情や事情や年齢、性別。そんな物は関係ない。一人の戦闘員なのだ。
少なくとも壬蔓はそう思って自らも戦いに挑んでいる。だからこそ、汐の良い訳も聞かない。
厳しい口調に閉口する汐の肩を、壬蔓は励ます様に叩いた。
「出来る。自信持ちな」
「壬蔓……」
それだけを言うと壬蔓は負傷者を庇いつつ、先行して首都へと向かった。
「影の確認は取れない。よって明日の朝には首都へ出立する」
雷嗣からそう言い渡されたのは夜。遅いと言うにはやや早く、夕方と言うには月が空の中ほどに登り過ぎた時間帯だった。
一日の時間は陽の出ている『白』の時間と、陽の沈んだ『黒』の時間に分けられる。現在の時刻は黒涼の時と呼ばれていた。
年間を通して同じ時間に陽は沈む。その時刻を黒清。一時間後は黒清湖。次が黒湖と都市と同じ名前が時間にも付けられていた。
(神祈汐、涼の月十七の日、白清の時生まれの『白の子』か……)
星の巡りを眺めながら、炯霞は礫華支部より少し離れた場所にある、崩れた塔の上に居た。
任務として舞い戻って来なければ、もう二度と来ないと決めていたこの場所は、瓦礫と廃墟だらけのこの都市でも気に入っている場所だった。
(白の子。白の武器を宿す可能性のある子)
そう呼ばれ、組織の中でも大事に扱われている子供達がいる。汐はその中から斬る者の保持者として選ばれた。その苦労や過去に何があったかは知らないが、汐は力を使うのを無意識に嫌う所がある。
(自信がない。だから制御が上手くいかないんだ)
任務の度に炯霞が張っている蝶の結界は、周囲に被害を出さない為と言っているが、実の所は汐の暴走を防ぐ為の布石である。
『炯霞の結界があるから大丈夫だ』そんな安心感を与えてやっと汐は力を使う事が出来る。
(あの様子じゃ、過去に力を暴走させた事があるな……)
汐の持つ自信の無さはそんな過ちからだろう。力を暴走させる恐怖は、炯霞にも分かる。彼もまた、過去に暴走させた事があるからだ。
(巨大建築一つ丸ごと廃墟に変えた。この力が災厄だと言う事を学んだ。この塔で)
炯霞が登る廃墟の塔。
かつて礫華でも数えるほどしかった建築物の一つだったが、幼き頃の炯霞が能力制御の訓練中に廃墟とした場所だ。
(母さんが殺されて、組織の学校に入るまでの二年間。死に物狂いで力を制御した)
炯霞の師は辛うじて生き残った父だった。しかしその父も炯霞が組織に入る頃に亡くなった。殺されかけた時の傷が元で亡くなったのだ、炯霞にしてみれば父も殺された様な物だった。
「俺の力を、悟られる訳にはいかない」
呟きながら手中に出のは横笛。
ぽぅっと発する光の色は、何時も見せる紅ではなく白。
白銀に光る横笛を、静かに口元に当てて奏でる曲は鎮魂歌。蝶は出ずに星夜に溶ける静かな音色が紡ぎ出された。
(この音……炯霞?)
同じ時、制御の自主訓練をと広い場所を探していた汐は、遠くから聞こえる炯霞の笛の音に導かれて塔の方へ向かった。
(綺麗だけど、悲しい曲)
鎮魂歌だと知らない汐が聞いても、炯霞の紡ぐ音色は悲しかった。鎮める為と言うよりもこの曲はまるで泣いている様だと感じたのだ。
(なんだろう……炯霞の中にある、切なる気持ちみたいな……)
名前を付けるとしたら『切望』と言う言葉が丁度良いかもしれない。汐にはそんな風に感じられた。
(あれ……、炯霞のいる場所、白い光?)
遥か高所にいる炯霞の事は、下からでは良く見えないが周囲にある光は捕らえる事が出来た。
(白い、炎……?)
良く見えないその光の正体を確かめたくて、汐は水の剣を手に持ったまま塔に近付いた。
上ばかり見ていた汐にはその時、自分の剣が何かと同調するかのように白く輝いていた事に気が付かなかった。
(なんだ? 笛が……)
目を閉じていても炯霞には笛が白く煌いたのが分かった。その異変に気が付いて演奏を止めて笛を見れば確かに何時もと違った輝き方をしていた。
(同調してる? 何と……まさか!)
ばっと下を向くとこちらを見上げている一人の人物。汐だ。
(見られたか……?)
慌てて笛を消して、炯霞は下から手を振っている汐に手を上げて答えた。
闇を恐れて礫華支部から出てくるとは思っていなかっただけに油断していた。もし見られていたのだとしたら、色々と計画の変更をしなければならない。
塔から降りると、汐は塔に寄りかかって剣を片手に炯霞が来るのを待っていた。もちろん今はその剣は光らず星明かりが当たるだけになっている。
「何してたの?」
「神祈さんこそ……」
「汐で良いってば」
邪気のない様子で話し掛けてくる汐に、炯霞は油断しない程度に警戒を緩めた。あまりがちがちに警戒していると逆に不自然だからだ。
「炎の光って結構明るいんだね。遠くからでも炯霞の位置分かったよ」
「そ、う……?」
「うん。遠かったし高かったから光しか見えなかったけど」
高い所好きなんだ? と続く雑談に、適当な相槌をうって返しながら炯霞は見られていなさそうな事に心中で胸を撫で下ろした。
(今はまだ、知られる訳にはいかなんだ……)
夜の雰囲気に当てられたのか、汐の表情も口調も何時もの元気さは無くて若干大人しい。
「綺麗な曲だね。今の」
「あぁ。好きなんだ、あの曲」
「……ねぇ炯霞。疲れなければあの曲もう一回吹いてくれない?」
「え……?」
一瞬戸惑いながらも、炯霞が紅い笛を出現させるとそれを承諾と取って、汐は数歩進んで静かに目を閉じた。
紡がれる炯霞の音色に、暫く耳を傾けていた汐は旋律に合わせてゆっくりと息を吸って、緩やかに吐き出しながら握っていた剣を振るった。
(剣舞……)
静かな笛の音に乗せて、ふわりと汐の長い髪が揺れる。重さを感じさせたい軽やかさで、白銀の剣が雫を撒きながら弧を描く。
力強い響き、緩やかな流れ、重みのある速さ、軽やかな音階。
初めて聞く筈の鎮魂歌に、まるで熟知しつくしたかの様な舞を付ける汐に、炯霞は同調しているからだろうかと思い始めた。
(鎮めの者の能力は、影に同調してその動きを止める事。だったら、能力者同士で意識的に同調させれば……)
稀に鎮めの者の力に引き摺られて、実力以上の力を発揮する斬る者や還す者がいると言う報告は聞いた事があった。
それならば、逆に制御させる事もできるのではないか? そう思った炯霞は曲を途中から鎮魂歌ではなく練習歌に変えた。
元々は楽器の練習用だが、その解り易い音階は聞くにも優しく耳に入り易い。簡単に耳に入るから、能力の練習にも向いていた。
(踊りやすい……)
無心で剣を振るっていた汐だが、曲調の変化した辺りから音との一体感を特に感じ始めた。
体の中を流れる力の奔流が静かになって行くのが分かる。旋律に乗って血の巡りの様に確かで、でも静かな流れ。
(でも、何かが……あと少し……)
力の循環。抑え方。今まで掴めなかったそれらの事がはっきりと見えた気がした。けれど、制御にはまだ何かが足りない。
そんな風に汐が感じている時、炯霞も同じ事を感じていた。
(静かに抑えたまま、最大の出力を可能にする、力の解放の仕方を知らなければ制御出来たとは言えない)
曲を再び変えようかと思った時、ひらっと視界に入り込む光があった。
(蛍……? いや、そんな訳……)
光の漂って来た方向を見ると扇で小さな雷をひらひらと扇ぐ雷嗣の姿があった。
集中している汐に気が付かれない様にそっと炯霞に近付くと、雷嗣は静かに微笑んで漂わせた雷を扇で操って汐の周りに飛ばせる。
(光……?)
目を閉じた上からでも分かる白い光に、汐の意識が向いた。
目の前の光は頭上に動き、感じる気配で両手足の先、胸・背中にも光があるのが分かった。
炯霞の笛の音に合わせて、汐の動きに添って煌いていた雷が、じわじわと汐の剣を持つ手に集まり始めた。
移動する光に汐の意識は引き摺られ、同時に力の流れも光の方向へと向く。
ゆっくりと剣に力が溜まって行く。この感覚を体に覚え込ませるように汐は意識全てを力の流れに集中させた。
「放て」
呟かれた雷嗣の言葉に乗せて、剣に溜めた力を放つ。
横薙ぎに振られた剣の軌跡に水の刃が描かれ、遠くにあった瓦礫を粉砕した。
「できた……」
「大きな力を出そうとするんじゃない。必要な分を全身から集めて出す感覚だ」
「雷嗣……」
良く出来ましたと汐の頭を撫でる雷嗣に、炯霞は疑問を持った。人を誘導してやれる程制御能力を持った人物が、何故あれだけの力しか使わないのだろうと。
(この人はいつもどこか手を抜いている感じがする。それがどんなに切迫した戦いでもだ……)
制御鈴とは別のところで、命賭けの戦いの最中であっても、雷嗣は余裕そうなと言うか、全力を出し切っていない感じがしていた。
そんな疑問が炯霞の顔に浮かんでいたのか、雷嗣はほんの少し良く見ないと判らない程度ではあったが、薄く微笑んで炯霞の登っていた塔に背を預けてその場に座り込んだ。
「俺は孤児だった。気が付いた時には一人で、仲間も居たけどやっぱり気が付いたら一人だった」
突然の話しに一瞬戸惑った炯霞と汐だったが、微笑んだままの雷嗣が自分の隣をぽんぽんと叩いて、座れと促すので横に座り込んで話を聞くことにした。
「生まれは涼華で、河が多かった。現われる影もそれなりに強くて、孤児仲間は寝ると次の日には何人か減っていた」
さらりと言われた事だがその内容は重い。
夜の闇に飲まれて、常に孤児であった子供達が消えていったと言う事だ。
「地方に散らばっている孤児にまで手は回せないんだろう。影消の姿は滅多に見る事が無かった」
殺らなきゃ殺られる。そんな状況下の中で、雷嗣は力に目覚め実戦と言う名の訓練を積んで来た。
その力の波動を感じ取った組織に迎え入れられるまで、雷嗣は一人で力の使い道を模索してきた。
「でも、或る日行きずりの誰かに扇があるなら舞って見せろと言われた」
孤児院に入る事も無く、ふらふらと川辺暮らしをしていた雷嗣に話し掛けて来たのは、確か旅の途中だとか言う変わり者だった。いつ影に襲われるかもしれないこの華国を端から端まで旅するんだと言っていた風変わりな男だった。
「舞いと言う物を知らなかった俺に、その人は踊りを教えてくれた。そして、それを習っているうちに自分の中に流れる力の流れを理解した」
舞う時に使うのは精神力。大気の流れに沿う様に優美に動くその動きが、体内を流れる力の奔流を制御するにも役立った。
「だから、制御がうまいのか……」
「その代わり、何かが足りない」
「なにか?」
鸚鵡返しに聞き返す炯霞に頷いて、雷嗣は自分の胸の辺りを握り締める。
「心が」
「……心が足りないって、こと?」
「判りやすく言えば、そうだろうな」
そう言われて炯霞と汐は思い当たる事があった。雷嗣は常に冷静に周囲を見ている。時として自分の事も客観的に眺めている事がある。
極端に喜怒哀楽が少ない。それが何故なのか、はっきりとした原因は無いのだが、それでも雷嗣の感情は希薄だった。
「言うなれば、空虚、か」
「空虚……」
「強い力を使う者の業。そんな物じゃないかと、俺は思っている」
力を使う代償に、何かがあるのだとすれば、自分はなんだろうかと考える。
(切望……かな……)
願っても願っても、自分の想いは絶対に叶わないから、だからせめて少しでも自分の希望に近い未来を作りたい。
その為の計画。その為の切望。
「だったら、あたしは贖罪……かな」
「贖罪? それは……」
言いかけて、炯霞は口を閉ざした。
贖罪とは、罪を償う為に行われる行為。つまりは罪を犯した者でなければ使わない言葉だ。
「あたしはね、沢山人を殺したの……」
思いがけない告白に、思わず二人の視線が汐に向く。驚きを含めたその視線に、痛々しい笑顔を向けて汐は語る。
「能力制御の訓練中にね、力を暴走させちゃって、研究員さんとか訓練生とか、教官も、沢山殺した。私の力で」
建物の崩壊に巻き込まれて死んだ者もいるが、それらを合わせると凡そ三百人近くの人間が汐の力の犠牲になった事になる。
「だから力を使うのが怖かった。自信が無かった。この力は、人を殺すから」
幼い時に組織から白の武器保持者候補として育てられて来た汐だったが、事件を起こすそれより前。もしかしたら生まれた時からずっと、何かに謝罪していた。
どうしてなのかは分からない。何になのかも判らない。けれど、汐はずっと卑屈な気持ちを持ち続け、己に自信が無く、力の使い方にも大きなムラがあった。
「そして大きな失敗をして、余計に自信が無くなって……」
それ故の制御力が低く、能力が不安定だったのだと、語る汐に涙は無かったがそれが余計に痛々しかった。
「でも、炯霞と雷嗣のお陰で力の出し方、ちょっと判ったみたい」
ぱっと表情を変えて笑う汐の頭に、雷嗣の手が伸びる。
労わる様に頭を撫でられて、緩みそうになる涙腺をぐっと堪えて汐は笑う。
彼女が普段明るい性格なのは、直ぐにでも卑屈になりそうになる自分の心を叱咤して、二度と悲劇を引き起こさないように気を張っているからなのだろう。
(前を、向くのか。それでも……)
どんなに罪を償おうとも、無くした命は戻らない。生まれた時から抜け落ちてしまった感情は取り戻せないかもしれない。
「二人は……何で戦うの?」
ぼそりと呟かれる炯霞の言葉に、二人は困ったような、苦笑いの様な表情を浮べた。
そして顔を見合わせた後で、二人とも同じ答えを返す。
「笑い合う未来が、見たいから」
自分の意思で組織に入ったのではなくても、力のせいで心に陰りが出来ても、それでも自分が戦う事で誰かが笑えるのなら、それで良いと思える。
「それは……」
炯霞も見ている未来。復讐のその後で、希望する形と同じだった。
(だけど……)
この先の計画を思って、炯霞はぎりっと手を握り込んだ。
(判らなく、なって来たよ……)
絶対に成し遂げるのだと思っていた。けれど色々な人と関わりすぎた。
星空の下で三人は暫くの間、只ただ無言で互いの気配を感じる位置に座り込んで、瞬く星を眺めていた。