四章
首都を統べている影消の責任者である男が、十数名の能力者達に対して向かい合う。
「ようこそ第一都市・首都清華へ」
華国の中心にあり、始まりの場所でもある清華。
六都市の中で最も古く、最も人口が多く、最も文明が進んだ場所でありながら、最も影の出現が多い場所である。
(拍子抜けしそうだ……)
影が多くとも住みやすさとその文明に憧れる者も多い。影消に所属している者であれば、清華は高い能力を示す証となる場所。
(あんなに望んでいた場所に居るのに、実感沸かないや……)
その清華には今、各都市から選ばれた能力者達が一同を介していた。
大体が各支部の一班から三班くらいまでの面子で、もちろん炯霞もその中に居た。
念願の首都に来れたと言うのに、炯霞の表情は明るくない。這いあがろうと思っていたその道が余りにあっさりと叶ってしまったせいであろう。けれど炯霞も解っている。これからが本番だと言う事を。
「今回の移動を不審に思っている者も居るだろうが、まずは落ち着いて話を聞いて欲しい」
毎年行われる移動だが、今回の様に対象者全員を首都に集めるなんて事は今までに一度もなかった事だ。
しかも今回は各支部が機能しなくなるのではないかと思える程に主戦力ばかりが引き抜かれていた。
「近頃、影の動きが妙だと気付いているかとは思うが、調査の結果奇妙な事が判明した」
調査結果によれば、今までに湖華や清華にしか出現しなかった様な巨大な影が漠華や礫華に現れている。それはつい先日に炯霞達も自ら体験した事だった。
更にはその影達は意思を持って漠華や礫華に移動をしているのだと言う。
「信じ難い事ではあるが、影達が組織だった動きをしていると、俺達は結論付けた」
ざわっと能力者達に動揺が走る。
影とは微生物の様に周りに居る者であれば何でも取り込み、増殖を繰り返すものだと思っていた。
それが、どう言う訳か軍の様に立派なものではないにせよ、組織だって動き始めているというのだ。
「そこで組織は今回の異動査定を利用して、ここに精鋭部隊の結成を宣言する」
部隊の結成。
その宣言だけで聡い人間は気が付いただろう。これから、影と人との戦争が始まるのだと。
(過去にあった、大戦の再現か……)
ちらっと、炯霞は横にいる武流を見るとはやり気が付いたのか、眉間にしわを寄せて難しい顔をしている。
共に移動してきた壬蔓は汐から聞いていたのか冷静だった。
精鋭部隊はこれより首都を本陣とし、探査方が調べてきた影達の集団を各個撃破。弱体化させてから本体を叩く、という大まかな作戦の後で部隊編成の説明があった。
「探査方には既に動いて貰っているが、補助班と戦闘班はこの後、簡単な実験を受けて貰い選別する」
それまでにこれから自分が住む事になる特設支部の確認をするように指示が与えられた。
(鎮めの者はここ、か……)
支部と言っても清華支部内にある一棟を丸々使い、階を分ける事で能力者を分けて余計な摩擦が起こらない様にされていた。
「お、来た来た」
各階にある休憩所を会議室として、まずは能力毎の顔会わせが始まった。
「君、漠華の弭芹君? 君で最後だよ」
「すみません、遅れたみたいですね」
「ううん、時間どおり。他が早過ぎんの」
場を仕切っていた少女は苦笑を浮かべて集まっている能力者達を見た。
鎮めの者のクセなのか、皆一様に俯いて、他の者と目を合わせない様にしている。
「癖なのかもしれないけど、鎮めの者しかいないんだから脅えなくても良いのにね」
「貴女は、随分……前向きですね」
「脳天気って言いたいんでしょ? まぁ、私の場合は班員が良いのが、大きいかな」
第二都市・湖華の第一班だと言う少女は、幼い頃から力が強く、未だ確認されていない伝説の武器を持つ者なのではないかと憶されていたのだと言う。
「だから大事にされててね。殴られるような事は無いけど腫れ物みたいに扱われた」
色々な意味を含めての『差別』に押し潰されそうになっていた時に、白の武器ではないと断定され、今の班員達と組んで現場に出るようになったのだと言う。
「二人とも周りの評価なんて気にしないで、友人として一緒にいてくれるの。今回も、一緒に移動できて良かった」
同じ班になれるかは分からないけれど、同じ部隊にいれば話す事も出来るだろうから。そんな風に行って笑う少女に、炯霞は笑って相槌をつきながら心中では毒を吐いていた。
(こんな士気下げるような事、この場で言わなきゃ良いのに……)
鎮めの者は大概が差別や虐待を当たり前に受けていて、だからこそ同じ鎮めの者同士でも目も合わせられないくらいだと言うのに、自分はわりと大丈夫でした、なんて大きい声で言う必要はない。
(って、そんな風に考える俺も相当性格歪んでるって事か……)
自分の吐いた毒にこっそり溜息を付いて、炯霞は思う。
割りと平気だったと話すこの少女にも、どこか暗い表情が付きまとう。俯いているだけの鎮めの者達は、言わずともがなだ。
(どうして、鎮めの者はこんなにも……)
裏切りの過去はあった。
けれど、それは自分達のした事じゃない。それなのにどうしてこんなに責められて、そして卑屈な思いに捕らわれるのか。
(自分の中にある感情を、自覚しているからだ)
影を鎮める時、一瞬だけ同調する意識。
その瞬間に影に引き摺られそうになる事も、実はあるのだ。飲まれてしまうか、自分の方に引き摺り戻すかで能力の高さが決まって来るのかもしれない。
そして影を制して鎮めた瞬間、斬る者が戦いの中で感じる高揚ときっと同じ感覚を味わっている。
征服欲、支配欲。
そんな欲が自分の中に確かにあるのをその度に自覚する。するからこそ、鎮めの者は裏切りの話題を出されるとそれを否定できずに黙り込む。
(だけど、真実は……)
母が殺された理由。炯霞が復讐を誓った理由。それが、過去にあった大戦での真実。
「ねぇ、弭芹君は?」
「え?」
思考の途中で急に入り込んだ少女の声にはっとして我に返る。
俯きながらボソボソとだが、他の鎮めの者が自分の能力を含めた自己紹介をしていたらしい。
「君の能力は何? って聞いたの」
「あぁ、僕は笛が具現武器で、炎の蝶を飛ばすんだ」
「へぇー。凄い綺麗そう! 見てみたい」
素直な反応をする少女に、他の鎮めの者もやや表情を動かして、頷いている所を見ると、緊張や警戒は自己紹介の間に解れたらしい。
「貴女は? どんな力?」
「私は硝子玉が具現武器で、氷の檻を使うの。だから私達は正反対の力を持ってって事ね。それに」
そこでクスリと何かを思い出した笑いを一つ浮べてから少女は炯霞の笛が聞いてみたいと言う。
「私の班員がね、舞うの。武器が扇でね」
「へぇ。じゃあもしその人と僕が組んだら」
「影討伐っぽくないんだろうねー」
一人は笛を吹き、一人は扇で舞踊る。
そんな緩やかな光景が誰も戦闘だとは思わないだろう。それにそれでは班員になる斬る者が可愛そうだ。
「皆さん、集合だそうです」
笑い合う声の中に、召集がかかる。
入り口に立つ小柄な少女の姿を何気なく見やると、そこに居たのは桃色の髪の少女。
「仄!?」
「あ、炯霞! やっと会えた」
微笑みながら近寄って来るその少女は間違いなく漠華で別れた筈の仄だった。
移動の辞令が下された時に選ばれていたのは第一斑の三人だけだった。その上、仄が別任務で支部を空けている時に出立してしまったので、もう会えないんだと言う後悔が残っていたのだ。
「なんで……?」
「追いかけて来たの」
「え……?」
きょとんとする炯霞に笑みを向けて、仄はだったら良かったんだけど、と訂正の言葉を入れる。
「なんてね。私ね、治癒能力あるんだって。だから引き抜かれて来たの」
「治癒能力? それは、頼もしいな」
「でしょ? どんどん怪我してね」
「それは、どうかな……」
補助を主な役割とする鎮めの者の中でも治癒能力を持っている人は少ない。稀に斬る者と還す者の中にも治癒能力を含んだ人はいるが、自己治癒のみであったり、止血程度にしか使えなかったりする。
「あ、早く行かなきゃ!」
「うん。遅れたら睨まれる」
小走りに移動し始めたその時に、でも、と仄が微笑む。
「一緒に移動できて嬉しい」
「うん……」
どうなるか分からない新しい場所で、無意識に気を張っていたのだろう、仄の笑顔を見て炯霞の肩の力が抜ける。
「そうだ。真藤支部長も来てるんだよ」
「え、支部長も?」
「うん。ほら」
そう言って仄が指差した方向を見ると、首都の責任者と話をしている白銀の髪の青年が見えた。まごうことなき真藤靖葵第五都市支部長その人だった。
「弭芹」
こちらに気がついた真藤が軽く手を上げながら声をかけてくる。その声で炯霞に気がついた首都責任者の視線も向いて、やや怯みつつ礼をして歩み寄る。
「支部長……」
「支部長じゃない。真藤指令、だ」
「え、じゃあ……?」
「お前のお陰だ。感謝するぜ?」
にや、と笑う真藤に苦笑で返す炯霞はこの時、まだ真藤の言葉を正確に捉えていなかった。
「これから発表するが、班編成は基本形を残しながら変更して行く。もちろんお前の班員も変わる」
「そう、ですか……」
班員が変わる事に対して、炯霞は微妙な気持ちだった。
武流は炯霞を疑っている節があるので、別れられて良かったような身近で見ていないと何をされるか分からない不安があるというか微妙な感じだ。
壬蔓は徐々に性格が掴める様になっていただけに、やや残念な気もするがそれが仲間意識なのか、単に新しい班員の性格把握をするのが面倒なだけなのか、炯霞にはまだ判断がつかなかった。
(仄と分かれるって思った時は、嫌だって思ったんだけどな……)
横に立つ桃色の少女をちらと見て思う。
大切な者など持たない様にしていた。それなのに仄だけは「離れたくない」と思った。思えた。
それがなんと言う気持ちなのか、壬蔓への感情とは違うのは確かなのに何が違うのか、まだ分からない。
「丁度良いところに来た、楼、神祈」
ぼんやりそんな事を考えていると、真藤が少し離れた所に居た二人を呼んだ。
一人は漠華に来ていた監視者の神祈汐、もう一人は背が高いどこか眠そうな青年。名前は楼、と呼ばれていた。
「弭芹、この二人がお前の班員になる。仲良くやれよ?」
「改めてよろしくね炯霞!」
「こちらこそ」
漠華での初対面を経て、再び出合ったここで握手を交わす。それから炯霞は初対面である雷嗣の方にも右手を差し出した。
「弭芹です。宜しくお願いします」
「……よろしく」
微妙な間を持って返事はされたが、差し出された炯霞の右手を取る事はなかった。
(神祈は良いとして、こっちは鎮めの者否定派かな?)
素っ気無い雷嗣の態度に、鎮めの者を軽視している多数のうちの一人だろうと結論付けて炯霞が右手を下げる。
握手をしない雷嗣に、汐が戸惑った様子を見せるが炯霞は気にした風もなく汐に視線だけを送る。何時もの事だから気にするな、と言う視線だが、差別を反対している彼女には負に落ちないのだろう。
無言で炯霞を見ている雷嗣から、一歩離れた場所に控えようと炯霞が移動しかけた時、不意にぽむっと頭の上に何かが乗った。
「え……?」
「……ちいさい」
「はっ?!」
ぼそっと若干失礼な感想と共にぽむぽむと優しく頭を撫でているのは、雷嗣だった。
「…え、と…あの?」
「なんだ?」
「いや、えと……」
一応の抗議をしてみるが、やっている本人はまったく悪気はなさそうだ。
長身の雷嗣を前にすると、小柄な炯霞は彼の肩に届くか届かないかくらいだ。汐にしても炯霞よりは背が高いので完全に小さい子扱いになっている気がした。
と言うよりまるで犬猫扱いと言うか……。
「うわ、雷嗣がご機嫌だ」
「……珍しい」
「よく、分かるわね……」
横合いから聞こえた声に撫でられている状態のまま振り向けば、湖華一斑の鎮めの者の少女と、まだ幼いであろう少女。それに壬蔓の三人がそこに居た。聞けば雷嗣と少女達は湖華での班仲間なのだと言う。
「雷嗣の姿見えたからさ」
「そっか。……それで、あの……」
困ったように炯霞が視線を投げると鎮めの者の少女はその意図を汲んで雷嗣を止めて、くれるかと思いきや放置した。
「雷嗣は気に入るとずっと気が済むまでいじる癖あるんだよね。だから、諦めて」
「え、えぇ!?」
「……猫っ毛…」
困惑する炯霞を他所に、雷嗣は猫っ毛だの赤いだのちっこいだのと短い感想を漏らしつつ、わしゃわしゃと髪を撫で続けている。
「雷嗣ばっかずるい! 私も炯霞いじりたい!」
「……ん」
「わーい!」
「ちょ、ちょっと……!」
汐のいきなり発言を前にしても全く動じる事無く雷嗣は、どうぞ、とばかりに炯霞を汐に差し出した。
慣れた感じのする会話からしても、この二人は初対面では無さそうだな、とどこか冷静に考えながらも抱き付いて来る汐に慌ててどうしたら良いのか分からずに、とりあえず抗議の声だけは上げているが、止まるどころか雷嗣は頭を撫でるのを続行し始める。
「わぁー炯霞人気者だねぇー」
「仄っ! 止めてよ!」
「どっちかって言ったら私も混ざりたい、かな?」
「えぇぇ!?」
救いの手が現われない状態で、唯一止めてくれそうな壬蔓は、現状を見えない物として真藤と真面目な話を無理やり続けようとしている。湖華の鎮めの者は笑っているだけだし、斬る者は自ら雷嗣に近寄って撫でられ始めた。
「うんうん。仲の良い一、二班で良いじゃないか」
「暢気な感想ですね」
「まぁ、困ってるの俺じゃないしな」
書面に目を向けながら、止めるでもない会話をしている壬蔓と真藤に、とうと炯霞の泣きが入った。
「二人共、お願いですから止めて下さい!」
「はぁ~……仕方ない。汐、止めなさい。弭芹が泣く」
「泣きません!」
「泣くのは泣くので可愛いかも」
「泣きませんってば……」
面白がる汐に、じゃれあいはお終い! と先生宜しく壬蔓が手を叩いて終了させる。
妙な事に体力を使った炯霞は一人息切れをしていた。その炯霞を横で見て笑っているだけだった湖華の鎮めの者が、ふっと思い出したように言う。
「そう言えばさっき言ってた通りになったね弭芹」
「え? さっきって……?」
なんだっけ? と聞こうとして思い出す。
雷嗣の舞と炯霞の笛が合わさったら面白いと言ってたあれだ。
「なっちゃいましたね、一緒に」
「笛か……楽しみだ」
眠そうな目つきのままではあるが、薄っすらと微笑む雷嗣を見て、炯霞は彼の性格を垣間見た気がした。
(この人は、悪意とか負の感情と言うものが少ないんだ)
だから、こんなにも班員達が懐いている。壬蔓もそう差別の酷い方ではなかったが、首都や湖華でもそんな人物がいるとは思わなかった。
「私達は同じ班になれたんだ。還す者は天祇さんだし、女だらけの第二班よ」
ね! と年若い少女に言えば、こくりと頷くだけの返事。先ほどから殆ど言葉を発さない雷嗣を見る限り、この班構成じゃ鎮めの者一人で喋っていたのだろうと容易に想像ができた。
「ん? 壬蔓達が二班って事は、もしかしなくても私達が一斑!?」
「そうなる。それが妥当だろう」
驚いた風に真藤に食いついた汐は、一斑と言う地位にかなり驚いている。
「でも!」
「でももなにも、伝説の武器を持つ者同士が組んでるんだ。一斑以外の何者でもないだろう」
「え? 伝説の……? じゃあ、楼さんも白の武器を?」
「雷嗣で良い」
食い下がる汐を軽く流して真藤の言った言葉に驚いたのは炯霞だけだった。雷嗣と組んでいた二人はもちろん知っていたのだろうが、壬蔓も汐に聞いていたようだ。
確かに伝説の力を持つ二人が纏められたら、例え自分が第五都市出身でも補って余りある。当然一斑に置かれても不思議はない面子だ。
けれど汐は一斑と言う地位に酷く動揺していた。
「だ、だけど、戦闘班の第一斑ですよ?! 私なんて……!」
「決定事項だ」
「ぁ……はい……」
短く切って捨てられて、何かを言いかけていた汐の言葉は声にならず、横に居た壬蔓が気遣わしげに汐の背に手を回して、落ち付ける様に撫でている。
(訳あり……か……)
白の武器時保持者として汐には、組織がらみの色々な事情がありそうだ。
(白の武器保持者……俺の敵討ちに必要な人物。探していた人が、目の前に……)
伝説の武器を持つ者の存在が組織でも確認されているのは知っていた。けれど、こんなにも早く出会えるとは思っていなかった。
(けど、どうして俺はこの班に……?)
鎮めの者で第一斑に相応しいと言ったら、やはり首都か湖華から人材を持って来るのが妥当だろう。なのに、つい最近まで第六都市に居た自分が、何故こんな抜擢を受けたのか……?
そう考える炯霞は、真藤の言葉を思い出した。
(俺のお陰……? じゃあ、俺は……)
そう考えながら真藤を見れば、計算高そうな人の悪い笑みを浮べていた。
漠華支部で武流さえも疑った炯霞の能力を、上手く脚色して汐の報告と合わせて『伝説の武器所持者候補』とされたのだ。
(なるほど。まぁ、計画範囲か……)
高い制御能力を生かして、力を小出しにする。そうする事で普段は目立たずに、けれど能力調査等が行われた時には。審査官の目に留まって首都昇進が出来るように。
ずっと気を張って行って来た行為が実を結んだ。
始めに野心ある真藤に見止められたのが幸運だったのだろう。やはり真藤が第六都市に出張して来た時に高い能力を見せ付けたのは当たりだった。
(引き抜かれる事に成功したし、今はこうして首都に来れた)
けれど、鎮めの者の伝説は、裏切りの歴史だ。白の武器を持っていると考えられているのなら、自然裏切りを警戒して監視が入れられるかもしれない。
(まずは、監視を潜り抜けながらどうこの二人に話を持ちかけるかだな……)
これから先の戦況が読めない今、目的達成までどのくらい掛かるかは分からない。
(けれど、やるしかないんだ)
瀕死の状態で自分を守ってくれた父との約束だった。母の仇を討とう。
討ったところで両親と三人で暮らした、暖かな日々が還って来るわけではないが、それでもやると決めた。
過去を変えられなくても、未来は変えられると思っているから。
(だからまずは、絶対的な力を持つ存在……白の武器保持者を味方に付ける)
一人、決意を固める炯霞の横で、また遊び始めた汐と湖華の鎮めの者を壬蔓が止めて、周囲は笑って見ている。
そんな和やかな風景は、きっと今だけなのだろう。どこかにそんな予感を皆が感じていた。
特設支部は清華支部の敷地内に作られているが、完全に独立した場所だ。
清華支部とは通路一本繋がっていないし、門番のいる正門を通らなければ出るも入るもできない。その支部内も鎮めの者、斬る者、還す者で分けられ、諜報部や医療班、探査方と細かい区画で分けられていて、戦闘員には面倒な情報に左右されず戦いに集中するような環境を与えられていた。
(要するに、何も知らず考えず、戦うだけしてろって事か……)
下手に考えるな。戦いに集中しろ。
組織のそう言った意図は正しい。戦う事に集中できなければ無駄な怪我を増やすだけだからだ。
(だけど、本心は違う)
組織の狙いは怪我の回避ではなく、鎮めの者の裏切り回避。
過去にあった鎮めの者の過ち。影を操って反逆を侵した罪。それを警戒して作戦内容詳細は戦闘員達にすら知らされていない。
(だけどさ……影って、何処にでも出来るモノなんだよ)
するりと闇に溶け込む様に、炯霞は支部長室の前に来ていた。班員達がどこに配備されるのか、それが知りたい。
(その時々に応じてなのは判るけど、せめて誰がどこに居るかくらいは……)
配備状況がわかれば御の字かと思いつつ、炯霞は力の出力を極力抑えた状態で笛を出現させ、一羽だけ蝶を飛ばす。
何時もと違って黒い色をした蝶は闇に溶け、影となって書類のある机に忍び寄る。
もし部屋の中の光景が見れたのなら妙な景色だっただろう。
黒い蝶が広がって、影が大きな手のように動いて書類を舐めて行く。その度に蝶を通して炯霞の頭に直接文章が流れ込んでくるのだ。
(やっぱり首都の守りを固めるか……)
同じ精鋭隊だと言っても、全員の能力を知るのは無理だ。誰が実力があって、誰が要注意人物なのか。資料を見るまで判らなかったがこれで大体は掴めた。
(首都を固めるつもりなら……)
自分は首都に配置されるだろう事を思って炯霞は思案する。
首都に居ても班員があの二人な限り、炯霞の進める事柄に変更はないが、支障はありそうだった。
「そこに居るのは誰だ?」
「っ!」
突然の声にさっと炯霞は蝶を消すと、声のした廊下の方へ視線を向けた。
慌てるでもなく通常の速さで歩いて来るのは、この部屋の主である真藤だった。
「弭芹か。どうした?」
「いえ、ちょっと散歩してただけです」
「支部内をか?」
いぶかしむ視線に、あくまで普通の事の様に笑顔で頷くと、あぁ、と何かを思い出したように真藤は言う。
「お前、第五都市に移動して来た時もそうやって支部内歩き回ってたなよな? 猫みたいな奴」
猫は新しい場所に連れて行くと、部屋中の匂いを嗅いで安全を確認するのと同時に、安心して寛げる場所を探すと言う。
「別に鎮めの者居住区以外は立ち入り禁止って訳じゃないからな。歩き回るのも良いが面倒は起こすなよ?」
「それは、僕に言われても……」
「そらそーだけどな。絡まれんなって事」
「気をつけますよ」
ニコリと笑って答えると、真藤は炯霞の頭を軽くぽんと叩いて部屋に戻った。
まるで気が付いていない様な真藤の素振りだったが、視線が僅かに自分の手に注がれていたのを、炯霞は見逃さなかった。
(気をつけなきゃな……ホントに)
蝶を消すのは間に合っても、笛を隠すのには間に合わなかったのだ。
護衛の為です、なんて判り易い嘘は付かなくて済んだが、不振に思われたかもしれない。その事を脳裏に残したまま、炯霞は計画を進める為に必要な準備に取り掛かる事にした。