そういうことじゃない
『 私は作家になりたいと考えています。私は読書を通してさまざまな世界を体験してきました。いわば、私は本の海を出奔した冒険家なのです。そしてこの面白さを、感動を、他の人に、私の文で、伝えたいのです。たとえば』
「たとえば、夢の国という架空の世界があります…」
私はうわごとのようにつぶやきながら、志望理由書の文面を練り上げていった。夢の国。意志がない人は不要。片岡さんの謎の発言。
「片岡さんの迷言コレクション作れそう…」
と、ふっと思った。次の瞬間、我に帰った。口で喋ったことを書くところだった。危ない、危ない…。
翌日、投稿中に舞に出くわした。
舞はこちらを一瞥しただけで通り過ぎていった。
「あ、あの、舞。おはよう…」
「おはよう」
なんか、おかしい。こないだの会話、つまり舞がsumitakamakaoじゃないの?と疑ってからずっとこの調子だ。すたすたと舞は別の友人に仲良さげに声を掛ける。
「…?」
「おはよう夢路さん」
戸惑う私に声をかけてくる片岡さん。
「もう気にしない方がいいよ。そんなこと、友情に比べたらどうでもいいだろ」
そんなことって…私、片岡さんに何か話したっけ。そもそも片岡さんは石を育てるアプリについて知っているのだろうか。確かに一番最初に話しかけられた時は、アプリの話題のときだったが…。
小論文を添削してくれる先生が決まったと聞き、私は挨拶をしに行った。澪標先生というらしい。志望理由書もこの先生と担任に見てもらってようやく出願にこぎつけた。珍しい名字だと思いかけて、自分の名字も十分珍しいことに気づいた。
「まず、S大学の過去問をしよう」
S大学の過去問を見た。意志薄弱な人間について書いている評論を読んで自分の意見を書け、とある。まず、重要な箇所に線を引きながら読む。次に何を書くかメモを書く。小説におけるプロットみたいなものだろうか?やはり、こうした下書きは何においても重要だ。それから、小論文を書いていく。こういうとき、いつも思うのが、文章を書くのに慣れていてよかった、ということだ。おかげで筆がすいすい進む。
澪標先生は割とよく書けていて、そこまで論点を外していないと概ね褒めてくれた。S大学の入試対策は着々と進んでいたが、その間にどんどん舞との関係の悪化も進んでいく。私はもうあまりそのことを気に留めたくなかった。sumitakamakaoのせいだ。あんな奴のこと気にしなければ良かった。どうして、夢の国で出会った片岡真澄にあんなこと聞いたのか。他の人には聞かなかったのに、どうして片岡さんにだけ聞いてしまったのか。片岡?そうか、片岡真澄が悪いのだ。
こうしてとんでもない発想によって片岡真澄を悪者にした私は安心してしまった。
「夢路さん、疲れてるの?」
澪標先生が小論文の添削指導の終わり際に言った。
「えっ?」
「最近表情が暗いなぁと思ったけど、気のせいかな。それとも受かるか不安なのか、それとも別のことか」
私はこの先生に言ってみようと決めた。それからことのあらましを説明した。
「そうか。そんなアプリがあるんだね。先生も見てみる」
「あの、先生は開発者についてどう思いますか?」
「開発者についてはよく分からないわよ。片岡さんの言うとおりもう会ってるのかもしれない。嘘を言っている可能性もあるし。…でもね、このアプリの目的はやっぱり、意志の強さを確かめることだと思う。作った人もあなたと同じように、意志のなさについて、悩んでたんじゃないかな」
家に帰って、石を育てるアプリを起動した。
「お前、育成ゲームじゃなくてチェッカーじゃないのか?意志の強さチェッカーって改名したら?」
ある程度の硬さがある石に話しかける。それから、灰色の歯車ボタンに触れた。開発者名が出る。よく見ると、開発者にメールを送れるようだ。アプリについて何かバグやご要望があったら送ってください、ということだ。
『このアプリは、ゲームではありません。チェッカーです。石を育てるアプリという名称を変えるべきです』という内容を送った。
本当に返事は来るのだろうか。と思っていたらすぐ返事が来た。
『このアプリはゲームでいいのです。それに気づいてくれることが目的ですから。気づいてくれない人にこのアプリは必要ありません』
なんとなく不可解ではあるが、至極まっとうな返事だった。
それからまた送った。『あなた誰?』
またすぐ返事が来た。
『しがないアプリデベロッパーです』
そういうことじゃない。私が聞きたいのはそういうことじゃない。