/氷月舞踊
夜空一面に分厚い雲が世界を覆っている。彼女は目を覚まし外へと視線を向ける、と相変わらず彼女の瞳に映る世界はちっぽけであった。轟々凛々と人間が消えてしまわないように燃えて(うごいて)いる。ベッドから起き上がり机の上にある小瓶を手に取る。外部から秘密が漏れないよう真っ青な色で装飾されており1つの作品としてオブジェクトとして置いておいても何ら不思議はないほど気品ある雰囲気を漂わせている。彼女は小瓶の蓋を開け何やら錠剤のようなものを手で受け口に運ぶ。ごくりと音を立てそのナニカを体内へ摂取する。不思議な事に彼女の情緒は安定していた。人間は情緒が安定していることが普通であり好ましい精神状態である、が彼女にとってそれは異常な事である。座っていたベッドから立ち上がり殺風景な部屋を一度見渡す。一人暮らしの女性であればもう少し明るい色があってもいいが彼女の部屋には生活感がまるで感じられない。部屋にあるのはベッド、冷蔵庫、鈍器それぐらいしかない。服の着替えは多少あるがそれも必要最低限しか持っていない。所持している服をどこで手に入れたかも彼女の記憶にはもう無い。どこで買った、買って貰ったかなんて生きることに必要がないからだ。
無駄なことは覚えている必要はない、そう教わったから。床を擦るように歩き冷蔵庫に向かい中に入っていた緑茶を取りだす、がキャップに手をかけたがどうにも力が入らない。今の彼女はペットボトルの蓋を開ける力もない。開かないと分かった彼女はそのまま床へ落としクローゼットへと歩き出す。彼女は無造作に選んだ服を着用すると玄関へと向かう。部屋を出るとひんやりとした空気が彼女の頬をそっと愛おしいそうに撫でる。漆黒に包まれた廊下はまるで死者の道。終着点につけばきっと無になる。そう予感させられるほど冷え切っており生命の干渉を否定しているように感じる、が彼女にはそんな死の否定なんて気にしないし興味もない。死の道を歩き玄関のドアノブに手をかける。
「冷たい・・・」
彼女が覚醒して初めて感じた感覚だった。ひんやりとしたドアノブは彼女の体温を少しずつ奪っていく。彼女はしばらくドアノブを握りただ、その場に瞳を閉じ立ち止まっていた。彼女がいつも外界へ出るためにやっている儀式である。なんの意味もなければ効力もなにもない。無意味な事をすることは無いはずの彼女がしていることなのでなにか意味があるにはあるのかもしれないが、よく分かっていない。本当にただの彼女なりの儀式。小さく息を吐くと同時にガチャリとドアノブを回しドアを押しあける。相変わらずの雲模様に彼女は一度だけ無意識に落胆のため息をしてしまう。諦めたように空を見ることを止め歩きだす。深夜帯と言うこともあってか機械的な光はちらほらとあるが人為的な光は見当たらない。ひんやりとした空気に触れながら彼女は屋上に繋がる階段へと歩き出す。不特定多数居住空間と言えど流石にこの時間帯にで歩いている人間は流石にいない。ズリズリと体にあっていないズボンの丈を引きずりながら彼女は一段、一段と階段を上っていく。
「今日は良い天気じゃあないのですね・・・あぁ、それでも私はやらなければならないの」
側に誰か居るのだろうか?そんな疑問を彷彿とさせる口調。ズルズルと引きずる足音の他にもう一つ足音が聞こえてくる。彼女とは違いしっかりとした足音。しかし、どこへ視線を向けてみても命は彼女以外にこの空間に存在はしていない。標高が上がってくるにつれ酸素も薄く、冷風も鋭さを増してくる。彼女は冷風に頬を切られながらも屋上へと歩き進む。屋上へ着くと自殺防止か直接屋上へと入る事は出来ないようにしっかりとした柵が設けられている。その柵は真新しく最近できたもの、のように見える。しかし、そうではない。いつも名もなき誰かがその柵を破壊し幾度となく修復されているだけであった。を修復しているとい事はただ誤魔化しているだけ。一度壊れてしまったものは絶対に直らない、直る訳がないのだ。彼女はそっと鎖が巻かれている場所へ手をかざし上から下へと撫でるように振り下ろす、とスッと鎖に切れ目ができると役目を果たしたかのように彼らはずるずると地面へとただれ落ちていく。ドスドスと鈍い音と立てながら落ちる鎖を踏み彼女は屋上へと足を踏み入れる。階段を上っていた時と比べものにならないぐらい突風が彼女を襲う。漆色の長髪をなびかせながら彼女は中央へ歩き続ける。
「さあ、今宵も宴を始めましょう」
彼女は両腕を左右に広げ空を見上げ舞い始める。突風は止まる事を知らず彼女に向かい非常なほどぶつかってくる、が彼女は先ほどの弱々しい存在ではなく突風なんぞなんのその、と言うよりも突風が不自然に止む。彼女が舞っていると徐々に厚く覆われてい雲が消えていき一筋の月光が彼女を照らし始める。まるで地球に意思があるかのように彼女の舞いを観察しているようだった。お構いなしに彼女は舞う、舞う、舞う。すると、彼女がやってきた場所から足音、拍手が聞こえてくる。彼女は自然現象では止めなかった舞いをピタリと止め音がする方へ視線を向ける。月光のせいか音がする方へ視線をやっても陰でよく視えない。目を細め出来る限り視界に入光を押さえてみるがそれでも分からなかった、が漆黒の中に二つの赤いなにかが目に映る。
「御見事」
「・・・」
彼女は突然の訪問者に苛立ちを覚えていた。安定していた鼓動も徐々に乱れ始めていた。訪問者も彼女の苛立ちに気がついたのか足を止め乾いた笑いを向ける。
「私は殺せない。殺したところで変えはいくらだってある、が君はオシイ。舞った後君はこの世の中から決別するつもりだったのだろう?それだけはやめておきなさい。異様だと思っているその力はどこにでもあれば誰にでもある力だ。ただ、一生開くことがない人間が多いだけであって誰も持っているものだ」
聞き慣れない単語に戸惑いを隠せずにいるとその闇の中に居る人物は何やらごそごそとなにかを探しているようだった。
「あれ・・・しまった。ライターを忘れたか・・・まあいい」
ボツリとなにか聞き慣れない言葉を言った瞬間に一瞬だがその人物が居る辺りから小さな爆発音と共に小さな火が発生する。彼女は知らず知らずのうちに目の前で非日常を目にしてしまう。他の人間よりも感情が欠落しているとはいえ彼女なりに驚愕したのだろう、瞬間的にであるが警戒心を解いてしまう。陰で隠れている訪問者の辺りに新しい光が目に入る。ジワリと赤い火が消えては着きの繰り返しを数回している様を観察している、となにが可笑しかったのかクスクスと親しげな笑い声を向けてくる。
「本当にお前は面白いな。本当ならコレクションにしたいところだが、どうだ?自分の意思だと思っている感情が他人の操作で生まれている意思だとしたらお前はどうしたい?」
「・・・」
一体何を言っているのか分からずにいた。彼女は普段、外界からの情報を遮断している。何故なら、自分に生きていくために必要のないことだから。しかし、珍しく、いや、彼女は初めてそれも見知らぬナニカの情報に耳を傾け思考を練っているようだった。こうなれば訪問者の勝利と言ってもいいだろう。訪問者は彼女の雰囲気を感じるなり確信したようにカツカツと足音を立て月光を浴び姿を現す。
「須崎冬実さんだね。私は奈保瑞穂。あなたと少しお話しがしたいんだけどいい?」
そう言う彼女は先ほど影の中に居た人間とは思えないほど優しく、落ち着いた口調で親しげに優しい微笑みを向けてくる。




