/蠟燭片鱗 34
「あのさ」
「はい?」
彼は歩きながらどこかの喫茶店に行く訳でもなく歩きながら彼女の左ポケットに視線を向け、ある疑問、を問うた。それは、きっと、彼にしか分からなかったであろう小さな違和感。彼女もまた、その事を誰にも気がつかせないようにしていたに違いない。それは意図的にではなく本能的に隠していたことなのだろう。しかし、彼にはその普通さ(違和感)が気になってしまったのだろう。
「ポケットに入っているバタフライナイフは護身用かなにかかな?」
「えっ?」
彼女もまた彼の唐突な言葉に驚きを隠せずにいた、と言うよりも分かりやすく目を見開き驚いているようだった。反応から見て彼女自身も自分のポケットにナイフが入っていることなんて知らなかったのだろう。
「ごめん。別に驚かせるつもりはなかったんだ。だけど、どうしてそんなものを持っているのか気になったから。本当に、やましい事なんてなにもないよ」
笑いながらそう言う彼は優しい表情できっと神様が具現化するならば、こんな優しい表情だろう。彼女は彼の表情を見るなり自然とそう思ってしまった。とりあえず彼が言うように本当にポケットに殺害道具が入っているのか確かめるため、手を入れてみる。
「痛っ・・・」
チクリと手の先に痛みが走り手を出すと、ジワリと彼女の手から鮮血が流れ地面へと落ちる。彼も慌て咄嗟に彼女の手を掴む。
「ごめん。急に変な事を言ってしまったせいで君の綺麗な手に傷をつけてしまった」
「・・・だ、大丈夫です。ただのかすり傷ですから」
「かすり傷でも甘く見てはいけないよ。どこから感染症を起こすか分からないんだから」
自分の足にハサミで穴を開け堂々と歩いていた人間がよく言う、きっと遙堪なら呆れた声で言うだろう。しかし、きっと、彼は目の前の彼女のかすり傷の事しか頭にないだろう。彼はそういう人間。他人には気を使う癖に自分にはてんで無関心。けれど、そんな所が人間らしくもある。彼は彼女にポケットから出したハンカチを結ぶ。
「これでいいかな?ちゃんと洗濯はしてあるやつを持って来ているから大丈夫だよ」
「あ、ありがとうございます・・・お兄さん・・・」
「ははは。お兄さんか・・・君から見たら僕はまだお兄さんに見えているんだね。良かった、よかった」
彼女は温もりを感じていた。久々に感じる暖かい心。本当なら彼女がいつも受けるはずだった愛。その、暖かさを忘れないように。いつまでも記憶しておくように。彼女は無意識に彼に巻かれたハンカチを強く握る。
「それで、ナイフの事なんだけど・・・君は誰だい?」
目の前の彼女に向かって彼はまたもや、意図不明の言葉を投げかける。またもや失礼な言葉に彼女は、呆れるような表情をしながら視線を向けて・・・こなかった。先ほどの少女とは違い幾分大人びた表情。艶やかさえある。
「以前にもどこかでお会いしましたよね?」
彼女は不敵な笑みを浮かべながらこちらを見てくる。
「君は、一体誰なんだ?さっきの彼女とは違う子なのかい?」
彼の反応に彼女は少しばかり驚いていた。今まで自分が出てきたところで受け入れてくれる人間など居なかったからだ。しかし、目の前に居る人物は自分自身を受け入れ会話をしようとしている。ただ、目の前に居る人格と会話をする、と言う当たり前の事が彼女には新鮮だった。
「驚いた。私を見ても驚かない、と?」
「驚くもなにも、驚く要素なんてなにもないじゃあないか。君は君なんだろう?」
なにも考えなしに彼は思った事を彼女に向ける。彼女も彼の空気に当てられたのかつい微笑んでしまう。
「不思議な人。私は彼女の一人の人格」
「と、言うことは多重人格者と言うことかい?」
「ええ。簡単に言えばそう言うことになる」
「なるほど。でも、えっと・・・」
「律でいい」
「えっと・・・律ちゃんが持ちだしたってことだよね?それ」
彼はもう一度気になっていた場所へと視線を向ける、と彼女も慣れた手つきで手を入れ殺人道具を出す。お世辞にも切れ味が良さそうな物ではない、と言うよりも所々錆びており切れ味は良くない物だとすぐに分かる。それと同時に彼はある事を思う。
「それでもう一人の律ちゃんが怪我したんだ。錆びているところで手を切ったんじゃないかな!?」
「それなら大丈夫。本当にかすり傷程度だし」
彼女は平気だと言わんばかりにブラブラとハンカチが巻かれた手を左右に振っている。その仕草から見て本当に大丈夫なのだろう。とりあえずは安心し、もう一度視線をナイフへと向ける。
「どうして、そんな物騒な物を持っているんだい?紙を切ったり紐を切るために持っているんじゃあないんだろう?」
「ふっ。面白い事を聞くね?紙を切ったり紐を切るぐらいならカッターナイフで十分だよ。コレはね?お兄さんがきっと思っている通りの使い方をしているものだよ?それにナイフって切るものじゃあないんだよ。刺すものなんだ」
狂気にも似た瞳の色。彼女の瞳の奥には憎悪の螺旋が渦巻いている。
「どうしてそんな事を」
「理由か・・・そんなものを言ったところでなにも出来やしないし、私が行っているのはただの執行。天罰にも似たものだよ。表沙汰には出ることがない人間を捌くだけ。骨と肉を別けるだけの仕事」
「そんな事をして・・・」
「ん?律は知らないよ?このナイフだって失敗した。お兄さんが言わなければ律は知らなかったのに・・・あーあ。私、後から質問攻めされるんだろうな」
面倒くさそうに彼女は髪をかきながら呟く。
「でも、君にメリットがあるなんて思えない」
目の前に居る殺人鬼に説教にも似た言葉を向けるところが彼らしい、が流石に今の言葉には癇が触ったのか、彼女は無表情のままこちらを見てくる。
「価値観なんて人それぞれなんだよ?世の中には法で裁けない人間が蠢いている。だから私がこのナイフで捌いているだけ。それだけでも感謝される。私はただ快楽の為に人を殺めている訳じゃあないよ。所詮、ただの普通人に言ったところで分かる訳がないよ。コレは私とういう存在を生かすための行動。咀嚼となんら変わりない行動」
生きるための行動。確かに、一人の人間が生きるために必要な行動だと言っている、が流石に見過ごすわけにはいかない異行動。彼女の手を取ろうとした瞬間、ニコリと優し微笑みを向けてくる。
「それにね?」
「・・・」
彼女は両手を広げ空へと一度仰ぎもう一度、不敵な笑みを浮かべ彼へと視線を向ける。
「死に体の一部を体内にとり込むなんて、それこそ、最高の愛でしょ?」




