/蠟燭片鱗 27/122
妙な胸のざわつきを抑えるため彼はずっと念仏のように単語を心の中で呟いていた。その単語は以前に奈保から教わった魔法。滅多に彼はお守りのよ うな神に頼る事は先ず無い。しかし、今回はどうしてか奈保に教わった言葉を取り憑かれたように唱えていた。それで落ち着く訳もないのだろうけどずっと唱えとうとう小さな声だが口にも出し始める。その姿を車椅子を漕ぎながら見ていた彼女は普通の彼ではないと感じ取っていた。まるで死に場所を探している人の表情にしか見えなかったのだ。何故、そこまで思い詰めている表情をしているのかは彼女には理解が不能だった。信号が赤色へと変わり二人ともが止ま り停車していた車が音を立て走り出す。すると今までぼそぼそとなにか言っていた彼が口を開く。
「遙堪?さっきさ僕たち今誰かに見られていたよね?今は視線を感じなくなったけれど。あれってなんだったんだろう?遙堪も気になってたんだろ?意識が背中の方にあった気がしたし」
「・・・えっ」
彼が言う通りテレビを見ていた辺りから何やら意識を感じてはいた。視線に殺意もこもっており彼女は先ほどまで意識を背中へ向けていたことも確か。その視線は微かなものであり自分以外は気がつかないと思っていたのに横に居る彼は気がついていたと言う。それも、自分の意識と第三者の意識を、だ。予想外 な一言に彼女はつい彼の言葉に反応する事を忘れてしまう。
「・・・」
「ん?」
返答がないため彼女を見ると意外そうな表情でこちらを見ていた。久々に彼女の仏頂面以外の表情を見た気がする。あまりにも驚いている表情をしてくるものだからついつい可笑しくなり笑ってしまう。すると彼女も自分に対して笑われていると感じ取ったのかいつも通り何を考えているのか分からない無表情へと戻る。幸か不幸か彼女のお陰で彼の表情は生気を取り戻しつつあった。
「人の顔を見て笑うなんて失礼ね。死にたいの?」
「ごめん。でも、お陰で少し冷静になれたよ。ありがとう」
そう言うと彼は相変わらずな表情で微笑んでくる。彼女もまんざらでもなかったのか頬を少し赤らめているようだったが、もちろん彼はそんな乙女の気持ちに気がつくことはなかった。もちろん彼女もどうして頬を赤らめたかなんて分かっていない。
「それで、どうして私たちが誰かに見られていると思ったの?」
本題へと戻るため前を向き車が横切る景色を見ながら質問を返してくる。彼もまた一呼吸おき口を開く。
「うん。本当の事を言うとそう言う気がしただけなんだ。だけど、遙堪がそう言った反応をしたってことで疑念が確信へと変わったよ。もしも、違ったならきっと遙堪は仏頂面のままだったろうし」
「・・・つまり私を試したの?」
不快感がこもった声、視線に彼は動じることなくまた微笑みを向ける。彼だから不快な表情をしている彼女とも普通どおりに会話が出来ているのだけど、きっと他の人間なら先ず彼女の視線に言葉を失ってしまうだろう。そのぐらい彼女の視線は切れ味の良い刃物のように鋭かった。
「そんな事しないよ。試さなくても遙堪は十分凄い人だと分かっているからね。でも、もしも遙堪がそう取ってしまったのなら謝るよ。ごめんなさい」
そう言うと彼は彼女に頭を下げる。相変わらずの行動の読めなさに怒るのもバカバカしくなってしまったのかため息をつき前を向き直す。
「ホント、櫨谷くんって面倒くさい性格してるわよね。謝れば全て許されると思ってるところとか。世の中ってそうそう上手くいかないものよ」
「そうだよね。でも、遙堪は許してくれると思ったから」
そう言うと彼は前を向きジッと赤く照らされる信号のライトを見つめようと視線を前へ向ける、とある人物が視界へと入りこんでくる。相手はずっとこちらを見ていたのか険しい表情をしながら睨みつけてきていた。纏っている雰囲気は立ち止まっている人とはまるで格が違う。本当に人間なのかと疑いたくなるほど神々しさ、禍々しさを纏っている。信号が赤色から青色へと変わると同時に僕は横断歩道を渡りだす、と轟音と共に大型トラックがこちらへと迫ってくる。明らかな信号無視(ルール違反)。
「櫨谷くん!なにしたいの!?死にたいの!!」
「え?」
必死に彼女は手を握り歩き出そうとしている僕を止めていた。よく見てみると信号は未だ赤のまま。クラクションを鳴らし猛スピードで目の前を横切っていく鉄の塊。あと数センチ前へ出ていたらきっと肉の塊になっていただろう。ルール違反をしていたのは車では無く自分の方だった。
「どうしたの?急に歩き出すなんて」
「えっと・・・その・・・」
顔こそ冷静に装ってはいるが口調はどう聞いても怒りが込められていた、がそれ以上に彼女は今、彼に起きた状況を把握したかったのだ。明らかに彼の意識で動いたのではないと感じていた。
「櫨谷くん!しっかりして!!どうしたの!?」
「・・・白髪の男が視界に入ってきて・・・それで・・・えっと・・・それで・・・視線が合ったんだ・・・そして信号が変わって・・・あれ?・・・オカシイな・・・」
彼自身も何が起こったのかよく分かっていないようだった。片手で頭をささえ必死になにかを思い出そうとしていた。彼女もまた視線を向けてみるが白髪の男性なんて見当たらない。これ以上彼をこの場所に留まらせておくのは危険と判断した彼女は急ぎビルへと向かう。向かう途中も彼はどこか意識が定まっていない様子でゆらゆらと覚束ない足取りで歩いていた。なんとかビルのエレベーターの前まで到着する。
「大丈夫?」
「あ・・・うん。ごめん。説明しようとしても上手く出来ないんだ。なんだか靄がかかったような感覚で・・・思い出そうとすればするほどぼやけてくるん・・・だ」
「・・・そう。なら、無理に思いだそうとしなくてもいいわよ。とりあえず櫨谷くんは頭を冷やした方がいいのかもしれないわね」
「・・・あ」
彼の発言を聞く前に彼女はエレベーターへ乗り込んで行きつられて彼も急ぎエレベーターへと乗り込んでいく。彼も力ない歩きかたでエレベーターへと乗り込んでくる。彼女は彼にばれないように顔を盗み見てみる。血の気は引いておりまるで生気がない。「相変わらずよくなにかに目を付けられる」なんて事を思いつつ小さくため息をつく。エレベーターは目的の場所まで到着するといつもは譲ってくれる彼も先にトボトボと前を歩きドアを開ける。彼女も延長ボタンを押しエレベーターを後にする。部屋に入ると何やらいつも以上に忙しく資料を見ている瑞穂奈保の姿が目に入ってくる。
「ああ、そろそろ戻ってくる頃だと思った。櫨谷。お前はとりあえずコーヒーを入れてくれ。簡易コーヒーじゃあなくてドリップで頼む。久々に寝ずに仕事をしているから美味しいコーヒーが飲みたくてな」
「帰ってきて早々雑務ですか・・・」
「お前はそのぐらいしか出来ないだろう」
「分かりました」
本当はすぐにでも聞きたい出来事があったのだけど腐っても上司の言う事は聞かなくてはいけない。奈保さんが正解と言えば正解になるのがルール。社会とはそういうところ。自分の感情を殺し命令された事を忠実に従いコーヒーを入れるためポットに火をかける。
「奈保さん。濾紙ってどこにありましたっけ?」
「ん?倉庫じゃないのか?」
「倉庫ですか」
そう言うと彼は部屋の隅にある倉庫へと向かい歩き出す。奈保は数枚にまとめられている簡易資料を遙堪へと投げる。
「どうした?アイツが心配か?」
「・・・別に」
クククと笑い妹にちょっかいをかけているかのような優しい口調で笑い出す。遙堪自身も気が付いていなかったことなのだけど仕事部屋に戻ってきてから奈保にからかわれるまでの間ずっと遙堪は櫨谷の事を見ていた。どう言う理由で見ていたのかまでは不明なのだけれど奈保には微笑ましく見えたのだろう。ついついちょっかいをかけたくなってしまった。
「これってどう言う事なの?」
資料を見ながら彼女が質問をしてくる。先ほどの雰囲気とは一転し神妙な雰囲気へと変わって行くのが分かる。胸ポケットにしまっていた煙草を一本口に咥え火を付ける。
「ああ。先ほど連絡があって聖堂教会の長でもある雲林院駿河が何者かに蠟殺されているところが発見されたらしい」
「テレビで少し見たわ。魔の力が働いているように思えたけれど」
「まあ、そうだろうな。あの爆発は私やお前に向けた宣戦布告だろう。それに私も駿河が殺されてしまうとは思ってもみなかった。想定の範囲を超える何者かが動き出しているよ。まったくどうしてこうも殺しが続くかねー」
煙草の煙を吐きながら面倒くさそうにぼりぼりと頭を書き始める。外見だけを言えば完璧な綺麗な女性なのだけれどこう言ったところがあるため男性にモテ無いのだろう。
「ん?」
「なんでもない」
「なにも聞いていないのになんでもないと言う事は変な事を考えていたな?」
「別に・・・ちょっと私、教会に行ってみるわ」
「今回の事は私にもよく分からない組織が動いている気がする。十二分に気をつけて行ってくれ」
静かに頷くと彼女は先ほど入って来たばかりのドアへと漕ぎだす。すると後ろから声が聞こえたため振り向くと瑞穂奈保がほいと缶コーヒーを投げてくる。
「まあ、休憩する時にでも飲みなよ。あ、あと無理だけはしないようにな。身の危険を感じたら・・・」
「・・・ええ。分かってるわ。あと櫨谷くんには私の事を聞いてきたら帰ったと言っておいて」
「・・・ああ。分かった」
彼女なりの配慮だったのだろう。きっと教会へ行くと言う事を知ってしまうと必ず着いて行くなんてバカなことを言うだろうから。彼女はそっと静かにドアを開け部屋を出て行く。




