蠟燭片鱗
「よっし!終わりだ」
背伸びをして外を見てみるとも夜の世界に変わっていた。高層ビルから見る街の灯りはなにものにも代えがたい美しさ。一気に仕事疲れが吹き飛ぶようだった。一旦リフレッシュするために椅子から立ち上がりコーヒーを作りに行く。
「先輩も飲みます?」
「ああ。頼む」
難しそうな表情でパソコンを睨みつけている。睨みつけたところで一向に欲しい情報が手に入る訳でもないだろうに。しかし、あれが奈保さんの癖。だから今さら どう言った所でなおすつもりもないのだろうけど。保温ポットに入っているコーヒーをカップに注ぎ彼女のもとへ持って行く。
「どうぞ・・・どうですか?」
「ん・・・ああ。進展はないな。一向に尻尾の先の毛さえ見せて来ないよ」
椅子の背もたれに体重を乗せ一気にコーヒーを飲み干す。女性なのに相変わらず男らしい行動をとると思っているとスッと急にこちらに顔を向けてくる。
「私が男っぽいって思ったんでしょう?」
「そ、そんなことないですよ」
かっかっかとバカにするように笑いながらまたパソコンへ視線を戻す。空になったカップにもう一度コーヒーを注ぎ自分の席へと戻り反回転させ夜の景色を堪能する。何度見てもこの景色は飽きない。奈保さんもこの景色に惚れこんでこの場所を買ったらしい。はっきりとした値段を聞いてはいないのだけどここ一帯の賃貸は数百万だという。と言う事は買うとなると相当な金額になるだろう。きっと僕には一生買う事ができない物件だろう。だからこうしてかりそめだと分かっているからこそ眺める時は精一杯に堪能しておく。
と言ってもいい加減休憩をするわけにもいかないので終わった仕事の書類を転送し次の案件に取り掛かる。次の資料を開くと見慣れない病名が書かれていた。
「ゆめ・・・えっと・・・なんて読むんだこれ・・・」
【夢彌痾】・・・ゆめみびょう 一定の薬品を短期間で摂取した人に起こる病名。通称=夢落ち
「ゆめみびょうって読むのかこれ・・・夢落ちとも言われているのか・・・それでそれがどうしたんだ・・・」
もう一度ディスプレイに映し出される資料に目をやる。
「な、なんだよ・・・これ」
すると後ろから笑い声が聞こえてきたので振り返るとコーヒーカップを持ちながら笑っている奈保さん立っていた。きっと僕が話しかけてしまってせいで集中力が途切れてしまったのだろう。肩に手を置きディスプレイに顔を近づける。
「夢彌痾の事を調べるのかい?」
「あ、いえ。そう言う訳じゃあなくて。ちょっとこのファイルを開いたらこの事件が出てきて」
「最近は増えているからね。この件の事故は」
「事故って括りで片付けて良いんですか!?事故じゃあなくてこれは事件ですよ。蠟燭を喉に流しこんで窒息とか聞いたことがありませんよ。明らかに悪意で行われているものですよ」
「でもないんだなっ!」
陽気にそう答えながら夜景を見つつコーヒーをゆったりと飲み始める。どうしてこんな事件を誰かの悪意で起きていないと言いきれるんだろうか?なにを根拠にそこまで明るく振る舞えるのだろう。奈保さんの不謹慎なほほ笑みに少しばかり疑問を持っているとカラカラと車輪の音が聞こえてくる。
「やあ、今日は早い出社だね。十六時間しか遅刻をしていない。これは何かいい事がありそうだ」
陽気にコーヒーを片手に車椅子に乗っている女性に気さくに話しかける。彼女の声が聞こえているのか聞こえていないのかは不明瞭だけどなんの反応もなくただ頷き自分のデスクへと収まる。無視をされる事が分かっていたかのように彼女は笑いまた夜景を見ながらコーヒーを飲み始める。流石に会社の上司の発言に無視をするのはどうかと思う。
「遙堪。社会人として遅刻もダメだけど、上司の問いかけを無視するなんてもっての外だぞ?そもそも、何だ?遅刻ってレベルじゃあないぞ?社会人なら決まった時間にくれな・・・」
「・・・五月蠅い」
「なっ!?」
遙堪が僕に対して発した言葉を聞いたとたんに奈保さんは大笑いし始める。何が面白いのかヒーヒーと涙を流しお腹を抱えながら笑い続ける。笑いながらもコーヒーを飲むところが凄い。あんな器用に飲み物を飲む人は初めて見る。大爆笑を起こした当人は静かに机に置かれた紙に文字を書き始める。
彼女は近代化文化を毛嫌いしている。以前連絡が取れないのは不便だと思い携帯を購入し渡した瞬間に地面に叩きつけ粉砕してしまったほど。パソコンはもっての外。人口発行物も極力避ける。しかし、都会に住んでいるせいかさほど電子機器よりは拒否反応は弱めであるが、いい顔はしない。私生活ではどんな状態で暮らしているのか少し気にはなってみるが、それこそ五月蠅いと言われてしまうのがオチなので何も言えない。
「ほんっと遙堪に甘いですよ!」
後ろで夜景を見つつ笑っている奈保さんに向かって言うと彼女は笑いながら肩を叩いてくる。
「いやー。やっぱりお前らを雇って正解だったよ。こんなに日常で笑わせてもらう事なんて無いもの」
「笑いごとじゃあないですよ。遙堪だって今からなにをするわけでもなくただああやって紙によく読めない文字を書くだけで給料をもらっているんでしょう!?僕なんか一日中働いて一緒の給料って割りに合いませんよ!」
「まあ、まあ。このご時世に仕事にありつけるだけでも幸福だと思わないと。寧ろ、拾ってあげた私に感謝してほしいぐらい」
「いや!いや!奈保さんが決まっていた内定を本人が知らないところで蹴ったんでしょう!それでしかたがなく僕はここにいるだけですよ!?」
「え?そうだっけ?」
年には似合わないお茶目な表情をすると自分のデスクへと戻る。これ以上文句を言った所で何も出ない事は分かっているのでグッと言葉を飲み自分の机に視線を戻す、と遙堪がこちらを見ていた気がしたので視線をやると黙々と何か文字の様なものを書いていた。改めて液晶に映し出された文字を見る。文章だけでここまで胸糞が悪くなる事件も初めてだ。
先週の某日。ある男性が何者かによって殺害されていた。殺人に普通なんてものはないのだけど普段起こっている殺害方法の次元を超えている方法だったのだ。蝋のようなものを喉に流しこまれ窒息すると言う非人間的な殺害方法。悲惨な殺害だったのにもかかわらず一般公表はただの事故死とされていた。そもそも、事故死として処理されるのがオカシイ、が奈保さんは【それでいいのよ】とさもかも当然のように受け入れている。しかし、あまりにも僕にとっては受け入れがたい事実。もしも、何か圧力によって隠蔽されているのだったら公表するべきだ、と考えに至った僕は席を立とうとした瞬間、針に刺されいるのかと錯覚してしまうほどの痛みが背中を襲ってくる。背中を触ってみても針が刺さっている訳じゃあない。
これは視線。ではだれの?決まっている。針のような視線を向ける事ができるのは彼女しか居ない。僕に視線を送っているであろう人の方へ視線を向ける。明らかに先ほどの笑顔とは程遠く険しい表情をしている奈保さんが視界に入る。
「お前はその案件にかかわる必要はない。その資料は見なかった事にしろ」
「でも、見てしまいました。奈保さんがどう言われても僕は現場に行ってみます」
「現場に行って何をする?もう警察が現場検証もし終わり事故として終わったことだぞ?素人のお前がなにをするつもりだ?お前には何もできやしない」
「特にするつもりはないです。ただ、あの場所に行って空気を・・・時間を見に行きたいだけです。ただ、それだけです」
すると険しい表情が諦めたような表情へと変わり深くため息をつく。誰が見たって呆れてしまった人がするため息に見える。
「お前は素直だけど頑固だ。まあ、そう言う所を私は買っているのだけどね。遙堪。お前もついて行ってやれ」
「・・・」
沈黙の拒否。明らかに面倒くさがっているのが喋らなくても分かる。僕だって一人で行った方が気を使わなくていい。
「あとでおしるこを買ってやるから」
奈保さんの一言で決着。遙堪はその一言を聞いた瞬間に鉛筆を置きドアに向かって車輪を漕ぎだす。僕も慌ててハンガーにかかっていたコートを羽織り出口に向かう。
「櫨谷!」
呼び止められ後ろを向き彼女の方へと向く。
「殺人現場には色々なモノ(おもい)が残っている可能性がある。遙堪の側にからは絶対に離れるなよ。まあ、今回の場合は大丈夫だとは思うが・・・まあ念のために、な」
「は、はぁ・・・」
そして、僕と遙堪は部屋から出ていく。