長女
きい、きい。
ウルはぼんやりとゆれる鎖を見上げていた。ブランコから見上げる空は大分黄金色へと変化しつつあった。傍らには大型のトランクが侘しげに主人を見守っている。
樫田家から歩いて10分ほどの小さな児童公園にはウル以外、2,3人の小学生が滑り台で遊んでいるだけだった。
これからの事を考えないといけないのだが思考が全くまとまらない。美夜子にさっき言われた台詞だけが何度も繰り返し映像つきでウルの脳裏で再生され続けた。
体に力が入らない。
「あんな風に言わなくてもいいじゃないか」
何度目かになる独り言を呟く。
確かにこの数週間はだらしない生活をして美夜子に負担を掛けたがそれにしても人の身体的な欠点をあげつらうとは性格を疑う。急にムカムカして来た。
やっぱり美夜子はアウルディーの妹だ。
そう思いながら自分がやって来たことは極力思い出さないようにした。
「こんなとこでなにしてんねん」
声に振り向くと、公園の入り口に通りかかったらしい九城が立っていた。手にはマクドナルドの紙包みがあった。
「九城か」
ウルは不貞腐れた顔のまま言った。
「どないしてん。追い出されたんか?」
トランクに眼をとめた、九城の軽い口調での問いかけに、
「どうでもいいだろう」
顔も見ずに答えた。
「そういう訳に行くかいな、紹介した手前俺にも責任てヤツがでてくんのよ」
ブランコの前にある鉄の自転車止めに腰掛ながら九城が言った。
「まあ、話してみ?」
ウルが一通りさっきあった事を話すと九城が顔を顰めた。
「まあ、それはあかんな。誰しも気にしてる事はあるもんやし」
そういって携帯を取り出し、どこかにコールした。
微妙な緊張と期待の間。
「おー俺オレ。今近くの公園でミズ・ウルマと会って話ししてたんやけど・・・」
暫く九城は無言で携帯を耳に当てていた。
「え・・・そうなん?マジで?それは・・・はい」
ウルがチラリと見ると九城は引きつった顔で通話を切るところだった。
気まずい沈黙。九城は俯いている。
堪えきれずにウルは涙目で叫んだ。
「私が悪いのか!」
「ジブンが悪いやろ」
九城はうんざりしたように言った。
「なんでだ!あなたも私を差別するのか!」
「それやめて。んじゃ関わらんとくわって言いとなるから」
九城は一つため息をついて言った。
「確かにひよこちゃんも言い過ぎかも知れんけど・・・ジブンちょっと甘えすぎやろ」
「確かにここ暫くは弛んでたのは認める。でも私だっていろいろあったんだ」
頬を膨らませてそっぽを向く。
「全部ミズ個人のことやろ。ひよちゃんにはなんの関係もあるかいな」
「美夜子があんなことを言うなんて・・・やっぱり彼女はあの皮肉屋の妹だ」
俯いて口を尖らすウルに九城は語気を強めた。
「そうや、わかっとるやんけ。あの子はジブンがちょっかい掛けた十崎の妹や。気付いてるか?悪気はなくてもひよこちゃんから兄貴を奪うとこやったんやで。確かにきっかけを作ったに過ぎんかも知れんし、それを言うなら俺も責任あるけど・・・」
九城は横を向き苦そうに言った。
「なんか、みんなでひよこちゃん虐めてるみたいやな」
その言葉はウルの頭に金属バット並みの破壊力で打ち込まれた。
さすがに言葉を失ったウルに九城は寂しげに続ける。
「ジブンが大変やったんは分かるよ。でもミズ・ウルマ、子供の守も大変なんよう知ってるやろ?気持ちに余裕が無いんなら去るべきやわ」
ウルは答えられなかった。自分がやってきたことがいまさらながら足の裏から恥辱の熱を持ってゆっくりと頭のてっぺんまで上ってきたからだ。
「アッラー・・・」
ウルは我知らず呟いた。
九城は立ち上がった。
「俺行くわ。いつかまたな」
九城が入り口に向かって歩いていく足音を痺れた頭で聞いていた。
それが立ち止まる。
「ミズ・ウルマ」
九城の呼びかけにウルははじかれたように顔を上げた。
かすかに笑うシャープな顔が公園の入り口に向かって顎をしゃくった。
そこには・・・
制服姿のまま腰に手を当てジト眼でこっちを見ている150センチそこそこの天使がいた。思わず腰を浮かし、口を半開きにして瞠目するウルに向かい彼女は叫んだ。
「どうすんの!?」
出て行けと言っておいてどうするのもないだろう?
「ミズ。勝負どころを間違えんなよ」
ウルにだけ聞こえるように言うと九城は美夜子の肩を叩いて立ち去った。
「どうすんの?来るんならはよして。カレーの火切ったままやねんから!」
ウルは俯くと硬い動作で入り口に向かった。
「トランク!」
美夜子の一喝にあわてて忘れ物を取りに戻る。
可愛らしいリードカーについてウルは通いなれ始めた樫田家への家路を辿る。
家路。
自分からは遠く離れていた家路。
誰かが待っているホームへ。
ウルの視界がぐにゃりと歪んだ。
自然歩く速度が落ちる。
前を行く足音が止まる。
「ん、もう急いでんのに」
悪態とともにかばんを引いてない方の手を握られた。
さっきの言葉と裏腹にゆっくりとした歩調。大河を引かれていく小船のように。
堪えきれずウルは嗚咽を漏らした。
「ごめん」
「はいはい」
「ごめんな」
「私もごめん。でもこれからはちゃんとお手伝いしてや。できる範囲でいいから」
「がんばるよ。ごめんな」
ウルはついに大声を上げて泣き出した。
子供のように泣きじゃくる褐色の美女を牽引する女子高生。
通行人は好奇の視線も露に二人を見たが、気にしなかった。
「もう、いくつなんよ」
そういう美夜子の眼にも涙が光っていた。
「ひよこー調子はどうだね」
いつものように莉子が来た。
「む。悪くなさそうだね、つまらん」
「おはよー莉子」
教科書をさっさか机に移し変えながら美夜子は返事した。
「恐怖の居候さんはどう?」
「んー」
美夜子は暫く空をにらんで唇を曲げていたが、少し苦笑を交えて朗らかに言った。
「長女が増えた気分」
ありがとうございました。楽しんでいただけたでしょうか?
それではまた。