ベランダ
翌日。美夜子のストレスはほぼMAXに達していた。
あの後九城は微妙に眼を合わせず「まあ、もうちょい様子見てそれから」と弱弱しく呟き、とぼとぼと帰ってしまったのだ。
様子を見てから。これ以上やる気のない台詞があるだろうか。
そういえば同じ事を言っていたウルは勿論まだホームセンターに言ってない。余計腹が立ってきた。
学校から帰ってきた美夜子は2階に上がった。夕方になって湿気る前に洗濯物を取り込むためだ。ウルは当然あてにできない。
何を考えているのかベランダの入り口でだらしなく熟睡しているウルがいた。美夜子は背中に蹴りを入れるといった。
「邪魔や。只でさえ無駄におっきいのに」
「む・・・美夜子おかえり」
呟くように言うとごろりと転がって最低限の道を空けた。
「っ!・・・・」
思わず歯を剥き出してしまうが、大きく息をついて平静を保った。
もう、寝転んでいる言い訳すらしなくなってきた。洗濯物を畳んだら別の住処を見つけるよう話をしよう。平和な寝顔を見ていると多少同情の念も沸いてくるが、うちは子供二人以外にオバQまで養う余裕はない。洗濯物を取り入れながら考えていたのだが、昨日ウルが下着の上から穿いてた兄のトランクスがぶら下がっているのを見て、下の牙を剥き出した。他の女が兄の服を身に着けているところなど想像するだけで怒髪天をつく。ましてやパンツを穿くなど・・・もしウルが素肌に直で着ていたらバールのようなもので滅多打ちにして『別に後悔していない』とコメントしているところだ。
美夜子は洗濯物を抱えたまま室内に戻ると言った。
「昨日風呂はいったん?」
「・・・どうだったかな。風邪だし」
もごもごと答えるウルに、
「シャワーでも浴びといで、只でさえ黒いんやから。あがったらキッチン来て」
何気に言い捨てた。
「ん」
・・・
「なんだとぉっ!?」
「ひゃっ」
背後からの怒声に美夜子は飛び上がった。
振り向くと膝立ちになったウルがこっちを見てわなわなと震えていた。
「急におっきい声出さんといてよ!」
「い、今黒いって言ったろう、美夜子」
「・・・うん言うたよ。それが」
ウルの身振りをたっぷりと加えた台詞に遮られた。
「信じられん!美夜子、酷い差別じゃないかあ!」
美夜子はきょとんとして尋ねた。
「え、気にしてたん?」
「当たり前だ!別に汚れているわけじゃない、好きでこの色にうまれたわけじゃないんだ!」
美夜子としてはウルのすらりとした高い身長、野生的な外見にマッチした褐色の肌に羨望すら感じていたので全く他意はなかった。
「あ、そうなん。ごめんごめん」
「なんだその心の籠もっていない謝り方・・・あーっ!その前に無駄に大きいっていったろ!?」
「うん」
ウルはよろめき、涙を浮かべて顔を歪めた。
「神よ・・・天使と思っていた彼女がこんな人間だったとは」
美夜子はむすっとして言った。
「その言葉そっくり返すわ。寝てばっかりで手伝いもせんと」
それが聞こえていたのかいないのか、ウルはただひたすら被害者顔を崩さなかった。
「私の気にしている事を2つも!好きでのっぽさんに生まれたわけじゃない、
ひどい、ひどいぞ!」
「のっぽさんって言い回しかわいいな」
「ごまかすな!もっとちゃんと謝れ!」
ぴょんぴょん跳ねて腕をぐるぐる振り回すウルを見て、不覚にも萌える美夜子だった。
「はいはい、めんちゃいめんちゃい」
背中を向けてとたとた歩き出した美夜子にウルは付いてきた。
「わたしはな、そんな酷い事を言ったのが美夜子だから怒っているのだ。
妹のように思っている美夜子にそんな事を言われるなんて」
その場に突っ伏し床を叩きながらアオオとか泣いているのを肩越しにちらりと見やる。この辺のジェスチャーがアメリカ人っぽいなとか醒めた気持ちで
思った。
「私は、私はなんて不幸なんだ。何でも話せる友人が出来たと思ったのに」
「そら、ウルはええよね」
美夜子はウルに向き直った。
その口調の冷たさにウルははっと顔を上げた。
「好きなこと私に言って好きなことやってるんやから。で、ウルは私の
話聞いてくれたん?」
ウルは呆然と美夜子を見あげたままだ。
「あのな、自分が楽なときって、大抵相手が大変なんよ。日本人って特に最後の最後まで顔は笑ってるけどな」
喜んで駆け寄ってみたらひっぱたかれた犬そのものの表情を浮かべているウルに向かって言った。
「NOが言われへんわけやないで。ウル、私子供らの面倒見るだけで精一杯や
ねん。他で住むとこ探して」