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美夜子

「おーす、ひよこ。居候さんの調子はどう?仲良くやってる?」

美夜子が顔を上げるとカラフルなヘアピンたちが前髪に並ぶショートカットの少女が茶目っ気たっぷりに笑っていた。猫のようなどんぐり眼、くっきりとした鼻梁の下で微笑む桜色の薄い唇。

164センチの長身から見下ろす南部莉子を美夜子は教室の席に着いたまま見あfげた。

「オハヨ。うん、仲良くやってるよ。買い物とか家事とかめっちゃ楽なったわ」

鞄から取り出した教科書をさっさと机に入れながら親友に答える。

莉子はふーんと言うと、ポケットからカロリーメイトを取り出した。

「日本人じゃなかったよね?」

「アメリカとの二重国籍で今年決めにゃならんねんて」

もぐもぐと口を動かす莉子に答える。

「んでもって中東系・・・なんかカオスだね」

「本人も悩んどるみたいよ。イラクに行ったのもそれが原因」

「・・・大変なんだ」

「まあ何にせよ、孝太と睦美ちゃんは大喜びや。ただ」

「ん?」

「・・・なんか最近ダレて来たような」


「む・・・」

ウルは樫田家の二階で眼を覚ました。時計の針は午前10時を指している。

『いかん、昨晩深夜テレビが面白かったものだからつい夜更かししてしまった』

「美夜子を手伝わねば・・・もう学校へ行ってしまったか」ポン太は幼稚園、むんは

保育園に美夜子が連れて行ったはずだ。

寝ぼけた声で呟いたものの布団から出ようとしない。

『この体の重さは単なる寝不足ではないな。時差ぼけ・・・はもうとっくに無い筈だし、そうか』

ウルは何週間か前に繰り広げた死闘を思い出した。

今思ってもぞっとするような2日間だった。命を落としても不思議ではない場面ばかりだ。

『あれだけのことがあったんだ。疲れもするだろう』

ウルは布団を口許まで引き上げると再び眼を閉じた。

『この疲れが取れたら今までの倍働いて美夜子をびっくりさせてやろう』

いつものようにうだうだと自分に都合の良い言い訳を思い浮かべ、ウルは二度寝へと転落していった。


「ウルー」

美夜子の声に呼ばれ、上下スウェット姿のウルはベランダへ出た。

「どうした美夜子?」

「あそこの釘はずれ掛けてんねんけど背ぇとどかへんから打ち直してくれへん」

美夜子に指差された場所を見ると、壁に打ち付けられた釘が外れ掛けていた。

ハトよけのネットを掛ける釘だ。

ウルの身長でも椅子に乗らないと届かない場所にある。

つまり椅子を持ってこないと作業が出来ない。

ウルは暫く釘を眺めてから言った。

「補修用のパテで穴を埋めてから新しい釘を打ったほうがいいな」

「え、そうなん?」

驚いたように美夜子が言った。

「クルドではそういう作業もよくやったものだ。釘とパテはあるか?」

「ない」

ウルは予測していたように頷き言った。

「近いうちにホームセンターで買ってくる。それまでこのまま様子を見よう」

そういうと一人頷きながら中に入ってしまった。

美夜子は困ったような顔でそそくさと部屋に戻るウルの背中を

見送った。

「釘打ちなおすだけでええ思うんやけど・・・」


深夜。

睦美の泣き声でウルは眼を覚ました。2階の8畳の和室で美夜子、ぽんた、睦美が雑魚寝

しているのだが、ぽんたはどんなことがあっても目を覚まさない。

隣の部屋にいたウルは寝ぼけ眼のまま匍匐前進で襖に到達するとそれを開けた。

1歳を過ぎたばかりの睦美が泣くのはいつもの事だ。泣き喚く睦美の傍らで美夜子が

眼を擦りながら体を起こしているところだった。

ウルは睦美との距離を目測した。美夜子の方が少し近い。

それに睦美はウルに慣れてきたとはいえ、やはり美夜子の方があやし方を心得ている。

早く泣き止む方が誰のためにも良い。

ウルはいつものように自分に優しい結論を出すと、そのままばったりと伏せて夢路に向かった。

「なにィ!」

もとのポジションに戻るのがめんどくさい。

美夜子の小声での叫びを無視し、ウルは眼を閉じた。


「ひよこーおは・・・どったの」

莉子は朝から机につっぷしている美夜子に驚き声を掛けた。

「私は既に死んでいる」

美夜子はうつ伏せたままくぐもった台詞を漏らした。

「ならば」

「ひゃっ」

胸を後ろから揉まれた美夜子は飛び起きて莉子を睨み付けた。

「ふっふっ。良い乳じゃ、今宵閨を共にせい」

手をわしゃわしゃしながらニヤつく莉子に美夜子は早口で言った。

「只でさえ疲れてんのにこれ以上怒らさんといて!」

「美夜子、今夜は一緒に寝るか?by兄」

「お兄ちゃんやったらしゃーない・・・ちゃうやろ」

美夜子は疲れたように言うと再び机に突っ伏した。

「なにーさ。ウルさん来て楽になったんでしょ?」

少しの間を置いてから美夜子はフッと鼻で笑いいった。

「そんなことを言ってたオメデタイ時もあったな」


壁に掛かった受話器を取ると、インターホンを通じて野太い声が聞こえてきた。

「うーす、お呼びにより無職参上」

「2階まで上がって来て」

九城の軽口に答えず美夜子はつっけんどんにいった。

程なく階段口から九城がその逞しい姿を現した。

今日はタイで買ったらしいだぶだぶのステテコのような黒シルクのズボンに派手なTシャツだ。履物はきっと草履だろう。どこのチンピラだ。

「おーひよちゃん、どしたん?」

どこと無く気後れしたように九城が聞いた。

呼び出される心当たりがイマイチないという顔だ。

美夜子は無言で背中を向けると右手でついて来てというしぐさをした。

のっしのっしと九城が続く。

扉の前で立ち止まると美夜子はむすっとしたように中に声を掛けた。

「ウル、入るで」

返事も聞かずにドアを開ける。

中を見て美夜子は大きくため息をついた。

「九ちゃん、見て」

「大丈夫なんか、俺覗いて」

九城が不安そうに言った。棒で殴られるのはごめんだと顔に書いてあった。

「いいから」

苛立った様に美夜子が言うと、恐る恐る中を覗き、九城は石化した。

10秒そのままの姿勢を続けてから九城は額に青筋を立てている美夜子にゆっくり顔を

向けて言った。

「随分ミズ・ウルマにそっくりな芋虫がテレビ見とるけど」

布団に包り、鼻の穴にチリ紙を突っ込んで画面に虚ろな眼差しを向けているウルを見て

九城が言った。

「九ちゃんが連れてきた芋虫やがな」

眼を閉じて怒りを抑えながら美夜子が言った。

「病気なんか?」

「三食食べて深夜までテレビ見て朝10時過ぎまでねむっとるのが病気っていうんなら

そうやろな」

「・・・嘘やろ」

九城の中には凛々しいウルのイメージしかないらしい。

逆に美夜子の中にはダメ人間の見本のようなイメージしかなかった。

「最初はよう手伝いしてくれたけど、今は見ての通りや」

「これはないな」

「九ちゃん」

「はいな」

「連れて帰って」

「そういわれても」

「む・・・美夜子に九城じゃないか」

ウルはようやく気付いたらしくこちらに横向きで寝ていた顔を向けた。

ウルは自嘲するように鼻で笑うと言った。

「九城、こんな格好で申し訳ない。少し風邪を引いてしまったらしくてな」

「お、おお。風邪なんか、そりゃいかんな」

九城は戸惑いながらもほっとしたように言うと美夜子に顔を向けた。

「風邪やて」

美夜子はジト眼をウルに向けたまま九城に呟いた。

「見とき・・・ウル風邪なん?」

「うん。子供たちにうつすと行けないからな。全く忌々しい」

眼を逸らしながらウルは辛そうにため息をつく。

「そう・・・学校の帰りに生協さんでイチゴアイスかってきたんやけど、風邪ならしゃあないな」

ウルの動きが一瞬止まる。

「今晩はおかゆさんにしとき。九ちゃん、代わりにアイス食べてって」

言いながら美夜子は踵を返そうとした。

「待て、美夜子」

「何」

「アイスは風邪には良いような気がするんだが。体温が下がりそうだし」

「んなわけないやろ」

「本当だ。看護学校でも習ったんだ」

「んなわけないやろ!それから、ウル棒っきれそこらへんに置かんといてっていうてるやろ、子供らが怪我したらどうすんの」

「ああ、悪かった。今は布団の中で抱いてるからその気遣いはない」

「そらあかん。温い内に没収や」

真面目くさって呟く九城の足を美夜子は思い切り踏んづけた。

「朝、素振りをしてそのままだった。すまない・・・そのせいで風邪を引いたのかもしれんな」

「風邪引くほどやってんの?」

足を抱えてぴょんぴょん跳ねながら九城が聞くと、

「毎朝30回」

「少ないな、おい!」

「クルドにいた頃は朝晩200回ずつ振ってたんだが、少しばかり気が緩んできたのかもな」

ウルはしれっと答えた。

「いい加減布団から出て夕食の準備手伝って!」

「あ、ああ。体調も戻って来た気がするし、そうしよう」

ぼさぼさの頭のまま、いいきっかけが出来たとばかりにウルは布団から出てきた。これでアイスが食べれるとでも思っているのだろう。

立ち上がったウルを見て美夜子が怒声をあげた。

「あーっ!また兄ちゃんのお泊り用パンツはいてる!それ絶対やるなってゆうたやろ!」

艶かしい、腕や顔より遥かに白い足は男物のトランクスからにょっきりと伸びていた。

「あ、楽だからつい」

美夜子のいつもとは段違いの剣幕にウルはたじろぎながらもごもご言った。

「あんたは、火災でラブホから飛び出してきた痛い女か!十ちゃんの衣類にさわってエエ女は私だけやって何回言わせる気!?ましてや、履くってどういう了見さ」

次の台詞で九城のタマシイはどっかに飛び立った。

「私の特権やのに!」

「す、すまない。ちゃんと洗濯するから」

「耳ついとんか!さ・わ・る・な・いうてんねん、脱げ!」

「わ、わかった」

慌ててトランクスに手を掛けたウルは九城に険しい眼を向けた。

「何を見ている、出て行け!」

「・・・好きにせえ」

八つ当たりに怒る気力も無く九城は入り口から離れ、呟いた。

「痛い・・・何もかも痛すぎる。ウルもひよちゃんも」

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