Ⅲ
案内された家の中は、調度品から家具から色彩まで妙に外国情緒たっぷりの内装だった。蓮自身は日本から一度も出たことはないが、外国の映画やテレビドラマで見たような覚えがある。しかし、欧米っぽいとも言えるし、アジアっぽいとも言えるし、何っぽいと聞かれても取り敢えず日本っぽくはないとしか答えられない。
汚そうな靴下を脱いで素足のまま、あったかい何かの動物のふわふわの毛革ソファーに腰掛けながら、蓮は応接間のような部屋をキョロキョロと見渡していた。
しばらく経って、部屋の奥へと消えた三人のうち、お盆を持ったアレンだけ戻ってきた。
「あれ?二人はどこへ行ったんですか?」
「あーうん、ちょっと外にな。すぐに帰ってくるさ」
どうしてまた外に?とは気になったが、あまり深入りして聞くのも良くないと思い立った蓮の隣りに腰を下ろし、目の前のテーブルにお盆を乗せた。それには、良い感じに溶けたチーズをのせた丸い形のスライスされたパンと、恐らく牛乳らしい飲み物が入ったマグカップが二組あった。
ハイジのパンみたいと蓮が感動していると、香ばしい匂いに刺激されたらしくお腹がぐーっと鳴った。途端恥ずかしくなって、真っ赤になると、アレンが堪えきれなくなったように吹き出した。
「お前面白いやつだなー。青くなったり赤くなったり笑ったり。見ててホントに飽きないぜ」
「…なんかスミマセン…」
「何謝ってんだよ。やっぱり面白いなーレンは。ほらこれ食えよ。腹減ってんだろ?オレはいらねぇからさ」
笑われてるのが恥ずかしくてアレンと目を合わせず、俯いたままパンを受け取って頬張った。シンプルなのにすごく美味しくて、蓮は目を輝かせてひたすらもぐもぐ食べていた。
半分ぐらい食べた後、ふと視線を感じて顔を上げると、何だか変に不思議な表情をしたアレンと目があった。
「あぁ、食べてる最中悪いな。気にしないでくれ」
気にしないでと言われても気になるものは気になる。だが、取り敢えずパンを食べてからにしようと思い立ち、そして食べ終わった。
「ごちそうさまでした。すごく美味しかったです」
「そーか?悪かったな。こんなのしかなくて」
「いえ、私こんなに美味しいチーズとパン初めて食べました!本当に何から何までありがとうございます」
感謝の笑顔と律儀に頭を下げる蓮。アレンは何か思案するようにしばらく蓮を見つめ、そしてため息をついた。
「オレ本当に信じらんねえぜ…お前があの聖霊姫ってこと」
その困ったような呟きに、蓮は首を傾げた。アレンは立ち上がり、目の前の壁に掛けてある読めないが文字のような刺繍が施されたタペストリーの横に立った。
「『光と闇の均衡が傾き世界が崩落するとき、闇に愛された美しい容姿を持ち、光に祝福された純粋な心と力を持った双黒の聖霊姫が正しく導くであろう。』まぁ、これがこの領地に伝わる双黒の聖霊姫のことだ」
世界を正しく導く…なんか勇者みたいでかっこいいかも。しかし、それが全く他人事ではないことだとハッとした。
「えっと…それが私?」
「一応じーさんの御墨付きだしな。オレには聖霊の力とかは分かんねーけど…」
うーんと何か言いにくそうに言葉を濁し、タペストリーを見つめながら難しそうな表情で頬をポリポリと掻いた。
「でも実はさ、他の領地っていうか街っていうか、まぁオレの故郷ではかなり違くて…」
壮大すぎるその内容に呆然とした蓮に視線を移し、意を決したように口を開いた。
「『闇を纏う双黒の聖霊姫が現るとき、その卓越した恐ろしき力で光を侵食し世を滅びに導く』ってな」
世を滅びに導く…それもう魔王じゃん、なんかすごいなー。しかしまたもや、それが他人事ではないことだと愕然とした。
「…それも私…何ですか?」
「そう、らしいよな」
勇者でもあり魔王でもある。なんか斬新だけどあまりに極端すぎる。せめてどっちかにしてほしい。…でも…選べるならやっぱり勇者の方が良いかも…。蓮は恐る恐る質問してみた。
「一体…どっちが正しいんですか?」
「正しいっつーか…どっちを信じてるかって感じだな」
「信じる?」
「例えその答えが間違いだとしても正解だと思ってたら正解だろ?善からみれば悪は悪、悪から見れば善は悪とかな。聖霊姫が世界を救うのが本当に正解だったとしても、世界を滅ぼすが正解だと信じてる奴から見れば間違いのようなもんだ」
予想以上にレベルの高い返答が返ってきた。えっと…つまり…うーんと…。
「聖霊姫は世界を救うのに、滅ぼすって思っている人が多いってことですか?」
「いや、それが本当に救う存在なのかも分からねぇんだよな。この2つの聖霊姫の伝説だって眉唾もんだし。というより、今この国が危機的状況にあるのかさえ分かんねぇし」
あー!さらに頭がこんがらがってきたー!蓮は必死に頭をフル回転させて考えていると、知らぬ間に再びアレンが隣りに腰を下ろしていた。
「まぁでもさ、実はオレも双黒の聖霊姫は悪で正解って信じてた方で。最初あの倉庫でお前を見た時、あ、この世も終わりかって思ってたんだ。ティルは何考えてっか分かんねえけど、喜んでたじーさん見て信じられなかったぜ、本当」
アレンはおもむろに蓮の肩にかかる黒髪を一房手にとり、じっと彼女の目を見つめた。
「でもよくよく見てみると、髪と目の色が違うだけで別に他の女とほとんど変わんねぇなって思って。国を滅ぼすなんて出来る訳ねぇよな」
見事に晴れ渡った空のように透き通った蒼い瞳に見つめられ、何だか変に落ち着かない心地に陥った。うーん、でもホントきれいに整った顔だなぁ…。ティルさんも格好良かったけど、また違う格好良さなんだよね。もっと大人な感じがするって言うか…。艶があるって言うのかな?いったい何歳ぐらいなんだろ?そんなこと考えていたら、知らずに口からポロリとこぼれでた。
「アレンさんっていくつなんですか?」
「…は…?」
アレンの動きがビシッと止まった。
「いや…今聞くことか?普通?」
「…す、すいません!ただ気になっただけで…言いたくないなら別にいいんで!」
わたわたと慌てて謝る蓮を見て、アレンは呆れたような溜め息をついて彼女から少し離れた。
「お前ってさ、よく天然とか言われんだろ」
「あ、はい。どうして分かったんですか?」
「…どうしてって…」
ついでにもうひとつ溜め息をついて、まぁ、いいかと呟いてちょっと悪戯っぽく微笑みながら、蓮の頭に軽くポンと手を置いた。
「歳教えてやってもいいけど、一つ条件な。そのさん付けと敬語止めてくれ。好きじゃねぇんだ」
「え!で、でもアレンさんは年上そうですし、年上は敬うのが…」
「ほら、さん付けしない」
「う…ア、アレン…」
さんを付けないように何とか踏みとどまった。
「で、でも敬語は少し待って下さい!まだ出会ってばっかりなのに、そんな簡単には出来ません!」
部活のルールや家訓の一つがまず年上には敬語だったため、そうそう長年のくせは直せない。必死に手を合わせお願いをする蓮。アレンは数回瞬きし、ふっと笑顔になってそのまま蓮の頭をわしゃわしゃと乱した。
「ド天然にクソ真面目かよ。こりゃあ難攻不落だな」
「な、難攻不落?何がですか?」
答えずに、ただとても面白そうに笑うアレンに、頭髪をぐしゃぐしゃにされながら首を傾げる蓮だった。
「あぁ、そうそう、オレは24。レンは?」
「私は17です」
「17か、ティルの一つ下だな」
やっと解放してもらい、蓮の髪を直していたその手がぴたりと止まった。
「テ、ティルさんって18なんですか?!」
アレンよりはなんとなく年下のような気がしていたが、少なくとも二十歳はいっていると思っていた。まさか十代、驚きだ。
「あいつ無駄に背ぇたけぇし、いつも無表情だから老けて見えるよな。歳の差結構あんのにオレより年上に見られる時あるし。だけどあー見えて、甘いもん好きだったり趣味が料理だったりすんだぜ?」
「い、意外です…」
甘いものが好きというのは共感できるが、趣味が料理というのはすごい。自宅の電子レンジ爆発させかけたり、調理実習でクラスで唯一10段階評価の1を付けられた経験のある蓮は、物凄く尊敬に値すると思った。
「だろー?あんな見た目なのにさ。確かに料理は旨いけど、エプロン付けたティルの姿はおもしろ「何の話してるんだ?」
ハッと二人が振り返ると、いつもの無表情…よりちょっと眉根が寄ったティルが立っていた。二人が座るソファーの後ろには扉は無い。一体どこから入ってきたのだろう?
「お、お前いきなり真後ろに飛んでくんなよ!マジびっくりしたじゃねぇか!」
「俺の話をしていたからか?」
「ど、どこから聞いてたんだ?まさかエプロンの話を…」
そのエプロンに心あたりがあったのか、ティルの眉根がさらに寄り不機嫌そうな顔になる。う、口が滑ったとアレンが慌てて口を閉じた。だが、気まずい空気を知ってか知らずか、蓮は目をきらきら輝かせ口を開いた。
「ティルさんって料理出来るんですね!」
ティルは面食らって蓮を見た。
「すごいです!私料理作れないから尊敬しちゃいます!」
変な沈黙が落ちた後、ティルはアレンとふっと目を合わせ、そして蓮に視線を戻した。
「お前…変なやつだな」
ただ正直に言っただけなのに、どこが変なんだろう?そういえば、アレンには面白いと連発されていたし。本当によく分からない。
「私のどこが変で面白いんですか?」
思いっきり首を傾げる蓮を見て、ティルは微妙な表情に、アレンは可笑しそうに笑った。
「天然で真面目だろ?面白れーよな」
「…面白いというか変わっている。双黒の聖霊姫だからなのか?」
「魔術師でもねぇオレに聞くなよ。だけどほんと参るよなぁ…。折角落とそうと思ったら…」
アレンの最後の聞こえるか聞こえないかぐらいに小さい呟きに、ふっとティルが表情を変えて視線を移した。
「やっぱりそのつもりで…」
その侮蔑にも近い冷ややかな視線に、アレンは慌てて弁論に走った。
「あ、いやその!最初からそういうつもりじゃ…なんていうか、その気にさせられたつーかなったというか…」
「…師匠が先に帰れと言った意味が分かった」
「やっぱりあのじじいの入れ知恵か!別にその気にはなっただけで手は出してねぇよ!」
「…本当かレン。大丈夫だったか?」
突然話を振られ、返事にちょっと間があいた。
「あ、はい、パンをご馳走になって聖霊姫について教えてもらいました」
「それだけか?嘘付かなくて良い」
「おい!どんだけオレ信用ねぇんだよ!」
「いつもの行いが悪いから」
「だからって、そこらへんの良識ぐらいはあるわ!」
激して更に言い募ろうとしたアレンに、何かを思い出したティルがあぁと声を上げて制した。
「師匠が呼んでいた」
「って、今言うタイミングかよ…。じーさんが?」
「風化の街の入り口で待っていると言っていた。数日かかるかもしれないから準備して来いと」
「数日…ったく面倒だけどしょうがねーか」
かったるそうに立ち上がって、アレンは不思議そうに見つめる蓮に気付いて笑顔を向けた。
「すぐ帰ってくっから。待ってててなレン」
再び蓮の頭をぐしゃぐしゃにかき混ぜて、扉の奥へと消えてしまった。
ちょっと呆けながら髪を適当に直していると、ふとソファーの横に立つ無表情に戻ったティルと視線が合った。
「…部屋に案内する」
そうぶっきらぼうに言い、扉の奥へと消えかかったティルを慌てて蓮は追いかけた。