第二幕 第六章 その4
霧が薄れ、現場に作業員が数人集まってくる。
灰皿に残った一本の吸い殻が、かすかにくゆっている。
その煙が、夕暮れの光の中で細く消えていった。、ヘルメットをかぶり、軽く挨拶を交わしながら準備を始めるが、どこか覇気がない。
「…なんか、静かよね」
美音が呟く。
エンジンの音もなく、測量機の電子音さえ響かない。
翔流は腕を組み、周囲を見渡した。
誰もが動いているようで、動いていない。
測量棒を持つ男は同じ位置を何度も測り直し、
書類を見ていた若い作業員はページをめくる手を途中で止めたままだ。
「集中してないな…」
「え?」
「全員。まるで寝てるみたいだ」
その瞬間、背後で鈍い音が響いた。
一人の作業員が足場でつまずき、倒れ込む。
駆け寄ると、男は額を切って血を流していた。
「大丈夫ですか!?」
美音がしゃがみこむ。
だが男は目を開けているのに焦点が合っておらず、
どこか遠くを見ているようだった。
翔流はタオルで傷口を押さえる。
「頭を打ったな…。でも、傷は浅そうだ。とりあえず止血しよう」
「でも、このままってわけにはいかないでしょ?」
「病院に連れて行ったほうがいいよなぁ」
翔流は周囲を見渡す。
他の作業員たちも、どこか様子がおかしい。
「…なぁ、美音さん」
「何?」
「他の人たちも少し、変じゃないか?心ここにあらずっていうか」
実際、同僚がケガしても誰ひとり駆け寄らない。
ただ立ち尽くし、霧の向こうを見ている。
「…確かに。ちょっと不気味ね」
「この状態じゃ、運転させるのも危ない。全員一旦引き上げさせよう。病院で診てもらった方がいい」
美音は小さく頷くも――
「でも、みんな車数台で来てるのよ? わたしもミニだし、乗り切れないわ」
そのとき、砂利道の奥からエンジン音が近づいてきた。
霧を割って、一台のハイエースが現場に入ってくる。
車体の側面には同じ建設会社のロゴ。
「おーい、どうした?」
運転席から降りてきたのは、同じ班の年長作業員だった。
「怪我人だ。足場で転倒して頭打った」
翔流が答えると、男はすぐに状況を見て頷いた。
「救急呼ぶほどじゃねぇな…うちで医者に連れて行くよ」
男は後ろの扉を開けた。
「いや、他のみんなもどうも様子がおかしいんだ。話しかけても反応鈍いし…」
「うーん」と男は唸りながらも
「資材はちょうど降ろすところだった。
荷台空ければシート立てられるし、人数分は乗れる」
言葉通り、男がカラーコーンとロープの束を脇に寄せると、
広い荷室が現れ、折り畳み式の補助シートがカチリと音を立てて立ち上がる。
その“あまりに都合の良い”偶然に、美音は一瞬眉を寄せた。
「助かります。お願いします」
彼女が頭を下げると、男は伝票を取り出して呟いた。
「急に追加になったけど、たまたまこれで来て良かったよ」
「ところで、この荷…カラーコーンとロープ、こんなに居るんです?」
翔流の疑問も、もっともだった。
この林道はそもそも一般車通行不可の上に今は通行止めの看板もおいてある。
「あー、それ。朝イチで入生田さんから直々に言われたんだよ。必要になるからって」
「入生田さんから……?」
美音と翔流は顔を見合わせた。
「確かに…必要になったな。…車が」
美音は返す言葉を選べず、沈黙は霧に呑まれていった。
風もなく、ただ立ち込める霧の中で、二人はまるで取り残されたようだった。




