第二幕 第五章 その2
展示室は、空気ごと止まっているように静かだった。
開館直後の時間帯は来館者も少なく、美音はひとり、寄贈された風鈴の調書を書いていた。
手袋越しに触れる鉄の鈴は、前夜の出来事を嘘のように沈黙している。
――昨夜閉館後、確かにこの風鈴だけが鳴った。
館内の空調は止まり、窓も戸もすべて閉じていたのに。
「…気のせい、よね」
けれどその言葉に、自分でも少し迷いが混じっていた。
美音は郷土資料データベースを開き、
検索窓に「風除け」「朱山」「屋敷」と打ち込む。
古い郷土誌や寄贈記録を順に読み解いていくうちに、
一枚の古写真が目に留まった。
《朱山西麓・和田河原家屋敷》。
説明文にはこうある。
“夏になると風が止み、庭の木々が枯れる。
その屋敷を人は『風を喰う家』と呼んだ。”
昨日、和田河原トヨと名乗った老婦人が言っていた――
「あの家では、昔から“風を封じる”って言ってたわ」
その言葉が、ふと重なった。
昼過ぎ、館内に扉の音が響いた。
「おつかれっす、美音さん!」
香織だった。いつものように制服のまま、手にアイスティーの缶を持っている。
「あら、香織ちゃんいらっしゃい。今日は早いのね? 学校ちゃんと行けてるのかな?」
「今日は短縮なんで午前だけっすよー」
「そう。ならのんびりして行けるのね。……あら、もう飲んでるのね。わたしもお茶にしましょうか」
香織は展示室を一巡しながら、ふと笑う。
「…あれー?今日は翔流にぃは?」
「単位論文の関係で今週は大学だって。ちゃんと勉強してるのかしらねぇ」
「美音ママ手厳しいっすね」
「インターンしてて単位を落としました、は流石に通用しないものね」
美音はくすっと笑いながら、資料を閉じるとポットに手を伸ばした。
香織もつられて笑いながら、展示室の奥へと歩いていく。
目の前には、昨日受け取った鉄の風鈴。
「…なんかこの周りだけ風起きなくないっすか?ほらほら、涼しくないっす」
香織は手で顔を扇ぐ仕草をしながら言った。
「気のせいじゃない?」
「えー、マジで空気止まってるっすよ。なんか重い感じ」
美音は無言で風鈴を見つめた。
鉄の表面が、陽の光を反射して鈍く光っている。
香織が帰ったあと、夕暮れが展示室に差し込んだ。
照明を落とし、戸締まりを確認する。
そのとき――頬を撫でるような風が通り抜けた。
空調は切ってある。窓も閉ざしてある。
それでも確かに、風が吹いた。
視線を上げると、鉄の風鈴がわずかに揺れている。
美音は思わず立ち止まった。
髪がほんの少しだけ揺れる。
一度、二度、澄んだ音が鳴り、やがて静まる。
その余韻が、館の静けさに溶けていった。




