幕間 ―風祭美音の仮説―
夕刻の郷土資料館。
窓の外には、茜色に染まった朱山。
日が傾くたびに山肌が燃えるように赤く光り、その光が展示室の床まで届いていた。
机の上には古地図。
風祭美音は、その上に白い指をすべらせながら言った。
「ねぇ、見て。昔は“龍頭山”と“龍体山”って、きっと繋がっていたのよ」
翔流が覗き込む。「一つの山だったってことか?」
「あの毒の絵のヤツっすか?」と香織。
「なんだよ毒って?」
「前にあったっすよ。塗料に毒素含まれてる朱山の絵が。あれも朱山と向こうの山とが繋がってたっす」
「えぇ。よく憶えてたわね。ここを見て。今の朱山から龍体山に繋がりそうなここ、“首”の部分、線が不自然に途切れてるでしょう?
このあたり――つまり、今の市街地。
ここを龍城家の始祖が削って、山を“分けた”の」
香織が首をかしげる。
「山を分けた…それが“龍を斬った”ってやつっすか?」
「そういうこと。あれは本当に“斬った”んじゃなくて、山脈を“断った”のよ」
美音は穏やかに微笑みながらも、その目には確信が宿っていた。
「この土地は昔、龍脈――つまり大地の力の通り道――が暴れていてね。
地震や地割れ、地滑りが絶えなかった。
だから龍城家の始祖は、その流れを観察して“首”の部分を切り取った。
龍脈を分断することで流れを緩やかにし、土地を安定させたの」
翔流が腕を組む。
「なるほど。…それで“龍を斬った”伝承になったとするのか」
「そう。たぶん、人々に理解できるように物語化されたのね。
“悪しき龍を討った”っていう英雄譚に変わっていった。
でも実際は、龍城の始祖はこの地を救った“土木技術者”だったのよ」
香織が少し興奮気味に口を挟む。
「それって、八岐大蛇の話と似てません? 治水工事の説あるやつ!」
「ふふ、そうなの。それを参考にしたのよ。
“龍を斬る”も“水を治める”も、人が自然と共に生きるための行い。
時代が変わると、それが神話になるのね」
美音は地図の一点を指さした。
「ここがその“分け目”。
人々はこの地を“分山”と呼んでいた記録があるの。
龍を断ち、山を分けた土地――それが“分山”」
香織が小さく呟く。
「…分山、かぁ。確かにそんな響きっすね」
「けれどね――この山は、昔から季節を問わず紅葉してたみたいなの。
年中、山が朱く染まる。“朱い山”。
そう呼ばれるうちに、“分山”の名は訛って、“朱山”になったのよ」
翔流が感心したように息をつく。
「なるほどな…地名の変化まで一本の線でつながってるワケだ」
「ふふ、これが“朱山土木工事説”。
別名、“朱山の名前の由来――分け山仮説”ね」
美音は少し照れたように笑った。
香織が目を輝かせる。
「え、すごい!なんか映画みたいじゃないっすか!」
翔流は少し黙ってから、窓の外を見た。
「…でもさ。その“流れを断たれた龍脈”って、今はどうなってるんだ?」
美音は目を伏せ、静かに紅茶をひと口。
カップを置く音が、展示室に小さく響いた。
「そこがね…“朱の咎”につながるんじゃないか、と思ってるの」
香織が息を呑む。翔流も顔を上げる。
「流れを断たれた龍脈の気は、行き場を失って地の底で渦を巻いた。
その力が、人の心――とくに弱った心に触れると、形を持たない“歪み”として現れる。
それが“朱の咎”。」
翔流は腕を組んだまま、小さく呟いた。
「…つまり、断ち切られた自然の怒り、か」
「そう。だけど“咎”そのものには意志なんてない。
宿した人の心の揺らぎが、その形を決めるの。
怒りなら爪、拒絶なら鱗――人の感情が“咎”を形作るのよ」
美音は窓の外に視線を向けた。
朱山は夕陽を受けて燃えるように紅く、まるで生きているかのようだった。
「龍を斬り、土地を得て、人が住めるようになった。
けれど、流れを断った代償は今も残っている。
…朱山は、今も息づく“龍の体”そのものなのかもしれないわ」
翔流はその言葉を静かに噛みしめながら、美音を見つめた。
その朱い髪に映る夕陽が、まるで龍脈の残光のように見えた。




