第二幕 第三章 その2
昼休みの教室は、ざわめきと笑い声に満ちていた。
窓の外では桜が風に揺れ、陽射しが机の縁にきらりと反射する。
開け放たれた窓から、春の甘い匂いが入り込み、カーテンをやわらかく揺らしていた。
「ねぇ見て見て、プリ撮ったの~!」
「やば、髪色明るくなってない?」
「彼氏と映画行ったんだってー」
机を寄せ合った女子たちが、ガラケーの画面を覗き込みながら笑い声を上げている。
チョコの包み紙が机に転がり、誰かの笑い声が小さく弾けた。
春休み明けの空気は、どこか浮ついていて、まるで教室そのものが一回り明るくなったようだった。
香織もその輪の端に座っていた。
誘われたのは、正直、嬉しかった。
ここ最近ようやく学校に顔を出し始めて、
「久しぶりに見た」「元気そうでよかった」と声をかけてくれる子たちがいた。
そうやって、少しずつ距離を詰めようとしてくれる。
その優しさが本当にありがたかった。
「塚原は休み何してたの?」
「え、あたしっすか? んー、補講とバイトと…あと掃除?」
「マジメ~!うちらなんてずっと遊んでたよ」
「ね、課題とかギリギリだったし!」
笑いが弾む。
香織もつられて笑った。
「いやー、マジみんなの後輩になるとこだったすから」
笑いながら、どこか遠くの音を聞いているような気分になった。
――補講とバイト。
本当は、ほとんど郷土資料館に泊まっていた。
夜、誰もいない廊下を歩くと、板張りの床がかすかに鳴る。
古い展示ケースのガラスには外の街灯が映り、
風が吹くと、軒先の鈴が小さく鳴った。
美音が居ない日は、その静けさの中で何度も自分の呼吸を数えていた。
“普通”の音が恋しかった。
それなのに、こうして“普通”の空気の中にいると、
胸の奥がひどくざわつく。
「そうだ、今度みんなでカラオケ行こ!」
「塚原も行くでしょ?」
「うん、バイト無い日なら行きたいすね」
自然に笑って答える。
声のトーンも、タイミングも、もうだいぶ上手になった。
笑顔の作り方も。 ――もっともこれは美音の笑顔を模倣しているだけだったが。
ふと視線を窓の外に向ける。
校庭の端では桜の花びらが舞っていた。
フェンスの向こうに見える線路を、小さな列車がゆっくりと通り過ぎていく。
車体の銀色が光をはね返し、そのたびに一瞬だけ教室の天井が明るくなった。
風が吹くと、花びらが何枚も入り込んできて、
誰かが「きれー」と笑って手を伸ばした。
香織はその光景をぼんやりと見つめていた。
心のどこかで、その“きれいさ”が少しだけ怖かった。
みんなが楽しそうにしていることが、
まるで自分の知らない世界みたいに思えてしまう。
「ねぇ、このあと駅前寄ろっか?」
「パンケーキ食べたい~」
「いいね~!」
笑い声がまた弾む。
香織も笑った。
でもその笑い声は、少しだけ遅れていた。
チャイムが鳴り、昼休みが終わる。
机の上に散らばったお菓子の袋を片づけながら、
香織はふと、自分の手の甲に付いた桜の花びらを見つめた。
指先でそれをつまんで、そっとノートの間に挟む。
――ちゃんと、戻れてるのかな。
誰にも聞こえないほど小さな声で、
心の中で呟いた。
春の光は優しすぎて、目を細めた。
風がカーテンを膨らませ、
その白い布越しに、校庭の桜がゆらゆらと揺れていた。




