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第二章 その5
夜も更けようかという頃、陽菜は自室で机に向かっていた。
鉛筆を走らせるが、文字は頭に入らない。
思い浮かぶのは昨日の掃除の光景ばかりだった。
――足を滑らせた自分を支えた翔流。
至近距離で交わした視線。頬を染めて「ありがとう」と言ったあの瞬間。
胸の奥がきゅっと熱くなり、忘れようとしても何度もリフレインしてしまう。
机の端には古びた兎のぬいぐるみがある。幼いころ、翔流が誕生日にくれたものだ。
頬をすり寄せると、あの日の照れくさそうな笑顔が浮かぶ。
――「陽菜、こういうの好きじゃないかと思ってさ」
胸の奥に甘い痛みが広がり、声にならない呟きが唇から零れる。
「……ずっと、そばにいたいな」
だが同時に、心の奥底で暗い声が囁いた。
――私のせいで、また壊れてしまうかもしれない。
その矛盾に押し潰されそうになりながらも、彼の姿を思う時間は増えていった。
あれ以来、教室のざわめきの中でも耳は翔流の声を探し、目は彼の動きを追ってしまう。
黒板の字よりも、ノートの問題よりも、彼の笑顔ばかりが焼きついて離れない。
「……どうして、こんなに」
頭を振りながら、陽菜はペンを握り直した。
座り直し、教科書に向き合う。
しかし、浮かんでくるのは同じ場面ばかりだった。




