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朱の山  作者: 晦ツルギ
第二幕

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65/107

第二幕 第二章 その4

寄贈から数日が経った。

閉館後の資料館には、人の気配が消えている。

倉庫の奥に掛けられた掛け軸――「朱山の龍」。

風祭美音は帰り支度をしたあとも、その前から離れられずにいた。


昼間から感じていた違和感。

墨の濃淡、線の間隔、木々の配置――どこかおかしい。

ただ古いだけの筆致ではない。

まるで見てはいけないものを、絵そのものの中に隠しているような精密さだった。


照明を落とし、懐中電灯を手に取る。

絹地の表面に光を斜めから当てると、墨の層がわずかに立体的に浮き上がった。

その重なりは、まるで地形そのものが浮かび上がるよう。

美音は椅子を引き寄せ、焦点を少しずつずらす。

木々の並びが揺らぎ、谷の陰影が深まる。

やがて――山の尾根が、一本の胴体に見えた。


鱗のような光沢、うねる曲線、そして頭部の輪郭。

「……龍…」

小さく漏れた声は、展示室の空気に吸い込まれた。

確かに龍がいた。

墨と朱の線が立体視のように奥行きを持ち、

朱山を駆け上がる龍の姿を浮かび上がらせている。


翌朝。

香織が休憩室から顔を出すと、美音はまだ展示室にいた。

「美音さんまた寝てないんすか?」

「ついね。香織ちゃん、ちょっと見てみて」

「…またあの絵です?」

「いいから。ここに立って、少し目の焦点を外して」

「こうっすか…? うわ、なにこれ、出てくる…! 龍じゃないすか!」

「見えたでしょ。立体視。ステレオグラムの原理よ」


香織は口を半開きにして絵を見つめる。

「江戸どころか戦国とかそのへんの絵なんでしょ?

 そんなのありえるんすか?」

「知りうる限りじゃありえないわ。でも、確かに計算されてる。

 筆のリズムが一定で、左右に微妙なズレがある。

 つまり、わざと焦点を狂わせる構図になってるの」

「…それって、見る人に龍を見せようとして描いたってことっすよね?」

「ええ。偶然じゃないわね。明確な意図がある、としか…」


香織が小さく肩をすくめた。

「こわっ…。

 でもなんで、そんなこと?」

「…わからない。けれど、もしこの絵を描いた人が

 龍を見る者を選んだのだとしたら――」

美音は言葉を濁す。

香織は顔をしかめ、冗談めかして言った。

「いやー、選ばれたくないっすねぇあたし」


美音は苦笑しつつ、掛け軸の下部を軽く叩いた。

中から「コツン」と硬い音が返る。

「軸棒に空洞があるの。

 中に何か入ってるかもしれない」

「やめてくださいよ。呪物とか出てきたら最悪っす」

「壊さないように、表具店に相談してみましょうね」


ふたりは休憩室に戻り、お茶を淹れた。

湯気の向こうで美音はぽつりと呟く。

「…江戸より前に、こんな技法を知っていた画家なんていないはず」

「じゃあ、誰が描いたんすか?」

「それを調べるのも、私の仕事だもの」


その夜。

無人になった資料館の奥で、

桐の箱がかすかに鳴った。

“コト、コト”。

暗闇の中、絵の中の龍がゆらりと形を変えた気がした。

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