第二幕 第二章 その2
朝の光が障子越しに差し込み、淡い金色が畳を照らしていた。
夜の名残をわずかに残す空気はひんやりとして、湯気の匂いだけがかすかに漂っている。
美音は机の上で書類をまとめながら、ちらりと香織の方を見た。
香織は布団の端に腰を下ろし、指先で袖のほつれをいじっている。
その落ち着かない仕草に、美音はそっと声をかけた。
「ねえ、香織ちゃん。今日は…学校、どうするの?」
香織は驚いたように顔を上げ、少し黙ったあと小さく息を吐く。
「…わかんない。行ける気がしない。あたしのこと、みんな怖がってんし」
美音は少し考えてから、柔らかく微笑んだ。
「でもね、香織ちゃん。いちばん怖がってるのは――きっと、あなた自身よね」
香織の目が揺れた。
「みんなも怖いし、あなたも怖い。
でも結局ね、誰だって“わからないもの”を怖がるの。
わたしだって、知らない人の前で発表するときは緊張で手が震えるし…
偉そうなこと言ってても、怖いものはたくさんあるんだ」
少し笑ってみせると、香織の表情がわずかに和らいだ。
「…美音さんでも、そんなことあるんだ」
「あるある。たぶん、誰にだってね」
美音は机の上のペンを指先で転がしながら、静かに続けた。
「今すぐじゃなくてもいいの。
行ってみようかなって思えたときでいいから。
それが、ちゃんと前に進んでるってことだもん。
学校は逃げないし、待ってくれてる人もいるかもしれない。
でも、今のあなたが壊れちゃったら、何にもならないでしょ?」
香織は小さく頷いた。
肩の力が抜けたのを見て、美音はふっと笑みを浮かべる。
「…あ、でもね。行かなくても、ちょっとずつお勉強はしなきゃね」
香織は思わず吹き出した。
「うわ、やっぱ言われた」
「ふふ、だって大事なことだものね」
美音は軽く髪をかき上げ、冗談めかして言った。
「数学以外なら見てあげられる…と思う。
教えるの上手いとは言えないけど、わからないことがあったらいつでも聞いてね」
「へぇ…先生みたい」
「ふふ、それは褒め言葉として受け取っておくわ」
窓の外では、楓の葉が秋の朝日に透け、やわらかな朱を落としている。
香織はその光をぼんやりと見つめながら、ぽつりと呟いた。
「ねぇ、美音さん」
「なに?」
「…学校。ちょっとだけ行ってみてもいいかも…なんて」
美音は一瞬だけ目を見開き、すぐに優しく頷いた。
「うん。それがいいと思うよ。ちょっとだけから、また始めよう」
彼女は湯飲みに新しいお茶を注ぎ、香織の前にそっと置いた。
湯気の向こう、二人の間にあった冷たい空気が、少しずつ溶けていくようだった。
美音の微笑みは、秋の陽だまりのように穏やかで――
香織は胸の奥に、小さな温もりが灯るのを感じていた。




