第二幕 第一章 その5
翌日の午後。
郷土資料館のドアが、からん、と小さな音を立てた。
「こんちわ…」
昨日と同じ制服の少女が立っていた。
陽の光を受けて、三色に分かれた髪がきらりと揺れる。
ピンクの髪留め、緩んだネクタイ、袖を指先まで伸ばしたピンクのカーディガン。
その姿にはどこか疲労と、居場所のなさがにじんでいた。
「あら、また来てくれたんだね」
カウンターから顔を出した美音が、やわらかく微笑む。
「嬉しいなぁ。いまお茶淹れるね」
「…すいません」
「ううん。嬉しいの、こうして話し相手が来てくれたんだもの」
やがて、湯気の立つ湯飲みがテーブルに置かれた。
ほのかに甘い香りが広がる。香織はそっと口をつけ、吐息をひとつこぼした。
「…落ち着く」
「よかった。昨日より顔色が少し良くなった気がするよ」
「…あの、あたし。行くとこ、なくて」
美音の手が止まる。
「うん」
「家にも居られない。学校も…もう、無理かもしれない」
「…どうしたの?」
香織は目を伏せ、カップの中を見つめながら言った。
「なんかさ、周りから変な目で見られるの。悪口言われて、避けられて。…母さんにも“出てけ”って言われた」
「…辛かったね」
美音の声が静かに落ちる。
「でも、一体何があったの? 理由もなく、そんなこと言われるなんて」
香織は、唇をかみしめた。
「…自分でも、よくわかんないんだ。ただ、何もしてないのに…周りの物が壊れたりして」
「壊れたり?」
「うん。机とか、窓とか。勝手に割れたり、切れたりして…怖くて」
美音はそっと姿勢を正し、真剣な眼差しを向けた。
「ねえ、香織ちゃん。詳しく教えてもらっていい? どんな時に起きるの?」
「え?えっと…たぶん、怖かった時。怒鳴られたり、もうイヤだって思った時。気づいたら、周りがバラバラになってて…」
「…そうなんだ」
美音はゆっくりと頷き、湯飲みを見つめたまま小さく息を吐いた。
「ありがとう。話してくれて」
少しの沈黙のあと、美音は立ち上がった。
机の引き出しに手を伸ばし、鍵を外す。
さらに奥から、もうひとつ鍵付きのファイルを取り出す。
「ねえ、香織ちゃん。“朱の咎”って言葉、聞いたことある?」
「…あけの、とが?」
「昔からこの地域に伝わる話なの。
“何もしていないのに、物が壊れたり、不思議なことが起こる”――
そういう現象のことを、昔は“朱の咎”って呼んでたんだって」
香織の目が大きく開く。
「それ…あたしと、同じ」
美音は頷いた。
そして少し遠い目をしながら続ける。
「わたしも確かなことは言えない。でもね、前にその“朱の咎”を調べに来た子がいたの。あなたくらいの年の男の子だった。
いつも飄々としてて、何かと人をからかったりするのに、本当に困ってる人を見ると自然に手を差し伸べちゃう。
優しいなんて感じさせずに…それが当たり前のことみたいにね。お礼言われると照れ隠しみたいに笑ってごまかすタイプ 」
香織は小さく瞬きをする。
「…なんか、かっこいい人っすね」
「ふふ。そうね。見た目もイケメンだったよ。今ね、思い出したあの子も、やっぱり“助けたい”って顔をしてた。
わたしね、その姿がずっと頭に残ってるの」
彼女はファイルを開き、黄ばんだ紙を机に広げる。
そこには、古びた文字でこう記されていた。
『その年、とが晴る。里人これを喜び、娘を迎ふ。門開かれ、灯ともる。人々笑みて迎へ入る。娘、深く礼し、里に帰る。』
「ね、咎が晴れて、ちゃんと迎え入れられてるでしょう?」
美音は優しく微笑む。
「もしかしたら、あなたの中で何かが動き始めてるのかもしれない。
でも、それは悪いことばかりじゃない。きっと、あなたが傷ついたぶんだけ、心が叫んでる証拠なの」
香織の喉が震えた。
「…そんなふうに言ってくれたの、美音さんだけです」
美音は静かに笑う。
「ふふ。ありがと。わたしね、あなたの力になりたいの。
いつも困ってる人を助けようとしてた、あの子の代わりに――今度は、わたしが助けたいんだ」
夕陽が窓から差し込み、机の上のファイルと楓の葉を赤く照らす。
その色は、まるで彼女たちを包み込む“朱”そのもののように、静かに揺れていた。




