第八章 その6
朝の空気はひんやりとして、金木犀の香りがどこからか漂っていた。
翔流はいつものように早い電車に乗り、里山の端にある陽菜の家を訪れる。
藁葺きをトタンで覆った急な屋根、朝露に濡れた庭先の石畳。
軒先から見える空は、すでに秋の色をしていた。
「おはよう、翔流くん!」
玄関を開けた陽菜は、寝癖のまま笑っていた。
その無邪気な笑顔を見るだけで、翔流の胸の奥が少し締めつけられる。
二人はいつもの坂道を下り、田畑の間の細い道を歩き始めた。
川沿いの道では、葦の穂が風に揺れ、光がきらきらと反射している。
「ねえ、翔流くん」
陽菜がふと顔を上げて言った。
「なんだかちょっと大人っぽくなった?」
翔流は笑って首をかしげた。
「それ、何度も聞いてるよ」
「そうだっけ?」陽菜は小首をかしげて笑う。
けれど、そのあとの言葉はこれまでと少し違っていた。
「じゃあ、日に日に大人になっていくんだねぇ」
翔流は苦笑する。
陽菜は続けて、まるで嬉しそうに言った。
「きっと悠眞くんと何かあったんだね。良いことが」
「…そうかもな」
陽菜は童女のように屈託なく笑い、「良かったね!」と続けた。
その声は、秋風のように澄んでいて、どこか遠くに響いた。
しばらく沈黙が続いたのち、翔流が少し照れたように言う。
「なぁ、前に言ってたろ。お祭り、一緒に行きたいって」
「うん!行きたいよね!」
「秋祭りじゃダメかな。神社の例大祭、もうすぐだし」
陽菜の目がぱっと輝く。
「わぁ!お祭り!一緒に行けるの?もう置いてっちゃヤダよ?」
翔流は笑って頷いた。
「一緒に行こう。二人でさ」
「うん! 絶対! 約束だよ!」
「――あぁ、約束だ」
二人は笑い合いながら歩き出す。
遠くの山々が紅葉を始め、朱山もまた、その色に紛れていく季節だった。




