第二章 その2
翌朝。教室の扉を開けると、陽菜の視線は自然と翔流の席へ向かう。
彼のまわりにはいつも友人たちがいて、賑やかな笑い声が絶えない。
さり気なく翔流を意識するうちに、その輪の中にいる顔や名前も、陽菜は自然と覚えていった。
午前の授業が始まると、教室は静まり返り、鉛筆の走る音だけが小さく重なっていた。
陽菜は姿勢を正し、机の端に教科書をきちんと揃えて開いている。ノートには丁寧な文字が並び、一字一句を逃すまいと耳を澄ませていた。
先生に当てられたとき、立ち上がった陽菜の声は澄んでいるものの、少し震えている。
読み上げが終わると「はい、ありがとう」と教師が微笑んで頷いた。
陽菜はほっと小さく息を吐き、静かに席に腰を下ろす。
ふと視線が横に流れ、翔流の後ろ姿が目に入った。
彼は迷いのない筆致でノートを取り、時折さらりと髪をかき上げる。そのさりげない仕草さえ陽菜の胸をきゅっとさせる。
すぐに慌てて視線を戻し、ノートの文字に集中するふりをする。
ページをめくる指先は少し不器用で、紙の角を引っかけてしまい、ぱさりと大きな音を立てた。
前列の生徒がちらりと振り返る。陽菜は頬を赤らめて小さく頭を下げ、余計に背筋を固く伸ばした。
教室は静かなまま、授業は進んでいく。
その中で陽菜だけが、自分の胸の鼓動をやけに大きく感じていた。
休み時間になると、翔流の机のまわりには、いつものように人だかりができていた。
男子も女子も入り混じり、絶えず笑い声が弾む。中心にいる翔流は、そこにいるだけで場の空気を軽くしてしまう。
「だからさ、それは前にも言ったけどさ、実際にはこういう仕組みになってて……」
井細田慧が早口でまくしたて、指先で机を叩きながら力説していた。
翔流は「へぇ、そうなんだ」と相槌を打ちながら笑みを浮かべる。だが他の生徒たちは聞き流している様子で、曖昧に笑ったり、視線をそらしたりしている。中には小さくあくびを隠す者さえいた。
その輪の中で、穴部紗季は小さな鏡を取り出して前髪を整え、さりげなく翔流へと視線を送る。彼が笑うたび、ほんのわずかに頬が赤くなるのが分かった。
陽菜は少し離れた席に腰を下ろし、閉じた教科書の上に手を重ねたまま、その様子を見つめていた。
教室は笑い声に包まれているのに、自分の周囲だけ静かで、遠い景色を眺めているような気分になる。
窓から吹き込む風がカーテンを揺らし、初夏の光が机の上を白く染める。
胸の奥に沈むのは、羨望ではなく――触れてはいけない、近づけば壊してしまうかもしれない、という暗い確信だった。
ざわめきと静けさのあいだで、陽菜はひとり取り残されていた。




