第七章 その1
朝の光がまだやわらかい。
通学路に流れる風が、夜の湿気を払いながら静かに頬を撫でた。
翔流はいつもより早い電車を降りると線路沿いの通りを歩く。
鞄を片手に、気怠そうに歩いていた。
昨夜は、ほとんど眠れなかった。夢の残滓が、まだ脳裏に焼き付いている。
(…ただの夢、じゃない気がするんだよな)
学校へと続く細い路地の角を曲がると、見慣れた背中があった。
黒髪を整えた学生服姿。姿勢が良く、歩くたびに裾が揺れる。
「…悠眞?」
声をかけると、彼は軽く振り返った。
「珍しく早いんだな、翔流。…久しぶり」
「久しぶりって、まだ二日だろ」
「サボってただろ?」
「…なんで知ってんだよ」
「教師が話してた。“代山、連絡なし”ってな」
「うわ…。最悪だ」
翔流が頭を掻くと、悠眞は小さく笑った。
けれどすぐに、その表情は少し曇る。
「陽菜のことも聞いた。体調を崩しているらしいな」
「…ああ。家に行ったらそう言われて、寝ていると言われ顔も見れなかった。でも、なんか…違う気がする」
言葉を探すように翔流は立ち止まる。
朝日が背に差し、影が並んで伸びた。
「なぁ、悠眞。――子供の頃のこと、覚えてるか?」
「何を?」
「…陽菜が、倒れてた時のこと」
悠眞の表情がわずかに動く。
眉が寄り、目が細くなる。
「…倒れていた、って。朱山の、あの洞窟の前でか」
「ああ。俺さ、昨日…その時の夢を見たんだ」
翔流は自分でも不思議そうに、言葉を選びながら続ける。
「すげぇ鮮明だった。陽菜が熱出して倒れてて、俺が抱えてて…お前が大人呼びに走ってさ」
「…確かに、そんなことがあったな」
「でもな――そのあとが思い出せないんだ。お前が誰を呼びに行ったのかも、どうやって助かったのかも」
風が止む。遠くで電車の警笛が鳴った。
悠眞は少しの間、沈黙したあとで小さく言った。
「…俺もだ。山を駆け下りたのはおぼえては居るが、誰を頼ったのかは曖昧だな」
翔流は息を吐く。
「だろ?…お前らしくない、よな」
「ただ忘れているだけでは?」
「けど…。それに…ただの夢じゃない気がする。あれは何かを思い出したって感じだったんだ」
ふたりの間に、言葉にならない空気が流れる。
それは、どこか警告のようでもあり、予兆のようでもあった。
悠眞は、ゆっくりと翔流を見た。
「…なら、確かめるしかないな」
「確かめる?」
「あの洞窟のことをさ。陽菜が倒れていた、あの場所を」
翔流は短く息を飲んだ。
それはまるで、過去が再び口を開こうとしているような響きだった。
悠眞は腕時計に目を落とし、わずかに息をついた。
「…行くなら善は急げ、だな」
「え、まさか今行くつもりか?」
「他にいつ行く」
「いやいや…俺、三日連続でサボりとか流石に洒落にならないから!」
「だろうな。教師にも親にも呼び出されるぞ」
「お前、意外とそういうとこ現実的だよな」
「誰かが現実を見ていないと、お前まで夢に引きずられそうだからな」
翔流は苦笑して、肩をすくめた。
「了解。じゃあ、放課後に集合だな」
「あぁ。授業遅れるなよ。三日目は流石に言い訳できないぞ」
「…はいはい、真面目さじゃ勝負にもならねーよ」
朝の陽光が差し込み、ふたりの影が並んで伸びていく。
進む道は違っても、歩調だけは同じだった。




